戦車今昔物語(其の二)2.3 戦車使用法案の編さん
2.3 戦車使用法案の編さん
当時、戦車隊の行動の規準になる規範ともなるべき操典の様なものがなかった。
実は隊の出来る前に全て出来上がっていなければならなかったのである。ところが創設前は隊の編制という大きな仕事もあって手に付かなかったのだと言い訳もあるのだが、これは今でも責任を感じるところである。
それで隊の設立後に編さんに手を付けた。石井大尉、細見大尉その他の協力を得て、その年の八月頃に戦車操典草案の草案とでもいった様なものの起案を終わり、審議を経て十月に教育総監部から「戦車使用法案」という名称で出され、ここにようやく教練の指針を得たのである。その編さんには英仏両国の操典、その他を参考としたが、やはり創設前の研究の結果を織り込み、我が国軍の戦闘方式にも合わせられる様に努めて考案した。
その使用法案は単に単車及び小隊の教練の法則と戦闘原則を示したものであったが、それでも当時は戦車の数も少く、また、戦車の戦闘単位が小隊と考えられていたので結構それで間に合ったのである。
今、その使用法案を考えると、第一に当時使用した戦車と現在の戦車とはその性能において月とスッポンの差がある。さらに編制装備も異なっているのだから、現状に合わない点が多くあるのはもちろんであるが、それでもその当時の原則が今でも採用されているところも多くある様に思う。しかし一方では我が国においてもその当時、すでに世界の進歩に遅れない戦車の建造に着手しており近い将来にはそれを使用できる見込みも徐々に立っていた事もあり、将来戦場に使用できる戦車の戦闘原則と、使用法案の戦闘原則との間に食い違いを生じたことはいうまでもない。
この事は戦車に限らず常に起こることで、現在の編制装備ではこのような戦法を採るが、将来はいかなる戦法を採るかという事は常時研究しなくてはならない事である。それが、この場合において特に著しかったので、その食い違いは戦術の研究で常に補わなければならなかったのである。
当時、我が国の軍事界の情勢を見ると、戦車に対する関心は徐々に向上して来ていたのであるが、その用法上の研究においても又、対戦車戦闘観念においても甚だしく幼稚なものであった。特に歩兵科以外には他人事のように考えられて、ほとんどが我関せずなりという態度が多かった。したがって戦術ひとつにしても戦車に関する事は顧みられず、たとえ研究しても申訳半分という有様であった。しかしそれは無理もない事で、その当時は研究の参考となるべきものは極めて貧弱であり、実物を見た将校も少なく、また戦車隊そのものが有るか無いか判らないようなものであり、したがって実戦において戦車と共に戦う機会が甚だ少ない様に感じられた事と思う。
私も、それではならないと考えたので、無い知恵を絞って私の登載したものを集めて「戦車図上及び現地戦術」という書物を書いて出版した。これは相当に売れたから研究の手ほどき位にはなった事と思う。
その時代から見ると、今は戦車に関する研究は非常に重大視される事となり、これからの戦闘には戦車と協同する機会が非常に多くなり、装甲兵団の活躍も盛んになり、また各正面とも大部分が戦車を有する敵と対戦するものと考えねばならない時代になったのであるが、少しの間で余りにも時代の変化が激しいのには驚かざるを得ない。 しかし、まだ全国的に見れば戦車との協同戦闘や対戦車戦闘の実際的訓練の機会に恵まれない部隊も多い事と思われるが、これも将来何とか解決される事と信ずる。
戦車使用法案の問題がえらいところまで飛火をしたが、これ以上は堅くるしくなるからこれ位でやめておこう。
創業当時の事々< >師団長見学に怪物の運動
【補足説明】
■「戦車使用法案」:実物は見たことがないので何とも言えないが、NF文庫『機甲入門』によると、「戦車使用法案(戦車及小隊の部)」ということで、小判80ページであるそうだ。
三橋少将は「単車及小隊」と記述しているので上記(戦車及小隊の部)というのが原題なのか誤記もしくは改題なのかが気になるところだ。
ちなみに「単車」は1両の戦車(車両)を表すのだが、私が新隊員当時に「単車訓練」は偵察隊のオートバイ訓練の事だと思っていたのは秘密だ。
■「戦車図上及び現地戦術」
国立国会図書館HPで閲覧およびダウンロード可能