2019/04/03 【人間関係】「隗より始めよ」の由来とは? | パムのてきとーブログ

パムのてきとーブログ

いろいろと書いていきます
当ブログは、民法720条1項/2項(正当防衛/緊急避難)、及び公益通報者保護法2条1項(内部告発)に基づく内容があります。
「パムのトラブル」等への宣言
https://tl.gd/n_1srqui4
同情無用!心配不要!
#拡散希望
https://amba.to/3uhHoy2

http://ur2.link/ctVn


「隗より始めよ」という言葉は、
 大きな事を成そうとする時には、まず身近な小さな事から始めよ、
そこから転じて、
 物事は言い出した者から始めよ、
といった意味を表す言葉ですが、
こうした「隗より始めよ」という言葉のもともとの由来は、
 紀元前3世紀の古代中国の戦国時代における燕(えん)の国の郭隗(かくかい)という名の政治家の言葉に基づく故事
に求められることになります。

そして、
こうしたもともとの古代中国の故事においては、
「隗より始めよ」という言葉は、
 上述したような身近なことからコツコツ積み重ねていくといった意味や、
 言い出しっぺとなった当人が他の人が嫌がるようなことでも自ら率先してやり始めることで他者の模範となるべきである
といったこの言葉の現代における通常の使われ方とは、少し異なる趣を持った意味で語られているとも考えられることになるのです。

実は、「パム」がこの言葉と知り合った時は、「本来の意味」での解説付きで知ったのです。
今ではこんな意味に変わっているなんて、今まで知りませんでした。




燕の国の郭隗が示した万人が得する人材登用と富国強兵の策

紀元前3世紀の古代中国の戦国時代、戦国の七雄のうちの一国して数え上げられていた燕の国は、
都を現在の北京にあたる薊(けい)に置く黄河の北東に位置する国であり、
その領土は広く東方の遼東半島にまで及んでいたと考えられるのですが、
その一方で、
当時、燕の国は、南方の強国である斉(せい)からの度重なる侵略を受けることによって、国力に衰退のきざしが見えていくことになります。

そして、
こうした燕の国を取り巻く状況を打破するため、当代の燕王であった昭王(しょうおう)は、
 国力を豊かにし、国家を率いていくのに値する有能な人材を国の内外の各地から広く招く
ことを試みるために、
ちょうど都の近くに住んでいた郭隗(かくかい)という名の賢者に、
 こうした有能な人材を燕の国へと集めるために何か良い策はないか?
と尋ねることにします。
すると、そうした燕王の問いかけに対して、郭隗は、
 「いま王、必ず士をいたさんと欲せば、まず隗より始めよ。
  いわんや隗より賢なる者、あに千里を遠しとせんや」
  (もしも王がぜひとも有能な人材を招き入れたいと望むのならば、まずこの隗から始めるのが良いでしょう。
   そうすれば、この隗よりも賢い者ならば、必ず千里の道をも遠いとは考えずに遠方からこの国を訪れにやってくるはずです。)
と答えることになります。
そして、
こうした郭隗の申し出を素直に受け入れた燕王は、郭隗のことを高禄で召し抱えたうえで、彼のために宮殿まで築いて厚遇していくことになります。
すると、
 郭隗くらいのそこまで世の中に名が広く知れわたっているとは言えないそこそこの人物であっても、
 これほどまでの手厚い待遇で迎えられるのならば、
 自分のような人物でも燕の国にまで出向けば、郭隗を上回るほどの厚遇で迎え入れてもらえることになるかもしれない
と希望と野心を抱く有能な人々が、数多く燕の都を訪れることになり、
そうした数多くの有能な人材に恵まれていくことによって、燕の国は再び国力を取り戻し、最盛期を迎えていくことになります。
実際、こうした郭隗の策に応じて燕の国に集まってきたあまたの人材の中には、
例えば、楽毅(がくき)という知略と軍略に優れた名将の名なども含まれていて、
その後の昭王の治世の時代において、
燕の国は、こうした楽毅が率いる連合軍の軍勢によって斉の国の都であった臨淄(りんし)にまで一挙に攻め上ってこれを攻め落とすことで、
一時は、斉を壊滅寸前の状態にまで追い込み、
その後も楽毅は、斉の国の領内を縦横無尽に駆け巡って攻略を続け、斉の国の七十以上の城を燕の領地へと加えることによって、
戦国時代における燕の最大版図を築き上げるという大事業を成し遂げるに至ることになるのです。

「パム」はこの故事と同時にこの言葉を知ったのです。




個人の利益の追求と社会全体の幸福の実現の一致としての「隗より始めよ」の本当の意味

以上のように、
古代中国の故事においては、
燕の国の賢者である郭隗が示した人材登用と富国強兵のための策の中で、こうした「隗より始めよ」という言葉が語られていくことになるのですが、
ここでは、必ずしも、
 他人が嫌がるようなことを自ら率先して行うことによって模範となるといったことや、
 単に身近なことから地道にコツコツ始めていくことで大事を成すに至る
といったことが述べられているというわけではなく、
上記の故事において郭隗は、むしろ、
 この策をはじめに思いついた先駆者である自分がまず先に利益を得ることによって、
 それを見ていた様々な才能を持った他の人々も燕の国に集まってきて厚遇されることによって利益を得ることになり、
 さらには、そうした有能な人材が数多く集まることによって、
 燕の国全体がさらに豊かになり、万人が得をしていくことになる
といった意味で、こうした「隗より始めよ」という言葉を語っていると考えられることになります。
つまり、そういう意味では、
こうした「隗より始めよ」という言葉の由来となる古代中国の故事におけるもともとの意味においては、この言葉は、
 他人や社会のためになると同時に、自分自身の利益にもなることを自ら率先して行うことによって、
 周りの人々を自然により良い方向へと導いていく
という個人の利益の追求が社会全体の幸福の実現とも一致するような理想的な政策や処世術のあり方を示しているとも考えられることになるのです。

「パム」が受取ったニュアンスはこっちの方でした。
現在の日本では「労働力不足」が問題になっております。
「パム」が社会に出てから、「人材難な業界」を見てきました。
その度にこの言葉が頭をよぎります。



企業などの法人は、「顧客・労働者・経営陣」の3者で成り立ちます。
国などの行政は、「国民(有権者)・職員(公務員)・国家機関(政府・議会(与党・野党)・裁判所」の3者で成り立ちます。
そのどれかの存在が過剰だとバランスが崩れます。
これは、もし、労働者を厚遇した場合でも過剰に厚遇した場合は、企業運営上でのバランスが崩れると言う意味も含んでいます。
もちろん顧客を大切にするのは当然ですが「クレーマー」レベルまで相手にするのも論外です。
そして、顧客や労働者を軽視した場合は、企業としての行く末が見えています。

じゃあ、どうすれば良いのでしょうか?
 「隗より始めよ」
これを念頭に置いて再考する必要があると思います。

そして、「パム」自身、ど~しましょwww



<参考>
○十八史略 「先従隗始」 現代語訳 --漢文塾--
http://ur2.link/09lq


<漢文>

先従隗始

燕人立太子平為君。
是為昭王。
弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者。
問郭隗曰、
 「斉因孤之国乱、而襲破燕。
  孤極知燕小不足以報。
  誠得賢士与共国以雪先王之恥、孤之願也。
  先生視可者。
  得身事之。」
隗曰、
 「古之君有以千金使涓人求千里馬者。
  買死馬骨五百金而返。
  君怒。
  涓人曰、
   『死馬且買之。況生者乎馬今至矣。』
  不期年、千里馬至者三。
  今王必欲致士、先従隗始。
  況賢於隗者、豈遠千里哉。」
於是昭王為隗改築宮、師事之。
於是士争趨燕。
(十八史略)


<書き下し>

燕人、太子平を立てて君と為す。
是れ昭王為り。
死を弔ひ生を問ひ、辞を卑(ひく)くし幣を厚くして、以て賢者を招く。
郭隗(くわくわい)に問ひて曰はく、
 「斉は孤の国の乱るるに因りて、襲ひて燕を破る。
  孤極めて燕の小にして以て報ずるに足らざるを知る。
  誠に賢士を得て与(とも)に国を共にし、以て先王の恥を雪(すす)がんこと、孤の願ひなり。
  先生可なる者を視(しめ)せ。
  身之に事(つか)ふることを得ん。」
と。
隗曰はく、
 「古の君に千金を以て涓人(けんじん)をして千里の馬を求めしむる者有り。
  死馬の骨を五百金に買ひて返る。
  君怒る。
  涓人曰はく、
   『死馬すら且つ之を買ふ。況(いは)んや生くる者をや。
    馬今に至らん』
  と。
  期年ならずして、千里の馬至る者三。
  今、王必ず士を致さんと欲せば、先づ隗より始めよ。
  況んや隗より賢なる者、豈(あ)に千里を遠しとせんや。」
と。
是に於いて昭王隗の為に改め宮を築きて、之に師事す。
是に於いて士争ひて燕に趨(おもむ)く。


<現代語訳>

燕の人たちは、太子平を擁立して王とした。
これが昭王である。
昭王は戦死者を弔い、生存者を見舞い、へりくだった言葉づかいをし、多くの俸禄を与え、賢者を(国に)招こうとしていた。
昭王は郭隗に次のように尋ねた。
 「斉は私の国が乱れていることにつけこんで、攻め入って燕を打ち破りました。
  私は、この燕の国が小国で、斉に報復できないことを十分承知しています。
  嘘偽りなく、賢者を得て一緒に国を治め、先代の王の恥をすすぐことが私の願いです。
  先生、よい賢者を教えて下さい。
  私はその方に仕えることになるでしょう。」
郭隗は次のように言った。
 「昔の王に、千金(の大金)で、そば近くに仕える者に、一日に千里を走る名馬を買いに行かせた方がいました。
  (ところが)死んだ馬の骨を五百金の値段で買って帰って来たのです。
  王は怒りました。
  しかし、死んだ馬の骨を買った人が言うには、
   『死んだ馬(の骨)でさえ、(五百金もの大金で)買ったのです。
    生きている馬なら、なおさら高く買うに違いないと(馬を売る人たちは)思うでしょう。
    (千里の)馬は今に集まってくるでしょう。』
  一年もたたないうちに、千里の馬が三頭も集まったのです。
  王様、どうしても優秀な人物を招きたいなら、まずはこの隗をお召し抱え下さい。
  (そうしたら、)この隗よりも賢い人物は、どうして千里の道を遠いと思うでしょうか(遠いとは思わずに仕官しに来るはずです)。」
そこで、昭王は隗のために住居を築き直し、師事した。
こうして、賢人たちが我先にと燕にやって来た。