3月9日 組織針
5日にとったマンモの結果と血液検査の結果をみて、
「間違いないね」と先生
「今日とった組織で詳しことがわかるから、16日、家族と一緒においで」
私:「一人じゃ駄目ですか?
私、一人で冷静に聞けます。夫の告知の経験もあり、夫の時より冷静ですから。」
私は、一人で聞きたかった。
だれにも聞かれたくなかった。
先生:「耳はね、2つより4つのほうがいいんだよ。
一人じゃ聴きもらしや聴き間違いがあると困るもんね」
娘に話したら、
娘:「いいよ!お母さん、冷静だけど、絶対、忘れた~とか、わからない、とか言いそうだし。
フラットに話を聴いておかないと、お母さん伝いだと信用できないから」
3月16日
組織診の結果と治療方針の話
娘も私も仕事帰りだったせいか、非常に事務的だった。
HER2陽性だあること、ホルモン受容体が陽性であること。
術前化学療法をやる意味などなど。
全く感情的になることなく、自分でも仕事の打合せをしてるんじゃないか?と
思うほど、自分のカラダの中で起きている事象であることの認識がなかったように思う。
4月10日入院して、センチネル生検、FEC抗がん剤1回目を行うことが決まった。
翌日の土曜日、夫が帰ってきて、早速、昨日の報告。
娘が、すべて話してくれた。
やっぱ耳が4つでよかった!と思った。
私は、自分で見つけてから、一度も涙を流していない。
泣けないのか、泣いてはいけないと思っているのか?
どうして、こうも無感情で、乳癌を受け止められているのか、自分でもわからない。
ただ、思うのは、
こんなことでもなければ、体を酷使して働くスタンスを崩せなかっただろうということ。
そして、
この歳になれば、人生2/3は終わった。
だいたい健康でいても、あと20年くらいだろう。
だから、こうして、冷静でいられるのかもしれない。
そして、今、
脱毛で萎えてはいるものの、
こんな経験はまずできることではないし、抗がん剤の苦しみもしかり、
こんなに体を張った生き方を、これから先やっていくのも、
人としての深みであったり、内面の美しさであったり、
そんなものに磨きをかけるときなのかもしれないと思っている。
