http://qq3q.biz/WAMj
「
「おごる」という言葉がある。
漢字の表記は、
奢る、
驕る、
傲る、
となる。
まさに大に者と書いて「奢る」ということことが全てのような気がする。
つまり「おごる」とは、
己を大きい者だと過信して、相手を見下し、贅沢に耽る
ことである。
人が「奢る」結果どうなるか、と言えば、それは平家物語が説く如く、滅びの道に至ることになる。
」
「パム」も常に思っています。
・自分は完璧である
と思った結果は、「滅びる」だけだと常にキモに銘じております。
「
平家物語では、「奢る」という言葉が、たったの二回しか使われていない。
あの長編にしてたったの二回である。
しかもその二回の使用も、物語全体の序文あるいは跋文とも言うべき巻第一の冒頭「祇園精舎」においてだけである。
ただ平家物語を読む者は、この「奢る」という言葉の持つ響きと意味を忘れることはない。
つまりそれほど「奢る」という言葉が、日本人の心に深く残っていることは、実に驚くべきことであり、
何か特別に意味のあることのようにも思えてくる。
」
「平清盛」を筆頭とする「平氏政権」は、かつての「藤原道長」時代の「摂関政治」の全盛期と並ぶほどの栄華を誇りました。
しかし、その栄華も長くは続きませんでした。
当時の朝廷は「平安京」にあったので、「平氏政権」も「平安京」が拠点でしたが、
「平氏」の拠点は「坂東(今の関東地方)」でして、そこに流されたのが「源頼朝」でした。
そして、「坂東の平氏」の多くはその後、「源氏側」で闘っているのです。
「
平家物語の冒頭の部分を引用してみよう。
」
(参照ページの文章が足りなかったので、
「『平家物語』の原文・現代語訳1:祇園精舎の鐘の声~ --総合心理相談 ES DISCOVERY--」から引用しました。
http://qq3q.biz/vTgI
※文字コード関係で表示できない文字が原文にあります。
※引用元のふりがなは省略しました。
)
「
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
遠く異朝をとぶらふに、
秦の趙高、
漢の王莽、
梁の朱い、
唐の禄山、
これらは皆旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諌めをも思ひ入れず、
天下の乱れん事をも悟らずして、民間の憂ふる所を知らざりしかば、久しからずして亡じにし者どもなり。
近く本朝を窺ふに、
承平の将門、
天慶の純友、
康和の義親、
平治の信頼、
これらは驕れる事も猛き心も、皆とりどりなりしかども、
間近くは、
六波羅の入道前の太政大臣平の朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も言も及ばれぬ。
」
最初に、中国と日本の歴史上で国政を荒らした人物を列挙した後に、「平清盛」を出しています。
「勧善懲悪的歴史観」では、「平清盛」は「悪」であると言うのが通説でしたので、
この出し方になるのも当然でしょう。
<参考>
○趙高 --Wikipedia--
http://qq3q.biz/UE8h
○王莽 --Wikipedia--
http://qq3q.biz/o1VN
○朱イ --Wikipedia--
http://qq3q.biz/rJWW
○安禄山 --Wikipedia--
http://qq3q.biz/Rj7v
○平将門 --Wikipedia--
http://qq3q.biz/YRdz
○藤原純友 --Wikipedia--
http://qq3q.biz/KWJv
○源義親 --Wikipedia--
http://qq3q.biz/6J3V
○藤原信頼 --Wikipedia--
http://qq3q.biz/HrWO
「
それを私が、意訳すればこのようになるである。
」
(参照ページの文章が足りなかったので、
その部分のみ、「『平家物語』の原文・現代語訳1:祇園精舎の鐘の声~ --総合心理相談 ES DISCOVERY--」を参照して改変/追記しました。
http://qq3q.biz/vTgI
※文字コード関係で表示できない文字が原文にあります。
※引用元のふりがなは省略しました。
)
「
祇園精舎に響くという鐘は、仏が言われる如く
「全てのことは過ぎ去り常なるものはない」
という言葉のように聞こえてくる。
そこに咲いているという沙羅双樹の花もまた、
「今を盛りと咲く花もいつかは衰え行くぞ」
という現実をを暗示しているのである。
盛り時は、春の夜に見る夢のように儚いつかの間の夢なのである。
どうしようもないほど勢いがあると思われた者でも、いつかは滅びてしまうのである。
すべては風に舞う塵のようなものだ。
遠く他国を見れば、
秦の趙高、(※参照元では「始皇帝」でしたが「趙高」と「始皇帝」は別人です。)
漢の王奔、
梁の朱い、
唐の禄山
これらの者どもは皆、古い習わしを蔑ろにし、国のあり方を勝手に代えて、私欲に耽り、楽しみを極め、
忠義の者の諫めの言葉にも聞く耳を持たず、国中が乱れつつあることも悟らず、民の悲しみや苦しみを知らず、
ついには自らの秩序を維持できずに滅びた者どもである。
近くわが国を見れば、
承平の将門、
天慶の純友、
康和の義親、
平治の信頼、
これらの者どもは、その「奢り」も「猛き心」も皆それぞれに違うけれども、
間近くは六波羅の入道平清盛公と申す人の有様を聞くに付け、「奢る」ということがいかなる結果をもたらすかを思い知るばかりである。
それはまさに筆舌に尽くしがたい恐るべき歴史法則であることだ。
」
この「平家物語」が登場した当時の日本の大事件は、「源平合戦(治承・寿永の乱)」なのです。
一瞬にして権力のトップにまで昇進した「平氏政権」は、「源頼朝」率いる「源氏」(実は「坂東平氏」も加勢してた)の勝利で一瞬にして滅びました。
「
このように考えると、平家物語には、仏教説話的な様相があることが分かる。
つまり教訓話なのである。
平家物語が、まさに言わんとしていることは、
「人間という者が、奢れば、必ずその報いは受けますよ。
滅びますよ。
そんなに猛々しい心を持って、世の中を渡って行けば、平家の人々のようになってしまいますよ」
と、いう一点である。
ただ作者は、そのような歴史法則の物語として書いたものであるが、
それが人々に受け入れられる過程で、その奢った者どもが、滅びていく様に、儚い美しさが、イメージとして加味されて行った。
その結果、「平家物語」から多くの「滅びの美学」に通じる芸術が派生していくこととなったのである。
それはおそらく平家物語の中に、作者も意図しなかったような、
日本人特有の美に対する無意識(ユングの言う集合的無意識)が働いていたのであろう。
言い方をい換えるならば、平家物語が、日本中で受け入れられていく過程において、
日本人の中に無意識として存在していた「滅びの美」というようなものと、「平家物語」が共鳴した結果であろう。
ともかく「奢れる者」が滅びゆく様を教訓として、世の中に喧伝しようとした作者の創作意図とは、
まったく別の方向において、平家物語は受容されていくことになったと見ることができるのではあるまいか。
」
「パム」はこの「平家物語」の冒頭を「教訓」としております。
大学時代の「パム」は「奢り」がありました。
しかし、その結果は今に至る惨憺たる日々になってます。
「
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
」
これを、深くキモに銘じているのです。
なお、「パム」が30歳前後の時に、この「平家物語」を「漢詩/漢文 風」に翻訳しました。
※朗読等は「声調」を無視する為、ピンインに「声調」がついていません。
「
祇園精舎之鐘声(Qiyuanjingshe zhi Zhong Sheng)
諸行無常之響有(Zhuxingwuchang zhi Xiang you)
沙羅双樹之花色(Suoluoshuangshu zhi Hua Se)
盛者必衰之理表(Shengzhebishuai zhi Li biao)
奢者不久也(Shezhe bu jiu ye)
唯如春夜夢(Wei ru Chunyemeng )
猛者遂亡也(Mengzhe sui wang ye)
偏同風前塵(Pian tong Feng qian chen)
遠訪異朝(Yuan feng Yichao)
秦之趙高(Qing zhi Zhao Gao)
漢之王莽(Han zhi Wang Mang)
梁之朱■(日:I 中:Yi)(Liao zhi Zhu Yi)
唐之禄山(Tang zhi Lushan)
是等皆不従(Shi deng jie bu cong)
旧主先王政(Jiuzhu Xianwan Zheng)
極楽不思諫(Ji le bu se jian)
不悟天下乱事而(Bu wu Tianxia Luanshi er)
不知所民間憂而(Bu zhi suo Minjian You er)
不久亡者也(Bu jiu wang zhe ye)
近伺本朝(Jin si Bengchao)
承平将門(Chengping Jiangmen)
天慶純友(Tianqing Chunyou)
康和義親(Kanghe Yiqin)
平冶信頼(Pingzhi Xinlai)
是等皆驕事(Shi deng jie Jiaoshi)
猛心皆取有(Mengxin jie qu you)
間近者伝聞(Jianjin zhe Chuan wen)
申人(Shenren)
六波羅入道前太政大臣平朝臣清盛公(Liuboluo Rutao qian Taizhen Dachen Ping Chaochen Qingsheng gong)
之有様(Zhi you yang)
不及心詞哉(Bu ji Xin Ci zai)
」
そもそもこの「平家物語」は「琵琶法師」が「琵琶」と言う楽器と共に語っていた物語です。
「漢詩/漢文」にすると解り易いのですが、この「平家物語」には「リズム」があります。
一度、ノリノリのリズムでこの朗読をしたいです!