オリオン座が思うこと -5ページ目

オリオン座が思うこと

寝静まる頃に、心の奥を深く深く掘り下げてみました。

今日ものどかだぁ。空は大きな薄雲の薄い布をふわっと被せられているようだ。

箱根にいるときに思ったことだが、やっぱり空が一番の芸術だ。

二度と同じものはない。人間よりもすごい。

 

箱根にいるときは、銀色の空も見たし、紫の空も見た。ピンクの朝焼けも。

 

仕事をやめて、経堂にいるときに思った。

東京は、いろんな物がたくさんあって、いろんなお店やいろんな見せ物がある。

でも、行かないな。そんなにも。

お金があったら行くのかもしれないけど、ないし、どうしてもみたいものや欲しいものがあったら行くけど、あんまりないんだなって気がついた。

 

ずっと家にいた。2、3日旅にでも行こうかとも思ったけど、こんな状況でゆっくりとじっくりとなんて、楽しめないからやめた。

毎日、インターネットで尊敬する方のお話を聞いたり、お笑いを見ていたりした。本読んだり、面接行ったり、スーツ着たり、部屋の整理したり。

ラーメン屋にも行かなかった。

 

1日1食で十分だった。たまに肉が食べたくなった時には、スーパーに行って400g580円の味付けされた牛肉を食べた。

400gも安いお肉を食べると、気持ち悪くなって、しばらくはもういいと思うようになる。

 

その中でも、カラバッジョの絵は、本当に良かった。

上野で、UAのラジオの公開収録に行ったついでだった。

UAも良かったよ。でも、カラバッジョの方が、何倍も心に迫るものがあった。

 

東京で、また食べたいものは何ですかー?と聞かれた時に、思い浮かぶものって、浜松屋さんのうな重ぐらいで、他には、何を食べたんだろう。

うな重だって、他でも食べさせてもらったこともあるのに、浜松屋さんのうな重しか味も思い出せない。

 

誰かと食べて楽しかったりしたことは覚えているけど、強いてまたこれを食べたいと思うものもない。

 

お父さんが作ってくれたいくらのしょうゆ漬けと、母の春巻きと、福井で食べた生牡蠣と、北海道で食べたうに丼ぐらいだ。

 

何が言いたいかというと、今の私は、日本であればどこも変わらないのかなぁと思うようになった。

現に、長岡に来て、経堂にいるときと何も変わらないのだ。

電車の音が、鳥のさえずりになって、良くなったように思う。

 

でも、ムカーーーシ、青山から長野の湯田中に行った時は、ヒジョーーーにきつかった。

まー、無理だった。

何もなくて、不便すぎて、何もやることがなくて、石川から原付を送ってもらって3万円ぐらいしたかな。携帯電話の電波もままならなくて、お金もたまらなくて、ストレスでぶくぶく太った。

そのあと、湯田中から箱根に行ったけど、そこでも苦労した。だからよく、原付で強羅から、東京まで遊びに行ってまた山に帰るという生活で私の心は息をしていた。

流ときは鎌倉、湘南、江の島、小田原、いろいろ。

まー、足りなかったね。何かが足りなかった。10年ぐらい前だ。

 

でも、今は、とっても足りている。

やりたいことも多い。そのうち行きたいところもある。

 

そのうち、音楽食堂と言って、長岡にライブを見れる場所があって、何とそこには遠藤ミチロウさんも来るそうで、楽しみなんです。

元スターリンで、元ブランキーの中村達也さんスターリンでやっていた時もあって、とても興味があったんですけど、東京にいるといつでもいけると思っていかないのです。

けど、これだけ何もないと、それもすごく楽しみになるのです。

竹原ピストルさんも興味があります。

 

先日、ビハインドザコーブという反捕鯨団体の実態を公開した映画を見に行ったのですが、同時に遠藤ミチロウ監督の自分のドキュメンタリー映画もやっていたのです。

「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」

という、強烈な題名の映画で、もちろん見ました。

 

私は、自分でも長年謎だった何でだろうと思うことが、1つほどけたような気がしました。

何だって、私は、こういう音楽や芸術に憧れたり引かれたりするんだろうと思っていました。

遠藤ミチロウさんの家庭も、ごく一般的な家庭で両親もいて、普通に暮らしていて、何ら問題もない家庭だったそうなんです。今も、そうなんです。

で、フィルム内でミチロウさんが言っていた言葉がカギでした。

「偽善という言葉があるでしょ?僕がやっているのって『偽悪』なんです」

ハーーーーっとしました。だから、惹かれるのだと気がつきました。

 

偽悪って、本当は善だからなんだって。

私にとっては、バクチクだってそうだ。自分でも不思議すぎた。

なぜに、11歳からバクチクなんだって。

ジュンスカとかリンドバーグとか、プリプリとか、ユニコーンとか、なんか、いっぱいバンドがある中で、なぜにバクチクなのかが、私にもこんなにはっきりとはわからなかった。

でも、この偽悪って言葉のおかげですっとしました。

かっこつけてもないし、かっこよく見えるだけで、でも、ドラムとかベースは、そんなにもかっこよくないし。

 

「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」のオープニングが、たまらなく、忘れられません。

モノクロで撮影されていて、月が満月で、どこかの駐車場みたいなところで、大勢の人が集まっていて、ギター1本持ってマイクの前に立ち、右斜め下から見上げるようなアングルで、ギターの弦を丁寧に撫でるようにならして、そして、声にならないような音で叫ぶんです。遠吠えのような悲痛な声で。

鳥肌が立ちました。オープニングです。そこだけ、もう一度みたいぐらいです。

偽悪です。

http://michiro-oiaw.jp/

 

こんないいお天気の朝に偽悪のお話だなんて、嫌になっちゃいますわ。

こんなお話をするつもりではなかったんですけど、今日も晴れ!

13日から働くと決まって、ちょっとホッとしてます。

でも、部屋を引き払いに行ったり、他にもやらないといけないこととか、ちゃんとそこで働いていけるのか、確定していないので不安ですけれども、ヨンナヨンナヨォ~です。

 

そのうち、佐渡に行きたいのです。

佐渡には、あのスパゲッティーで有名な「青の洞窟」があるそうなんです。カヤックで海を漕いで行くと、青の洞窟が見られるそうなんです。

それに、和太鼓とか能とか伝統芸能を真剣にやられているようで、そして、広めようとしていて、私たち庶民にも身近にしてくれようとしているのがとても素敵だなぁと思い、行ってみたいのです。

 

パウロコエーリョのアルケミストでもあったように、一粒の砂を見つめるような、そういうのって、日本には随分古くからあったように思うんです。

茶道とか、書道とか、柔道とか、道とつくものがそういうものなのではないかと思うのです、あと、職人とか。料理も、一粒の砂を見つめるような仕事を私の父はやってきたのではないかとも思うんです。例えば、昔の先生とかも。

 

私は、茶道とかの器をじっと見ていると、そこが小宇宙のように感じるというのは、本当にそうなんだろうと思います。

私も感じてみたいものです。

 

また、私は、昔から、箱庭が欲しいなぁと思っておりました。

自分でも変だと思うのですが、バクチクの唄で、キャンディーという唄がありまして、その歌詞に、箱庭が出てきた時からです。

「僕の箱庭にキャンディー敷き詰めて『これが君だよ』と優しく微笑みかける。

あぁ、何もない。この星に、ただ一人愛する人が見えた。」

変な歌詞です。

 

そのちいちゃな箱庭から大きな空を眺めたいのです。私にとって、それは、大きく広がる宇宙のように思うのです。

実際にやったら、そうでもないかもしれないですけど、いつかやってみれたら、試してみたいものです。

 

本当は石川に帰ってお金でも貯めようかなぁと思い母に話したところ、

「帰ってきても仕事ないし、実家にいたからってお金たまらんと思うし、それやったら、福島に行って働いたほうが、いいわぁ!そっちのほうが、姉ちゃんらしいし!あんまり、気を落とさんと、頑張りなさい!お母さん、福島に行ったことないし、福島に行ってみたいわー」

なーんて、母強し。母は幸せだ。母が幸せで良かった!と思った。

 

そして、福島がダメで、悶々していた5月は一度も電話が来ず、6月1日に電話がきて、

「今、どこにおるん?新潟!えー、新潟いいんねぇー!お母さん、行ったことないし、新潟行ってみたいわー!」

とまあ、5回ぐらいはおっしゃってました。

私は、研修落ちて、この先どうなるかもわからず、6月10日には家なき子になるので、ちょー綱渡りで、もし新潟に私のできるような仕事がないならすぐに東京に戻って、箱根に電話して仕事があれば、箱根に行こう。なければ、経堂のいつも行く病院に行って緊張して手が震えない薬があるそうだから、それをもらって、富山の電子部品の会社の研修をもう一度受けて、それでもダメなら、一度石川に帰って、ってちょー不安だったのに、そんな素っ頓狂なお母さんと話していたら、この人に言っても、私の気持ちはわかってもらえないけど、母は幸せで良かったと、それだけで良かったです。

私は、こんなにもかかわらず、母は一人で幸せに生きていてくれて、感謝です。

私がこんな状態で、母も不幸だったら、もうやりきれませんからね。

母は、強くて偉し。

 

父も母も最後ぐらいは、私が面倒を見てあげたいなぁと思います。

何もしてやれなかった分も含め。

 

さあ、今日は、午後から、永遠のゼロを読みきろうと思っております。

いろんな方のお勧めの本の中に、結構「永遠のゼロ」があったので、絶対に先に映画を見ない!と決めていました。

本を読んでから、映画を見ようと。

 

経堂にいた時にスポーツジムに行っていたのですが、ヨガを前にちょっとやっていたことがあって、ヨガのDVDを買ってヨガをしようと思いました。

ヨガの教室も考えたのですが、DVD買えばタダだと思い、DVDにしました。

結構オススメです。筋肉痛にもなりますし、柔軟にもなりますし。

 

あー、つまめなかったの、本当に面白かった。

「おい、右手!お前、ちゃんとつまめ!」とか言ったり、「もー、ここから切り落としてやりたいわー!」とかノコギリで切る真似したり、居残り特訓の時も担当の人が、「なんでなんだろうねー、今なんともないのにねー!」私、「あ!今のこれを動画に撮って、見てもらったらどうですか!」って。

私も、担当の人も、たまらんちんです。

 

私がつまめなかったのを皆さん気にしてくださっていて、気をつかっていただいていて、大変申し訳ないです。

私の人と違う能力のために、気苦労させてしまって、穴があったら入りたいし、生まれてきてすみませんとも思います。嫌になっちゃいますよ、本当に。

私の能力の使い道は、あるのでしょうか。

もしかしたら、ないんじゃないの!

宝物を手に入れるために、旅する少年の話。

 

同じ友人といつも一緒にいると、友人が自分の人生の一部となってしまう。すると、友人は彼を変えたいと思い始める。そして、彼が自分たちの望み通りの人間にならないと怒り出すのだ。誰も皆、他人がどのような人生を送るべきか、明確な考えを持っているのに、自分の人生については、何も考えを持っていないようだ。

 

人は、自分の運命を選ぶことができない、そして誰もが世界最大の嘘を信じている、と言っている。それは、人は人生のある時点で、自分に起こってくることをコントロールできなくなり宿命によって人生を支配されてしまう、ということだ。それが世界最大の嘘じゃよ。

 

そのラクダ使いはあまり戦争を心配していないようだった。

「私は生きています。私は食べているときは食べることしか考えません。もし私が行進していたら行進することだけに集中します。もし私が戦わなければならなかったら、その日に死んでもそれはかまいません。

なぜなら、私は過去にも未来にも生きていないからです。私は今だけにしか興味を持っていません。人生は私たちにとってパーティーであり、お祭りでもあります。なぜなら、人生は、今私たちが生きているこの瞬間だからです。」

 

ラクダ使いが言うように人生はパーティーだった。

彼は過去の教訓と未来の夢と共に今に生きたいと思った。(オアシスの)ナツメヤシの風景はいつかは単に思い出になってしまうけれど、今は、ナツメヤシの木は日陰であり、水であり、戦争からの避難場所を意味していた。

 

どうしてこういうことが「口頭」で伝えられなくてはならないのかわからない、と彼は思った。それが秘密だからと言うわけではなかった。神は全ての生き物に対して神秘をいとも簡単に、明らかにしているのだ。彼は、この事実について1つだけ説明することができた。

ものごとが口づてで伝えられなくてはならないのは、それらが純粋な人生から成り立っており、こうした人生は、絵や言葉では捉えることができないからなのだ。

人は絵や言葉に気を取られて「大いなることば」のことを忘れてしまうのがおちだった。

 

お前が現在を良くしさえすれば、将来に起こってくることも良くなるのだ。未来のことなど忘れてしまいなさい。神様は神の子を愛していると信頼して、毎日を神様の教えにそって生きるがよい。毎日の中に永遠があるのだ。

 

「もしかして自分は宝物の元へ行けたかもしれない」と何度も考えてしまうだろう。

お前をオアシスに引き止めた物は、もう二度と帰ってこれないのではないかという、お前自身の恐れだ。

その時、お前の宝物は永久に埋もれてしまったと前兆は語るだろう。

そして、4年目のいつか、前兆はお前を見捨てるだろう。お前がもうそれに耳を傾けるのをやめてしまったからだ。しかし、その時にはお前はお金持ちの商人になっていて多くの財産を持っている。

お前は、その後の人生をずっと、自分は運命を探求しなかった、もうそうするには遅すぎると思って、暮らすだろう。

男が自分の運命を追求するのを、愛は決して引き止めはしないということを、お前は理解しなければいけない。もし、彼がその追求をやめたとしたら、それは真の愛ではないからだ。

 

もしお前が見つけたものが純粋なものから成っていれば、それは決して朽ちることはない。そして、お前は必ず戻ることができる。

もし、お前が見つけたものが、星の爆発のように一瞬の光に過ぎなければ、お前は戻ったとしても何も見つけることはできない。

 

「彼らはただ金(きん)だけを探しているのだ」と錬金術師は答えた。

「彼らは自分たちの運命の宝物だけを求めていて、実際に運命を生きたいとは思っていないのだよ」

 

目に見えるものを通して、人が霊的な教えと神の知恵の素晴らしさを理解するために、この世界を作られたのだ。

 

「お前は砂漠にいる。砂漠に浸り切るが良い。砂漠がお前に世界を教えてくれるだろう。本当は、地球上にある全てのものが教えてくれるのだ。お前は砂漠を理解する必要もない。お前がすべきことはただ1つ、一粒の砂をじっと見つめることだけだ。そうすれば、お前はその中に創造の素晴らしさを見つけるだろう。」

「どのように砂漠に浸りきればいいのですか?」

「お前の心に耳を傾けるのだ。心は全てを知っている。」

 

「どうして心に耳を傾けないといけないのですか?」

「お前の心があるところが、おまえが宝物を見つける場所だからだ」

「でも、僕の心は揺れ動いています。心は自分の夢を語り、感情的になり、砂漠で待つ彼女を思って情熱的になります。そして僕にいろいろなことを質問し、僕が彼女のことを考えると、何日も眠らせてくれません」

「おやおや、それは良いことではないか。お前の心が生きている証拠だ。心が言わねばならないことを、聞き続けなさい」

 

「僕の心は裏切り者です。心は僕に旅を続けて欲しくないと言います。」

「それはそうだ。夢を追求していくと、お前が今までに得たものを全て失うかもしれないと、心が恐れているからだ。」

「それならば、なぜ、僕の心に耳を傾けなくてはならないのですか?」

「それは、心を黙らせることはできないからだ。たとえお前が心の言うことを聞かなかった振りをしても、それはお前の中にいつもいて、お前が人生や世界をどう考えているか、繰り返し言い続けるものだ」

「たとえ、僕に反逆したとしても、聞かねばならないのですか?」

「反逆とは、思いがけずにやってくるものだ。もし、お前が自分の心をよく知っていれば、心はお前に反逆することはできない。なぜなら、お前は心の夢と望みを知っていて、それにどう対処すればいいか知っているからだ。

お前は、自分の心から決して逃げることはできない。だから、心が言わねばならないことを聞いた方がいい。そうすれば、不意の反逆も恐れずに済む。」

 

少年は砂漠を横断しながら、自分の心の声を聞き続けた。

すると、心のごまかしや企みがわかってきて、それをそのまま受け入れられるようになった。彼は恐れをなくし、オアシスに戻る必要を忘れた。

心は言った。

「時々私は不満を言うけれど、人の心ですからね。人の心とは、そうしたものです。

人は、自分の一番大切な夢を追求するのが怖いのです。

自分はそれに値しないと感じているか、自分はそれを達成できないと感じているからです。

永遠に去っていく恋人や、楽しいはずだったのにそうならなかった時のことや、見つかったかもしれないのに永久に砂に埋もれた宝物のことなどを考えただけで、人の心はこわくてたまりません。

なぜなら、こうしたことが本当に起こると、非常に傷つくからです。

僕の心は、傷つくのを恐れているのです」

少年は錬金術師に言った。

「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりも辛いものだと、お前の心に言ってやるがよい。夢を追求しているときは、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いであるからだ。」

 

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私は、2回読みましたが、いつの日か3回目、読もうと思います。

 

今日、外を散歩しているときに思いました。

鳥はさえずり、太陽はポカポカと暖かく、川のせせらぎを聞きながら、青々と茂る草むらを見ながら歩きました。花は、大きな花は優雅に、小さな小さな花も手を大きく広げたように、パッ!と咲いていて、とても可愛らしくて、大変のどかでした。

 

自然は、優しくて、とてもいつくしく、私たちを癒してくれたりします。

でも、怒ったら非常に恐いです。地震、台風、洪水、火山、、、

めちゃくちゃになった後は、少しずつ回復していきます。

人間も似てます。

 

西ノ島だって、溶岩で覆われて溶岩しかなかったけれど、鳥が種を運んできて、わずかに残った地面に草を生やしたんですよ。自然てすごいし、強いね。

ガラパゴス諸島も西ノ島と同じようにしてできた島なんですって。

 

 

今日の会話は、スーパー行った時に、おばあちゃんに

「どうぞ、これ使ってください」

とカートを渡した時と、

派遣会社の担当の方との電話の会話。

「すみません、電話に気がつかなくて」

「13日から仕事ですか?はい、わかりました。」

以上。

 

今日、歩いて40分のところにあるイオンに行った。

途中、信濃川を渡るんだけど、橋の上から覗くと怖い。

なんだか、吸い込まれそうになる。

 

イオンの中にヴィレッジバンガードがあって、じっくり商品を見ていた。

http://www.choemonshop.com/seal/KS2-kikukobachi.html

うちの実家の九谷焼の進化型を発見。

惹かれたけど、何に使うんだ?と思った。

いつか、使い道が思いつくかもしれないから、覚えておこう。

 

BGMに山口百恵のプレイバックPart2。渋い。

じっくり聞いてみた。、、、かっこいい。

そのあとは、ハッピーエンドの風をあつめて。

裕美さんのことを思い出すな。

 

今日は、牛肉を300g食べた。

 

今、夜の8時。

iTunesのシャッフルで、アンダーワールド。

うん。単調なリズムが、とても合っているようなきがする。

何にかって、今日に。

 

自然の中に不純物みたいな。

その、不純物の量が、ちょうど良くて、心地よい。

ballet lane とか a hundred days off とか。。。

 

こんな感じの夜が好きだ。

外からは車の流れる音、そして、ひんやりと冷たい空気。

アンダーワールドの電子音。

なんにもない部屋に、パソコンのデスクトップのライト。

今まで住んだ部屋の中で、1番いい部屋。

初台、西小山、昭島、残堀、三鷹、青山、湯田中、強羅、トロント、乃木坂、経堂。

いっぱい住んだな。

全ての神様にお願いする。

もう、そろそろ、きちっと階段を登りたいです、と。

https://www.youtube.com/watch?v=6ppaLP2aQ_U

私は、自分なんて生まれて死ぬだけだし、もう子供も産めるかどうかもわからないし、いてもいなくても、どっちでもいい。

命を全うしたら、それでいいと思っていました。

 

けれど、最近、武田先生の音声ブログで、命についてのお話を聞いて、私はハッとしたことがあります。

 

人、一人の命を考えたら、生まれて、80年ぐらい生きたら終わるのです。

じゃあ、自分の命を大切にすればいいのか?、、、でも、なんともしっくりいきませんでした。

私の命、大切にしました。、、、で?だから?、、、それで?、、、ってよく思っていました。

 

けれども、本当に命を大切にするっていうことは、そうじゃないんじゃないかって気がついた時に、アーーーー!!って、叫びたくなりました。

先日、母にその話をしたら、母も「そうだねぇ、、、」と、しみじみ言っていました。

 

命を大切にするっていうことは、例えば、赤ちゃんが生まれました。赤ちゃんの命を大切に育てました。

そして、その赤ちゃんが大きくなり、また結婚し、赤ちゃんを産みました。

 

例えば、日本の歴史が2600年続いていたら、ずーーーっと、そうやって命を大切にして繋いできました。

第一次世界大戦もくぐり抜け、第二次世界大戦もくぐり抜け、そして、2016年、今、私が、今生きています。

 

その間に、多くの困難を乗り越えくぐり抜けて、今の私の命があるのです。

饑饉もあったでしょう。伝染病や、戦争、戦国時代、いろいろ。

その間も、ずっと大切に育ててきて、今の私の命があると思ったら、私の勝手なちっちゃな見解によって、もう、私の代で終わりでいいと思うのは、大変に失礼な話ではないか、と思うようになりました。

 

一番、わかりやすいのは、世界大戦です。

多くの命をかけて守った命が繋がって、今の私の命があるんだと思います。

山本五十六大将も乃木大将も、栗林中将もそうです。

日本にいる、子の命を守るために死んでいった人がたくさんいます。

人間魚雷や神風特攻隊で自らの命を盾に守った命が繋がった先の命が、私なのです。

 

そう思ったら、「もう、私なんていなくてもいい」とか、「別に結婚もしなくていい」とか「子供もいらない」とか、そんな命を粗末にするようなことを言うのは、非常に大変に『失礼』な話だと思いました。

 

私は、なんで、もっと早くに気がつかなかったんだろうと、くいています。

私の命は、私だけのものではなく、私の前の前のご先祖様の命でもあるように思います。

私の前の前のご先祖様が、大切に大切に育てた命でもあるのです。

何千年もそうやって育てた命を簡単に、「私で終わらせてもいい」なんていうことは、私個人で決められるような、そんな安易なものなのでしょうか。

 

個人の自由とかありますけど、個人で命を終わらせるという選択は、今まで生きた何百人の命を終わらせられる勇気がありますでしょうか。

そんな簡単なことなのでしょうか。

 

武田先生のように、まずは王道で考えます。

一番身近で考えますと、自分のお母さんは、自分に愛情を持って育ててくれました。

そして、そのお母さんだって、私のおばあちゃんに愛情持って育てられました。

そのおばあちゃんだって、お母さんに大切に育てられました。

そうやって考えると、愛情はずっと続いて注がれてきました。

その末端が、私です。

 

でも、愛情を受けずに育つ子もあります。

武田先生のお話の中では、母親の愛情を受けずに育った子は、発育が悪かったり、精神疾患があったりする子が多いそうです。

そして、短命であったりするそうです。

 

なので、私は、今までの自分を大変恥じています。

命の重さを考えずに好き勝手してきた自分が情けないです。

 

私は、子供を産むことだって、諦めたらダメだと思いました。

そして、もし、そういう機会があれば、こうこうこうだから、結婚して、子供を産んだ方がいいよって話そうと思いました。

 

まずは、私の妹たちに話さないといけないなぁと思いました。

 

去年のお盆に、「こんな世の中だから、子供を産んでも、その子が大変になるから、別に産まなくてもいいから。」

と、軽々しく言ってしまいました。

しかも、「そんなん、自分で決めるし」と怒られました。

 

私は、私が言ったからって、結局は自分で考えて決めるのだから、こういう考え方もあるよ、と1ある、2ある、3ある、のような1つとして言っているので、そんな怒らなくてもいいのではないかと思ったのですが、まあ、そうなることも踏まえておかないとなぁと思いました。

 

でも、いいんです。怒られても。愛情ないよりあったほうがいいです。きっと。

ほっとくのも愛情ですが、意思を伝えるのも愛情です。

 

つまり、命を大切にするということは、私一人の命を大切にすることじゃなくて、今まで何千年とつながってきた命を大切にすると言うことではないかと思うのです。

自分の半分は、お母さんの命でもあるんですし、お父さんの命でもあるのです。

 

だから、父や母は、結婚しろーとか、子供産めーとか、いうんではないでしょうか。

自分の命だから。

多分、本能や自分の欲求でおっしゃっているのでしょうけど。そういうことではないでしょうか。

中には、本当は結婚してほしいけど、孫も見たいけど、遠慮したり、あえて言うのをやめたりしている、お母さんやお父さんもいらっしゃるかと思います。

 

そういう気持ちを察したら、ぜひとも、まだ、子供が産める人は、ぜひとも、子供を産んで、命を大切にしてもらいたいと思います。

 

私も、死ぬまで、命を大切にしたいと思います。

もしかしたら、子供を授かったりしないかもしれなくとも、せめて、最近思ったこのことについて、話をして、一人でも多くの方が命を大切にしようと思ってくれるよう、努めていきたいと思います。

 

最近あった40代の男性の方が、「結婚したい」とおっしゃっていたので、このお話をしたら、「そうだねー」とおっしゃっていました。

 

ちいちゃなことから、コツコツとです。

そうやって、命を大切にできる世の中になったらいいなぁと思いました。

 

今、改めて、自分の文章を読んでみましたが、全然、私が伝えたいことが書かれていなかったので、一番上に貼ってあるリンクの武田先生のブログを聞いてみてください。

 

また、書き直したいと思います。

今日は、疲れたのでやめます。

条件が良かったので、ここにきたのですが、研修で落ちました。

新潟の長岡市です。

なぜ落ちたかというと、ちいちゃな部品の工場で、顕微鏡を見ながらそのちいちゃな部品をピンセットで取るというのができなかったからです。

テストで先生が見ていると、緊張して手が震えました。

私のところだけ、大震災です。みんな合格です。20人いました。

まあ、私は人と微妙に違うので、しょうがないなぁと思いました。

逆に、みんなにはできなくて、私にはできることもあるのでしょうが、大概、みんなそれをしたいと思わないことだったりしますので、意味ないのですが。

 

一緒に研修を受けていた人たちは皆、親切にしてくれました。

勇気付けてくれたり、リラックスリラックスと声をかけてくれたり、ここを持った方がいいよとか。

なんとも情けないです。中には、一緒につまむ練習を付き合ってくれる方もいました。

練習の時は、一度も震えないのですが、先生が見ていると、直下型の大地震です。

私の担当の方は、「敏感な人もいるし、鈍感な人もいるし、それぞれだから」とおっしゃってくれました。私は、プレッシャーに弱いようです。

 

でも、得意不得意はありますから、

 

なので、明日には帰ってまた違う仕事を探そうと思っていたのですが、その『つまむ』作業以外は、良かったようなので、別の仕事で採用してもらえるようで、今、多くの皆様が、こんな私のために調整してくださっていて、大変恐縮しているところでございます。

担当の方は、つまむ以外は全部100点とおっしゃってくれました。

 

なんと、顕微鏡の使い方は、習得しました!

小さいものが、とってもよく見えて驚きでした。

ジャパンクオリティーの真骨頂を垣間見れて、とても勉強になりました。

ヒェーーー!!です。ちっちゃい四角に部品が10個もくっついていて、はんだされていて、それをチェックです。

クリーンルームにも入りました。クリーンスーツと呼ばれるやつを着て、目しか見えないようになるのです。サティアンです。

ちょっとぶつかっただけでも不良品の原因になります。

ガサツな国では難しいと思いました。すぐ故障です。

 

中には、顕微鏡酔いをする方もいるそうです。私は、平気そうでした。

本当、つまめれば、、、と悔やまれるところです。

 

本当は、5月の頭には福島に行って除染作業の仕事をする予定だったのですが、あるはずの仕事がなくなりました。

4月には、福島に行くと決まっていたので、部屋を引き払う手配もしてましたので、ちょーやばいのです。6月10日には、出て行かないといけないからです。

ヒェーーーー!!です。綱渡りです。

 

急いで探しますので、と言われたのですが、なかなか決まらないようだったので、急遽、別の仕事も探しました。

愛知やら埼玉やら、三重やら、福島やらどこに行くかは不明でした。

 

新潟の話は、20日ごろにいただき、26日に研修に来ました。

誰でも受かると聞いていたので、大量の荷物を持って長岡に来ました。

予定よりも、4時間も早く着いたので、コインロッカーに荷物を詰めて、街を散策しようと思っていたら、サミットのため、全部使えませんでした。完璧浮浪者みたいでした。

 

31日に研修不合格と聞き、チーンとなっている私に、担当の方が、別の部署で働いてもらえればとおっしゃってくれまして、一生懸命やってくれれば条件も同じでいいとおっしゃってくれまして、仏はいるものだーと涙がちょちょぎれました。

 

この方も、私が好きだった専務に似てまして、無表情で淡々としていますが、心は優しい方のように思います。

 

まあ、ここも決まらないかもしれないですが、生きている限り、死にませんので、仕事はなくとも、生きていますので、ご心配なさってくださっている方もいらっしゃいますかと思いますが、ご心配なさらないで楽しみに待っていてください。

私は、毎日、ちょー不安ですけど、Coccoが教えてくれたヨンナヨンナヨォ~と思いながら、心に負担をなるべくかけないよう、雲や空や風や、虎ノ門ニュースや、本や花や木や、いろんなものの支えで、1日頑張って生きています。

ヨンナヨンナヨォ~は、沖縄のおばあが言ってくれるそうで、若いもんは、これからもずっと生きていかないかんから、焦らずにゆっくりと、ゆっくりとやりなさい、ヨンナヨンナヨォ~ってことだそうです。

 

武田邦彦先生の「昨日は晴れ!今日は朝!」を胸に、とりあえず、今日1日だけ一生懸命生きることです。

 

落ち着いたら、また、こんな感じの面白い報告をしますので、物語を読むかのようにこれを見て、酒の肴にでもしてくださいませ。

きっと、遠くで見ていると楽しいと思いますので。

今読み返している。昔、買った本だ。

何となく、いつかまた読もうと思っていた本だ。

私は、今までにほとんど本を読まない人で、読み切った本も、すごく少ない。多分、10冊もない。

もっと本を読める人間だったらよかったのになぁと思う。

漫画も読まない。

だから、この本は、珍しい本なのだ。

 

さいきん、「坊っちゃん」を読んだ。笑われるかもしれないが、読んだことなんてない。

これは、数少ない読み切れた本の1つだ。

 

坊っちゃんは、大人になってから読んだ方がいい本だと思った。

こんな感じだった。

「ボッチャーーーーン!!マジでーーー!!」

て感じだった。坊っちゃんて、学校の先生なのですが私は、すごく堅苦しい先生のイメージを持っていたのですが、全くです。

そして、夏目漱石さんは、何と若いうちから精神病に苦しんでいたようです。

走りです。夏目漱石さんは、現代病の最先端を走っていたのです。

「この頃から、もう既に始まっていたのかーーー!!」という驚きでした。

未来に生きる、私たちへの忠告のようにも思えました。100年も前に苦しんでいたのです。

 

あと、驚いたのは、お蕎麦やさんでかき揚げそばを4杯もおかわりして食べたということです。

林芙美子さんの放浪記でも驚いたのですが、林さんは、お汁粉を3杯もおかわりをして食べたそうです。お餅6個ぐらいですかね。放浪記は読み切れていません。

とにかく、私が驚いたのは、食べたいと思って3杯も4杯も食べれるということです。力強い。生命力がぜんぜん違う。

 

先日、「欧米に寝たきり老人はいない」という著書の宮本先生が番組でおっしゃっていましたが、人は、自分の生命の終わりに近づくと、食べたくないと言うそうです。食が細くなるそうです。

そういう時に、無理やり食べさせようとしたり、胃に穴を開けて栄養を補給したりしないほうが良いそうです。自然に任せたほうが自然だそうです。

 

食欲は、生命力と比例するように私は思います。

私は、ちいちゃい頃から、食欲旺盛で、20歳で一人暮らしをするようになってから、自分の食欲にうんざりしてきました。いくら食べても、足りないのです。人の2倍は食べてたと妹はよく言います。

ですが、さいきんは、人並みぐらいになったので、良かったなぁとホッとしています。

でも、私の生命力も強い方なのだと、しっかりと認識して生きていかないといけないなぁ、と思っておる次第です。

 

「アルケミスト」パウロ コエーリョについて書こうと思っていたら、「坊っちゃん」になりました。

「本、読もうと思って。何かすきな本ある?」

って聞いてみた。

「岡本太郎の本がすきで、自分の中に毒を持て。読みたいけど忙しくて読めないけど、いつも持ってる。」

 

彼は、私に毒があっていいと、褒めてくれた。嬉しいよ。

できれば、普通に生きてみたかったんだで。

信じられないだろうけどよぉ。

 

でも、今は、諦めてる。

毎度毎度、そんな自分に嫌になっちゃいながらも、そのうちまた、そんな自分が好きになるのだろう。

面白いから。疲れるけど。

 

と、言っても、これしかないから。

わたしには、このヘンテコな私しか、他にはないもんね。

 

おもろいわ。

おもしろく、生きるしかないわ。

 

私が辞めるって聞いて、その晩、夜の定食を食べに来てくれた。

相棒も、時間差で来てくれた。嬉しかった。

 

広告代理店の方が多かった。

みんなのこと好きだった。

かったるーって感じだけど、よしっ!てまた、向かう姿。

戦ってる姿。その合間に来て、ここでご飯食べて、息を抜いて、力入れて、また向かう。

そんな姿に、私は毎日念を送っていたようなきがする。

いつも、祈ってた。

おっさんだって、ピチピチお姉ちゃんにだって、誰にだって、犬のモンタにだって。

どんな念を送っていたのかは、いまいち、そんなにはっきりしない。

ただ、なんとなく、でも力一杯、毎度毎度。

 

私にとって、みんな、愛おしいのだ。

なんて聞いたら、テメーなめてんじゃねーぞと、言われるかもしれないけど。

でも、私なんかより、ずっとスマートに生きていけて、すごいなぁと感心する。頭いい。

そのクセ、言葉にポジティブさを感じるわけさ。どんなに忙しくても、しんどくても。すげーことだ。

荒んでしまいそになるもんだと思うのに。

 

尊敬してた。私より、はるかに若いのに。

私は、何やってんだろーって。

うまくいくようにと、念じてたのかもしれない。


私も、岡本太郎が好きだ。たまに思い出す。太陽の塔。

太陽の塔って、釘らしくて、打たれても引っこまなーい!メーン!という、シンボルらしい。

違うかもしれないが、私はそう思っている。

他にいい意見があれば、そっちにするかもしれないけど、今の所、私にとっての太陽の塔は、打たれても引っこまなーい!もし、打たれても、左右にのびた手があるから、引っこまなーい!メーン!

と、いうことだ。

 

それは、NHKでやっていた岡本太郎のドラマで知ったようにおもう。

http://www.pideo.net/video/pandora/d38d96af7424ac9c/

太郎のお母さん役の岡本かの子をやっていた、寺島しのぶもいい。

 

濃度が濃いと、なんでも毒になる。

、、、うすまれ!

オリオン座

どこに行ってもいるし、見上げるとそこにいる。

トロントに行っても、長野に行っても、東京に居ても、箱根に行っても、石川に帰っても。

 

きっと、私が思う人の上にもいて、どんなかなぁ。

穏やかに寝ているだろうか、悲しんでいないだろうか、笑っているだろうか。

私がそんなふうに思っていると、オリオン座は言うさ。

「だいじょうぶだよ」って。

沖縄の言葉だと、なんくるないさぁ

 

私が思うほどの心配なんて、ないのさ。

そんなことは、知ってる。

それに、心配しても何も変わらないし。

 

でも、心配しないことなんて、できるのだろうか?

みんなはできるのか。もしできるとしたらなら、すごいな。

 

ある日、私に言った。

「あなたが思っているほど、人はあなたのことを思っていない」

と。それなら、それでいいんだ。さみしいけどね。

 

私は、人とは違うんだろう。

未だに、さっちゃんは生きているだろうか、とか、ぽんちゃんは、元気にしているだろうかと思う。

 

だから、オリオン座を見上げるんだ。

オリオン座はいつだっているからな。いつだって見ててくれるから

 

上を向いて、ちょっと探したら、オリオン座がいてくれるからな。

どこに行っても、涙こぼれないぞ。