2020/03/12【論理学】「循環論法」 | パムのてきとーブログ

パムのてきとーブログ

いろいろと書いていきます
当ブログは、民法720条1項/2項(正当防衛/緊急避難)、及び公益通報者保護法2条1項(内部告発)に基づく内容があります。
「パムのトラブル」等への宣言
https://tl.gd/n_1srqui4
同情無用!心配不要!
#拡散希望
https://amba.to/3uhHoy2

※当記事の内容にある用語は下記の記事を参照願います。
https://amba.to/2RTdmRh

※当記事の防衛機制関連の記述は下記の記事・サイトを参照願います。
https://00m.in/WDvzo
https://00m.in/SjbcX

※当記事に出てくる「誤謬」関連の記述は下記の記事・サイトを参照願います。

https://00m.in/AYoA7
https://00m.in/Qy0NQ


※当記事に出てくる「NPD」は「自己愛性パーソナリティ障害」の事です。
 「NPD」については下記の記事を参照願います。

https://00m.in/So6vr
https://00m.in/umc4Z


○循環論法--Wikipedia--(編集/改変/追記 有)
https://00m.in/xvc2e

循環論法とは、
 ・ある命題の証明において、その命題を仮定した議論を用いること。
  証明すべき結論を前提として用いる論法。
 ・ある用語の定義を与える表現の中にその用語自体が本質的に登場していること。

https://00m.in/Ksodv
概説
単に循環論法と言っても、証明における循環論法と、定義における循環論法があるとされている。
証明における循環論法とは、
ある命題の証明において、その命題自体を仮定した議論を用いることである。
つまり循環論法においては論証されるべきことが論証の根拠とされる誤謬が犯される。
どのような形式かと言うと、今、
 命題をPと表すとして、P1, P2… Pn(nは自然数)がある時に、
 P1を証明するのにP2を用い、P2を証明するのにP3を用い、
 といったように証明を進めて、
 Pnを証明するのに(証明したと思いつつ)P1を使ってしまう

ような形式、論の進め方のことである。

<循環論法の概念図。>
https://00m.in/LgZ46
上の図で言えば、
 Aの根拠としてBを用い、Bの根拠としてCを用い、と進んでゆき、Eの根拠としてAを用いた
段階で循環論法になってしまっている。
循環論法では命題自体の絶対的な説明が一切行われないため、
何の論証も行なわない場合と同じことになる。
従って、説明からは何の結論も得ることが出来ない。
ひとつの文章の中に循環論法が含まれている場合や、
循環の鎖の個数が2 - 3個程度であると比較的容易に発見できるが、
数百ページにもおよぶ書物にそれが埋め込まれて巨大な循環を作っていて
それがあるページにおさまっていなかったり、
鎖の個数が多かったりする
と、なかなか発見できないことがある。
ただし、説明の連鎖をマクロに見ると循環はもともと避け得ない。
説明の連鎖のとり得る形としては、
 無限後退に陥るか、
 何ら説明も根拠付けもされないドグマで終了するか、
 また全体として循環する構造を持つか

以外、とり得る形はないだろうと考えられている。
このことはミュンヒハウゼンのトリレンマと呼ばれている。
定義における循環論法とは、ある事柄の定義を与える文や表現の中に、
その事柄自体が本質的に登場していることを言う。
その形式とは、今、
 事柄をWと表すとし、W1, W2… Wnがあり、W1の定義する文(表現)の中に W2が現れ、
 W2の定義する文(表現)の中に W3が現れ、Wnを定義する文の中にW1が現れる

ような形式、構造である。
簡単な例を示せば
 「西とは東と反対の方角である」と定義しておき、かつ東について定義するとき
 「東とは西と反対の方角である」と定義する。

すると定義が循環する。
定義が循環した場合は定義文のみの知識では定義する事柄の絶対的な理解が出来ないため、
定義は不成立となる。
有限の語彙の集合を用いて語彙全体を解説しようとする辞書や百科事典は、
その構造上、定義されていない語を用いて定義を行うか、循環を含んだ定義を行うことが避け得ない。
ここで挙げた東西の例のような循環の輪が狭い場合は既知の事柄が少なくなり有用ではないが、
全体として循環の輪が大きければ、既知の事柄が多くなり有用となる。
このように、循環の輪の中に既知の事柄が1つ以上あれば循環定義であっても有用となりうる。

https://00m.in/3JvVs
循環論法の例
まず分かりやすい例から挙げると、
 「『ハムレット』は名作である。
  なぜなら『ハムレット』は素晴らしい作品だからだ」

といった言明は循環論法である。
また、
 日本国憲法が日本の法体系における最高法規であるとする根拠が、日本国憲法第10章に記載されている
事例も循環論法である。
定義における循環論法の例を挙げる。
例えば、
  《知識》(知られていること)とは何か?
 に関して、古典的な認識論では
  「知識とは、正当づけられた真なる信念である」
 と定義されていたことはよく知られている(この定義自体は特には問題はない。)
 だが今、知識の定義として、この「正当づけられた真なる信念」を採用した状態で、
  「正当づけられた」という意味あるいは定義は何ですか?
 と問われた場合に、もしも
  「“正当づけられた” というのは証明や証拠が知られていることだ」
 と答えてしまう

と、この説明は循環論法に陥ってしまっていることになる。
 「コーランこそがものごとの正しさを決定する。
  なぜそうなのかというとそれはアラーが决めたからである。
   なぜアラーがそう决めたとわかるのか、
  というとそれはコーランに書いてあるから(コーランが正しいから)である。」

といった論証がイスラム教で行われることがあるが、こうした論法もまた循環論法である。
文章を書き換えると、
 「コーランが正しい」の理由が「アラーの決定」で、「アラーの決定」の理由が「コーランが正しい」
となり、循環論法であることが分かりやすくなる。
同様に
 「神の言葉であるものは真である。
   聖書に書かれているのは神の言葉である。
   (なぜならその書には、それが神の言葉だとして書かれているから)」

 という考え方
循環論法の形を持つ。
経済学関連では、しばしば
 様々な説や理論が循環論法に陥っている、
と指摘されている。
例えば循環論法に陥っていた有名な事例として、マルクスの主張した「労働価値説」がある。
この説が循環論法に陥っているという問題点は、ベーム=バヴェルクによって指摘された。
具体的に言うと、
 マルクスは『資本論』の第1巻で
  『商品の価格は投下労働量で定まる』
 と主張していたのだが、
 同書の第3巻1 - 3篇では
  『商品価格は商品の生産コストである「費用価格」に「平均利潤」を加えた「生産価格」で決まる』
  (結局、商品の価格は市場の需給で決まる)
 と主張しており、

循環論法に陥っていた。
ベーム=バヴェルクは単純労働と専門的労働の双方に必要とされる
平均労働時間と商品価値がどのような関係にあるかを研究していたのだが、
その中で、マルクスの主張した労働価値説が循環論法に陥っていることに気付き、
論文「マルクスとその体系の終結」においてそれを指摘したのであった。
また ケインズの利子論について
 「 将来における利子率の上昇や低下の予想が現在の利子率を決める
  という循環論法に陥っている可能性がある」
といったことをロバートソンは述べた。
グローバル経済でドルが基軸通貨として使われていることに関して、
 「 人々がドルを貿易などに使うのは、ドルで米国のものを買うためではなく、
    “取引相手がドルなら受け取るから”
   という理由からであり、
    “他国がドルを基軸として使うから、自国もドルを基軸として使う”

  という循環論法によっている」
と言われることもある。

「パムのトラブル」の核心部分がこの「循環論法」です。
”「キッカケの女性は常に正しい事をして、常に正しい事を言う。
  なぜならば、キッカケの女性本人がそのように主張しているからだ。
  そして、パムは
   『パムはキッカケの女性を憎んでいない』
  と言っているが、キッカケの女性は
   『キッカケの女性はパムに憎まれた。』
  と言っている。
  よって、パムはキッカケの女性を憎んでいる。」”

下記の記事からの引用を参照願います。
そこから、以下の通りの「循環論法」が成立するのです。
 ”「キッカケの女性本人が自分は完璧であると主張しているので、
   キッカケの女性は常に完璧である。」”

・・・、「パム」はこの主張自体が崩壊しすぎているので、呆れてしまって何も言えませんwww

○2020/03/04【論理学】「自然主義の誤謬」--パムのてきとーブログ--(編集/改変/追記 有)
https://00m.in/OZqTa

「パムのトラブル」で「自然主義の誤謬」も「パム」は喰らいました。
しかし、「パムのトラブル」の場合だと、
「記述文の前提」から「規範文の結論」に到る前の段階から説明する必要があります。
それは、「キッカケの女性」「ストーカー50男」に「NPD」の傾向が強い事を踏まえる事です。
「NPD」は、「自信がない臆病な自分」を無意識で隠そうと、次の行動を取ります。
 「否認の防衛機制」「自信がない臆病な自分」が存在しないかのようにふるまう。
 ・「分裂の防衛機制」で「標的」になった人が「自信がない臆病な自分」であると思い込む。
 ・「希望的観測の防衛機制」で自分が「全ての人」から尊敬されている「偉大な存在」であると思い込む。
 ・「社会的な上向き・下向きの比較の防衛機制」「全ての人」が自分より「社会的に下位」と思い込む。
 ・「統制の防衛機制」自分の周囲が自分の思い通りになるように「コントロール」する。
 ・「理想化の防衛機制」「利用価値がある人」をおだてた裏でその人の「成果」を奪い取る。
 ・「脱価値化の防衛機制」「利用価値が無くなった人」に対して「執拗な攻撃行為」を継続する。
 ・「投影の防衛機制」「標的」に対して「自信がない臆病な自分」の姿が「標的の性格」だと攻撃する。
 ・「行動化の防衛機制」周囲「標的」の悪評を吹聴して「モラハラ」「ガスライティング」する。
 ・「歪曲の防衛機制」「標的」の全てが「人間として劣った証拠」であると見下す。
 ・「シゾイド幻想の防衛機制」「標的」の行為が全て「自分への攻撃」であると思い込む。
 ・「躁的防衛の防衛機制」「標的」「ストーキング」して「標的」の生活を破壊する。
 ・「受動的攻撃行動の防衛機制」で「標的」に対して「標的を攻撃する怒りの真意」を明確にしない。
 ・「合理化の防衛機制」で自分の問題行動について「強引な理論でもって正当化」する。
 ・「投影性同一視の防衛機制」「投影」前提で「標的」に接触すると「標的」がその通りに動く。


これらの「詭弁/誤謬」の前提にあるのは、
 ・「キッカケの女性」は完璧な人である。
 ・「キッカケの女性」は偉大な人である。
 ・「キッカケの女性」は全ての人から慕われている。
 ・「キッカケの女性」を嫌う/憎む人は存在しない。
 ・「キッカケの女性」の考えは全て正しい。
 ・「キッカケの女性」は一度も失敗していない。
 ・「キッカケの女性」は善い行動しかしない光の存在である。
 ・「キッカケの女性」は一度も悪事を働いていない。
 ・「キッカケの女性」は他人のせいで「恥をかかされる事」を嫌悪する。
 ・「キッカケの女性」に攻撃した人は「キッカケの女性」が潰す。

と言う「NPD」特有の「妄想」なのです。