こんばんは!
今日のお話「耳が…」ベートーベン
音楽室でよく目にしたベートーベンの肖像画。
なんだか気難しそうな人だなって思った記憶があります。
みなさんはいかがですか?
ベートーベン、偉大な音楽家。
実は、彼は25歳のときから、耳が聞こえなくなり始めたのです(難聴)!
音楽家にとって、耳が不自由になるのは致命的です。
さぞや、ベートーベン青年も落ち込んだことでしょう。
ですが、ベートーベンはこんな言葉を残しています。
「勇気を出せ。たとえ肉体に、いかなる欠点があろうとも、
わが魂は、これに打ち勝たねばならない。
25歳、そうだ、もう25歳になったのだ。
今年こそ、ほんものになる覚悟をせねばならない。」
辛い現実を受け止め、覚悟を決めたベートーベン。
音楽家が難聴だと思われたら、人にバカにされたり、仕事がこなくなったり、
するかもしれない。
ベートーベンは難聴であることを人に悟られないようにしていました。
ですが、どんどん難聴はひどくなり、肩を叩かれるまで呼ばれていることにも
気づかないようになりました。
辛い…。
しかも、31歳になった彼に更なる悲劇が…
貴族の娘に恋をしたベートーベン。
有名な『月光』を作曲し、プレゼントをしたり。
でも、身分差によってあえなく失恋…
「もうダメだ…良いことなんて何もない…」
「死んでしまおう…」
思いつめたベートーベンは弟に遺書を書きました。
「お前たちは、私のことを気難しい人間だと思っているだろうが、
それは大きな誤解だ。
私がこの6年間、ずっと耳の病に悩まされていたことを知らないからだ。
人と話すときに『耳が聞こえないので、もっと大きな声で話してください』
とは決して言えない。
音楽家なのに音が聞こえない苦しみが、お前たちにわかるか?
病気を知られるのが怖いので、いまは用事があるときだけ人に会うようにしている。
絶望し、死のうと考えた。しかし、作曲を続けたいという思いだけが
それを止めた。人々よ、もしこれを読んだら、きっと私に対する見方がどれほど
間違っていたか知るだろう。そしてつらい運命を背負っている人たち、
こんなにも不幸な人間が音楽家として、努力し続けたことを知り勇気をもってくれ」
難聴だから、気難しそうな顔をしていたのですね!
遺書を書いているうちに、
「オレ、頑張ってるじゃん♪
それに、作曲をしたい!」
という自分の気持ちに気がつきました。
気を持ち直して、作曲にいそしみました。
そして…数々の名曲を生み出したのです!
有名な交響曲『第九交響曲
(年末によく演奏される、歓喜の歌が含まれる曲です)』
も難聴になってから生まれました!
この交響曲には「苦しみを超えて歓喜に至れ」というメッセージが
込められています。
第九の初演はベートーベン自らが指揮をしました。
演奏が終わってもベートーベンは客席を振り向くことができませんでした。
なぜなら、難聴のため、オーケストラの演奏がほとんど聞こえていなかったのだから…
もし、いまの演奏が、自分が感じていた音楽でなかったら……怖いよ。
そんな彼に、アルト歌手がそっと寄りそっていき、そっと振り向かせました。
そこで、ベートーベンが見たものとは!!!
聴衆そろっての、スタンディングオベーション!!!
感動☆
この話を知ってから、ぼくは交響曲『第九交響曲』を聴くと
感動してしまうようになりました(^^)
☆ベートーベンに教えてもらったこと☆
一度決意しても、やっぱり悲しいことが続くと滅入ってしまう。
そんなときは紙に書いてもいい。誰かに話したらいい。
そして立ち直ればいい。
その先に光がある。