本日、元横綱・初代若乃花の花田勝治さんが亡くなりました。
花田さんと言えば、故・先代二子山親方の兄であり、花田勝さんと貴乃花親方の伯父でもあります。
現役時代は小さな体で横綱(昭和生まれ初の横綱)にまで上り詰め、必殺「仏壇返し」で多くの強豪力士をなぎ倒して優勝10回。
その姿は「土俵の鬼」と形容され、ライバルの横綱・栃錦とともに、テレビ放送が始まって間もない時代、お茶の間を沸かせました。
引退後は二子山親方として後進の指導に当たり、1975年3月場所には弟である大関・貴乃花(故・先代二子山親方)が初優勝した際、審判部副部長ながら、周囲の粋な計らいで優勝旗を授与し、感動を呼びました。
その17年後の1992年1月場所には、甥の貴乃花(当時・貴花田)が前頭2枚目で初優勝、今度は理事長として優勝旗を授与し、再び感動の名シーンとなりました(当時・小学生だった私もウルッときました)。
理事長としての彼の功績は何と言っても、次の2点でしょう。
まず、「立ち合いの正常化」。
昭和50年代のビデオなどを見ていると、ほとんどの力士が土俵にほとんど手をつかずにぶつかっています(特に北の湖なんかヒドイです・笑)が、彼はそれを良しとせず、手つき不充分には罰金制度まで課すなど徹底的に正常な立ち合いを追求、規律ある土俵の充実に貢献しました。
もうひとつは、「海外公演」。
当時の大相撲は若貴フィーバー全盛期で、日本中は相撲ブームに沸き立っていましたが、海外にも相撲という文化を紹介し、その魅力を伝えたいと花田さんはブラジル(1990年)、イギリス(1991年)での海外公演を実施しました。
以前より海外公演は実施されていましたが、もっと実施間隔が開いていましたし、相撲ブームということもあり、海外のマスメディアがこの時ほど大きく取り上げたことはなかったのではないでしょうか。
いずれにせよ、これが世界に相撲をより強く印象づける契機になったことは間違いないのではないでしょうか(力士たちも海外出張を経験し、さぞ良い経験をされたことでしょう)。
理事長を2期務めたあと、相撲博物館館長を96年9月まで務め、メディアからは姿を消し、隠居されました。
とは言え、その後も貴乃花の洗脳騒動及び若貴の確執、故・先代二子山親方が死去した際の遺産相続問題などでちょくちょくメディアには姿を出され、最近では力士の賭博問題に関する新聞を心配そうに読まれていたとのこと。
心中穏やかではない老後だったことでしょう。
ちなみに、歴代横綱のなかでは、梅ヶ谷の83年に次ぐ82年の生涯、大往生ではないでしょうか。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。