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日本ではエル・ヒガンテ、WWEではジャイアント・ゴンザレスとして活躍した
ホルへ・ゴンザレス(本名)が、9月22日(現地時間)母国アルゼンチンで亡くなった。
享年44。

安らかなご永眠をお祈りいたします。

95年に引退したヒガンテは、09年10月頃には糖尿病の合併症で苦しみ
車椅子生活で腎不全で人工透析、巨人症などと闘病生活だったらしい。


ヒガンテの2メートル31センチ(220キロ)の身長は
アンドレ・ザ・ジャイアントの223センチ(236キロ)よりも高く注目され、
プロレス史上最高の高身長を誇った。
日本ではアンドレが「人間山脈」「一人民族大移動」と呼称されることに肖り、
ヒガンテは「動くアルプス」と呼ばれた。

66年、アルゼンチン・フェルモサ州出身でバスケットプレイヤーとして活躍。
16歳の時には既に2メートル15センチ、170キロだったという。
アルゼンチン・ナショナル選抜チームに所属し、85年の南アメリカバスケット選手権で
3位となり、86年にはFIBA世界選手権(バスケットボール世界選手権)にも出場。
(24ヶ国が参加し優勝は米国、アルゼンチンは12位)
この活躍が目に留まり、NBAドラフトでアトランタ・ホークスに指名され入団したが、
NBAでは活躍できずに廃業した。
プロレスだけでなく、バスケット選手としても世界一の身長を誇った。



ホークスのオーナーはWCWも所有していた「テレビ王」テッド・タナー。
WCWの副社長ジム・ハードやJR(ジム・ロス)にスカウトされ、プロレスラーへ転向。
ヒロ・マツダ(元NWAジュニアヘビー級王者で名コーチ。ハルク・ホーガン、
スコット・ホール、レックス・ルガー、ロン・シモンズ、ポール・オンドーフなど数知れずの
スター選手を育成した)のコーチを一年間受けた。

WCWの主力大会だった「グレート・アメリカン・バッシュ90」で、
破格のプロレスデビューを果たす。
その後は、NWAヘビー級(WCWヘビー級)の王者リック・フレアーにも
再三挑戦するベビーフェイスだった。



当時、WCWと新日本プロレスが業務提携を結んでいたこともあり、
新日本の東京ドーム大会「91スターゲード闘強導夢(とうきょうどーむ)」で
日本初登場を果たした。
同じくWCW所属選手だったビッグ・キャット・ヒューズ
(後にWWEやECWで活躍)を撃破した。
同年8月には獣神サンダーライガーとの凸凹タッグ結成、
翌年の東京ドーム大会では新日本外国人エースのビッグバン・ベイダーとも対戦した。



93年にWWEへ移籍。
髭を蓄え、全身筋肉ボディスーツを着用し、ジャイアント・ゴンザレスとして登場。
WWEのドル箱スター、ジ・アンダーテイカーを急襲し、抗争開始。
同年のレッスルマニア、サマースラムでテイカーと死闘と繰り広げたが、
その後WWEを退団した。



再び日本を主戦場にし、新日本では福岡ドーム大会で安田忠夫と対戦し勝利。
新日本のラストマッチとなったザ・グレート・ムタには、毒霧からムーンサルトプレスで
フォール負けを許した。
天龍源一郎率いるWARにも参戦したが、その後坐骨神経痛などを理由に引退した。



アンドレが亡くなったのは46歳。
WWEで活躍している2メール13センチといわれる
現在38歳のビッグ・ショーは以前どこかのインタビューで
「アンドレの件もあり、自分も巨人症で短命なんじゃないかと覚悟はある」と
いうようなことを発言していた記憶がある。
人間の心臓の大きさなんて体のサイズと比べれば、さほどどの人間も変わらない。
ちなみに全日本へ来日したランド・オブ・ジャイアンツ(スカイウォーカー・ナイトロン、
ブレード・ブッチ・マスターズ=共に2メートル13センチと称されたが
実際は2メートル9センチくらいだったらしい)は、
ナイトロンは96年にプロレスを引退していて現在43歳で映画俳優として活躍。
(X-MEN、ザ・ロック主演のスコーピオンキングなどにも出演)
マスターズは今、どうしているのかわからなかった。