権力チェックを怠り何時も真実を伝えていない新聞やテレビに、不満な
ちょい悪ですが、こんな記事を見つけましたのでみなさんに知っていた
だきたくUPしました。

書ける理由と書けない理由

コラム狙撃兵
長周新聞 2019年7月19日

 「大手メディアがれいわ新選組の活躍を黙殺しているなかで、どうして
山口県に拠点を置いている長周新聞は1面トップで自由に報道できるの
か知りたい」との問い合わせがメールや電話等で相次いでいるので、丁
寧にお答えしたいと思います。

 長周新聞はいかなる権威に対しても書けない記事は一行もない言論
機関であると宣言し、今日までその立場を貫いてきました。社会全体にとってよくないこと、社会悪であると判断した物事については誰にも遠慮
せずに批判を加え、称揚すべきはおおいに称揚し、書くべきことは書く。

それが長周新聞の生命線であると考えています。不自由さに縛られ、口
にてつをかまされた馬のように語るべき何らの機関もない、いいたいこと
もいえないがんじがらめにされた世の中にあって、人間が自由にのびの
びと精神を解放し、戦争も貧困も搾取も抑圧もない豊かに暮らしていけ
る社会を実現するために、言論機関として役割を果たさなければならな
い--。

そのために人と人をつなぎ、協力し、団結できるすべての力と
のつながりを求め、発信し続けることが使命であると考えます。

 なぜ権力者や巨大な資本に遠慮しないで好きなことが書けるのか? 
それは、彼らから金銭的に何ら世話になっておらず、遠慮する必要がな
いというのが一番の理由です。創刊以来、困難な経営状態には変わり
ありませんが、一人一人の読者の皆様から頂く1カ月1500円の購読
料、そして夏と冬に山口県中を走り回って読者や支持者の皆様にお願
いして頂くカンパ、「もっとがんばれ!」といって全国から支持者の皆様
が寄せて下さるカンパ、さらに中小零細企業や商店、病院をはじめとし
た方々に協力して頂く年賀・暑中見舞い等の広告料のみに依存し、巨
大な組織や団体などのスポンサーに依存することなく運営しています。

それは金銭的な困難さこそあれ、スポンサーの顔色を伺って書くべき
ことが書けない、あるいは銀行を通じて圧力が加えられるというような
状態を排除し、紙面への介入を許さないためには避けられない選択で
す。

自由に書くべきことを書く言論活動の最大の保証でもあります。嘘偽り
なく読者・支持者の皆様に支えられ、守られ、存在しているのが長周新
聞社の現実です。

 世の中、なにをするにもおカネは必要となり、カネが人を支配し、企
業を支配し、かつては無冠の帝王などといわれたジャーナリズムとい
えども支配されます。背に腹は変えられない状態で安易に身を委ねて
しまうと、次の瞬間から忖度をはじめ、いいたいことの一つもいえなくな
り、書けなくなってしまいます。

そうして武器であるペンを折って軍門に降ってしまい、いまや足腰が
立たなくなるほどジャーナリズムが堕落してしまっています。

喜んで権力者から寿司を奢ってもらうような者までがジャーナリストを
名乗っている始末です。口に鉄をかまされた馬ならぬ、口に寿司をか
まされたジャーナリストとでもいうのでしょうか。

 どうして報道できるのか? と聞かれて思うことは、巨大メディアはど
うして報道できないのか? という裏返した問題です。それはスポンサ
ーや電通に頭が上がらないからであり、擁護している対象が権力者や
資本だからにほかなりません。私たちはそのように金銭的に支配しよ
うとする力や誘惑を断り、逆を行くかわりに、この目で見たれいわ新
選組の台頭や日本社会の変化についてあるがままを自由に報道した
いと考えています。

「誰にも何も伝えない」ジャーナリズムもどきに成り下がるのではなく、
「みんなにすべてを伝えたい」を選択します。その違いは、私たちが守
るべきは困難な状況に置かれた民衆であり、弱者であり、それが創刊
以来脈々と引き継がれてきた信念だからです。 武蔵坊五郎



初心や使命を忘れたマスコミ、ジャーナリストがほとんどの中で、
長周新聞のような方々が増えてくれることを切に望みます。