ガラスの(アンティーク)買取/福岡・骨董品…福岡市南区でクリスタルガラスや切子、などの花瓶や食器、掛軸や茶道具、書道具、鉄道模型、切手を買取致しました。この花瓶はドイツの色被せガラスで切子風のフラワーベースです。未使用品の綺麗なお品です。  

ナハトマン(Nachtmann)は、ドイツ、バイエルン州に本社を置く、クリスタルガラス製品を製造するメーカーで食器や花器を中心に展開している。ダイナミックかつ繊細な美しさをもつコンテンポラリーなデザインが特徴です。切子のような深い掘りを実現させる型押し技術は、世界的にも高い評価を受けています。原料はガラス製造技術の中で最も環境に配慮した方法の電気炉で溶解されており、環境マネジメントの認証はDEKRAが行っているようです。ありがとうございました。骨董品買取の福岡玄燈舎ではアンティークのガラス食器や花瓶を買取致します。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。

祥瑞茶器(陶磁器)の買取/骨董品・福岡… 福岡市中央区にて茶道具や有田焼、中国陶磁器、掛軸、着物、カメラ、古時計など買取させていただきました。こちらの煎茶器は「祥瑞」のきれいな茶器です。高麗庵の清六窯の陶磁器です。祥瑞は中国、景徳鎮窯(けいとくちんよう)で明(みん)代末期の崇禎(すうてい)年間(1628~1644)、日本からの注文によって焼造された異色な染付磁器です。 緻密(ちみつ)な白磁胎に鮮やかな青藍(せいらん)色の染付で文様を表した上質な焼物で、作品の底に「五良大甫呉祥瑞造」という染付銘があるところから、日本では一般に祥瑞と称しています。祥瑞に赤,黄,緑などの上絵釉を併用したものを色絵祥瑞,または祥瑞色絵と称し,日本では染錦手 (そめにしきで) と呼ばれています。遺品は茶器もしくは懷石用食器で、わが国だけに伝世し、古来茶人の愛惜深かったものである。その特色は、ほどよく締まった純白の磁胎に、回青とよぶ華やかな呉須で独得の吉祥文様を描き、光沢の強い透明釉がかけられている。祥瑞の傲作はきわめて多く、江戸末期以来京都・瀬戸・九谷・有田などで盛んに作られた。現代では川瀬竹春が祥瑞写しの名手とされている。骨董品買取の福岡玄燈舎では陶磁器を買取いたします。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わ下さい。福岡県内は無料出張査定いたします。

福岡市早良区で高麗青磁や白磁、中国の古染付、有田焼なの花瓶や壺、掛軸など買取り致しました。この花瓶は高麗の青磁花瓶です。高麗の代表的な工芸品である青磁は11世紀頃に宋の青磁の影響で製造が始まり、13世紀の元の支配下の高麗で発達しました。青磁の青は朝鮮の空の青さを写したものだとも言われ、その独特な美しさは他に例を見ないそうです。それは高麗の陶工が、原料の土、うわぐすり、焼き方を工夫して生み出したものです。前期のものは模様がほとんどありませんが、後期になると象嵌で風物

 

 

を描いたものが主流になります。白磁にコバルト顔料で描く青花(せいか)〔染付〕は15世紀半ばには生産され、芸術的で清新な朝鮮王朝特有のものとして展開しますが、17世紀には、コバルト顔料の中国からの輸入が一時的に困難となり、それにかわって、褐色に発色する鉄絵具で文様を描く鉄砂(てっしゃ)が流行します。18世紀前半には、日本で「秋草手(あきくさで)」と呼ばれる、乳白色の白磁に淡い色で文様を描く青花が登場します。1752年に広州分院里に官窯が固定されると、安定した環境のもとで、青花はもちろん、鉄砂や、赤色に発色する辰砂(しんしゃ)などを巧みに用いた作品のほか、文人の好みに合せた文房具や酒器などもつくられました骨董品買取の福岡玄燈舎では高麗青磁の花瓶や壺など買取り致します。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。

福岡市西区で和楽器や茶道具、書道具などを買取いたしました。そのなかに横山蘭畝銘の尺八がありました。このかたは福田蘭童の内弟子をしていたころ蘭童より『蘭畝(らんぽ)』の銘を授かったそううです。仕事は完璧で蘭畝管は、一生付き合える名管が多いですね。 横山家は尺八家で蘭畝の父も尺八家、息子も尺八家です。息子は東京音楽大学名誉教授、国際尺八研修館館長としても活躍した横山勝也です。日本の美の概念『もののあはれ』『幽玄』『わび』『さび』を表せる和楽器の一つですね。なお横山蘭畝は、1953年開始のラジオドラマ「笛吹童子」で尺八を吹いた福田蘭童の唯一の内弟子(後に、横山勝也も弟子となる)。横山蘭畝直筆の楽譜が残っており、音程がカタカナで表現されています。骨董品買取の福岡玄燈舎では尺八や和楽器を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定いたします。

福岡市中央区で中国の古い置物や陶磁器、花瓶や壷、掛軸、茶器など買取させていただきました。玉の仏像や鏡もありました。ありがとうございました。この写真は硯屏風です。

 

硯屏(けんびょう)は、日本で書を行う際に硯の脇に置く小型の衝立、あるいは、衝立によく似た形の小さな用具です。 風による塵・埃が硯に入るのを防いだり、風で墨が乾くのを防ぐために用いられてきましたが、現代では色紙などを飾るための調度品として用いられることが多いです。この硯屏風は工芸品ですが古いものにはとても高価なものもあります。硯屏は石で装飾された物が多いですが、唐木や螺鈿細工の物も硯屏と言います。唐木の中でも紫檀や黒檀は大変重く、そして硬い素材ですが丁寧に透かし彫りで模様が彫られています。象牙や犀角、翡翠や珊瑚、寿山石や白石等の天然石にも細かく模様が施されているものもあります。ありがとうございました。 骨董品買取の福岡玄燈舎では中国美術品や置物を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定いたします。 

洋食器の買取/福岡・骨董品…福岡市中央区でウエッジウッドやロイヤルコペンハーゲン、バカラ、マイセンなどの洋食器を買取させていただきました。このトレーはリモージュの美しいものです。リモージュは食器のほかにも置物や人形、洋酒の入れ物なども作っていますね。リモージュとは焼き物や七宝焼きの街として世界的に名高いフランス・リームザン地方の中心都市であり、その周辺で生産される磁器は、リモージュ焼きとも呼ばれます。その歴史は1771年にリモージュにて窯が開かれたことから始まります。カオリンと呼ばれるこの『中国と同じ白陶土』がリモージュの街で見つかると、まずセーブル王立磁器製作所に運ばれました。しかしカオリンがセーブルに運ばれる様子を見ていたリモージュの人々は自分達で製造しようと考え、1771年に窯を興しました。

 

 当時のリムーザン知事であったトウルゴは、磁器工場を設立して硬質磁器という新しい産業を世界に通用する地域産業に発展させようとしました。その資本はグルレ兄弟という2人の実業家によってもたらされ、1771年からリモージュで硬質磁器が製造されるようになりました。もともと『エマイユ』と呼ばれる七宝焼きやステンドグラスの技術を持っていたリモージュ窯は、瞬く間に華麗な焼き物を焼き始めます。1774年には製陶所はアルトワ伯爵(後に国王シャルル10世)の保護下におかれるようになりました。1842年にニューヨークからダビド・アビランドがこの地を訪れ、磁器をアメリカに紹介したことからアメリカへの膨大な輸出につながり、彼自身も1862年に2人の息子とともに「アビランド製陶所」を設立。このころにヨーロッパに広まっていたジャポニズムもリモージュ磁器に取り入れられながら、世界的なメジャーの地位を獲得していくようになりました。リモージュ焼きの特徴は素焼きに絵付けをして焼くのではなく、白い生地に絵付けしてからさらに焼き付けるという手法にあり、リモージュでは19世紀後半から行われています。 骨董品買取の福岡玄燈舎では洋食器買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお気軽 にお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定いたします。

福岡市中央区で沢山の掛軸や書、茶道具を買取致しました。そのなかには「青山杉雨」さんの書もあり高価買取させて頂きました。ありがとうございました。青山杉雨山は書の規範を中国に求め、それを日本人の感覚で表現する姿勢を貫き、中国の書の古典を素材として現代感覚を融合させたと評される書家です。 杉雨さんの作品は作品ごとに趣が異なるため、「一作一面貌」と称されました。特に篆書の作品は杉雨さんが最も得意とした書体であり、その絵画的な要素の強い作風は内外に大きな影響を与えました。なお生涯一度も個展を開くことがなかった書家でもあります。 他には書に用いる、印材、水滴などに優れた鑑識眼を持ち、多くの優品を収集した方でした。ありがとうございました。 明治45年、愛知県江南市に生まれる。大東文化大学教授。号は杉雨(さんう)。 昭和16年泰東書道展で総裁東久邇宮賞、17年から西川寧に師事。58年芸術院会員。60年勲3等旭日中綬章受章、63年文化功労者、平成4年文化勲章受章。著書:『江南遊 中国文人風土記』、『明清書道図説』、『書の実相 中国書道史話』など。世田谷区等々力5丁目在住。 骨董品買取の福岡玄燈舎では掛軸や書を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。

銀食器の買取/福岡・骨董品|福岡県北九州市で銀製の食器や茶道具、煎茶茶器、掛軸など買取いたしました。この銀器は香合と菓子皿です。純銀製ではありませんがスターリングシルバーの上質なものでした。ありがとうございました。 スターリング・シルバーとは「92.5%の銀と7.5%のその他の金属」を混ぜた銀製品の事です。そして「シルバー製品」「純銀製」と呼ばれる多くのアクセサリーがこの「スターリング・シルバー」製です。銀製品の強度を増すため他の金属を混ぜるわずかに他の金属(銅、アルミ、ニッケルなど)を混ぜる理由は、銀だけだと柔らかすぎて茶器やカトラリーなど、すぐ曲がってしまったりへこんでしまったりするからだそうです。他の金属を混ぜる事で、適度な硬さになり、加工に都合が良いのです。ありがとうございました。またよく見かける「洋銀」ですが金属ですが銀ではありません。 銅50%前後、ニッケル30%くらい、亜鉛20%くらいの合金。光沢ありの銀白色。 食器や楽器(フルート)などによく使われています。それから500円玉にも使われているそうです。 ちなみに洋銀の値段ですが2年前の話ですが 洋銀買取、1kg、400円。 銀は1gで62円 1Kgなら 62000円 くらい。 金なら、1g 4739円。 プラチナなら 1g 4222円…だそうです。 骨董品買取の福岡玄燈舎では銀食器を買い取ります。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定いたします。

尺八の買取/福岡・骨董品|福岡市城南区で和楽器を買取いたしました。 この尺八は人間国宝 青木鈴慕作の尺八です。兄が尺八奏者だったため、18歳で初代川瀬順輔に入門し川瀬社中に入ります。20歳で尺八指南になります。鈴慕会を組織します。大正10年(1921年)に川瀬社中を離れ、独自に東京竹友社を組織し日本三曲協会理事、尺八協会会長などを務めました。次男が2代目青木鈴慕、孫に青木彰時。現在は3代目彰時、に継だけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。骨董品買取の福岡玄燈舎では尺八を買取いたします。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定いたします。

ガラス(作家物)買取/福岡・骨董品|福岡市南区でガラス工芸品や茶道具、掛軸など買取致しました。江副行昭さんの「銀彩変ガラス 斑点文様 線引変形鉢」です。とても美し妖艶な不思議なガラスですね。江副さん日本ガラス工芸界の第一人者であり、土や灰を高温で溶かして作る「熔壌ガラス」の考案者である伊那谷ゆかりのガラス作家・江副行昭氏。 高遠町と長谷で40年にわたり創作を続けています。日本の畳に合う和風の作品を作ろうと、高遠の土とガラスを混ぜ熔かして作る「熔壌ガラス」を考案しました。1982年には、高遠町に「高遠スタジオグラスセンター」を設立。1995年には長谷にアートヴィレッジ信州を開き、工房を構えました。熔壌ガラスは、土の中の鉱物や酸化金属がさまざまな発色や窯変を起こし、メタリックや虹色などの独特な色味になるのが特徴。実は98年の長野冬季五輪スピードスケートショートトラックのスタート順を抽選する「ドローポット(くじの入れ物)」の制作なども行った方です。骨董品買取の福岡玄燈舎ではガラス工芸品を買取ります。お見積りや査定だけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。