とうとう、母に、自分の病気を告げた。
私は、いつも通り、元気に、
いろんな話をして、「心配しないで」を、言い続けた。
心配されることが、わたしの負担になるとも言った。
そして、
『私、「かわいそうな人」になりたくないの。
同情されたくないの。
だから、だれにも言わないでほしいんだ。』、と言った。
母は、黙って、聴くだけで、分かったと言っただけだった。
しかし・・・・数日が経って・・・・
母は、うつ病の弟に話し、弟が私に電話をよこした。
母が、元気がない。
頑張り過ぎる私を嘆き、力を落とし、心配していると・・・・。
やっぱ、こういうことになっちゃうんだよね。
やはり、めんどくさいことになったわ
人それぞれ、病気の受け止め方があるので、記事にするのはどうかと思うけれど、
病気の本人は、腹を決めなければ、前に出れないし、
腹が決まれば、もう、心配はご無用!
心配という私にとって、無意味な感情は、排除してもらいたい。
心配という名のネガティブな空気が耐えられなくなる
「同情するならカネをくれ!」←もう死語だね
ではないけれど、
「心配するなら、ワクワクするような話をしてくれ!」
といいたい。
どうせ、生きてるなら、病気のことは忘れている時間が長いほうがいいじゃん
