「ここに来て、一つでいいから、
 自分の純度100%の作品を作ってみたかったんですよね…。」

 


物静かで、あまりプライベートなことは知らない社内の人。
彼も私と同じく、今年度いっぱいで退職するらしい。



でもわざわざ、こんな田舎に来るくらいだから、
ここで働く何かしらの理由はあると思っていた。


彼の仕事は事務職で、自分の作品を作る環境にはない。
ゴミ捨てや外庭の清掃、設備管理など、事務職といえども、
便利屋さんみたいに何でも自分でやらなくちゃいけない職場だ。



超田舎だから、ゴミ捨て場まで車で運ぶ。
雑誌を束ねた資源ゴミとか、かなり重い物もあるから結構大変。

 

 

それに加えて、職場の水道はお湯が出ない。
外気温が-10℃くらいになるので、室内での作業といっても、水はすごく冷たい。
その冷たい水で、メンテナンスのために機械の部品をザブザブ洗う。
手は真っ赤になっている。

 

 

それでも、彼の仕事ぶりは正直、目立たない。



ゴミ袋がなくなってスッキリしても、彼の仕事に気づく人はいない。
機械が無事に動いていることは、「当たり前」。
追いやられた仕事を、彼が何も言わず、引き受けてくれている。
淀んだ空気を、読んでくれている。

 


そんな彼だけれど、事務作業はなぜか遅かった。
ただデータを入力するだけなのに…なぜ?

 

 

でも、彼が入力したエクセルデータを見て驚いた。
前とは別物だったから。

数式には工夫がされていて、表のデザインも、文字のフォントも大きさも、
とても見やすくなっていた。



まるで、彼の仕事そのものだ。
実は、緻密な工夫が施されていて、使いやすくて見やすい。
色んな人に優しい。

 

 

これまで何年も、下手したら何十年も放置されていて、でも、
無いと困るデータが、彼の手によって、いつの間にか出来上がっている。

 


彼は退職に対して
「せっかくここに来たけれど、食っていけないし、完全敗北っす!」
なんて、軽い感じで笑ったけれど。

 


彼の、ここでの仕事のキャリアは、来年の3月で断ち切られてしまう。
でもきっと、彼の人生での積み上げは、そんなことではびくともしないだろう。

 

 

ここでの報われなかった日々が、彼の緻密な工夫によってこれから、
人生の中でどんな作品になっていくのだろう。



彼が作った純度100%の書類を見ながら、その成功を確信している。