先ごろ平城宮出土の木簡に、疫病神を喰らう九頭の大蛇を召喚する呪符があったという記事が奈文研ブログで紹介されました。現代社会を恐怖に陥れた新型コロナ禍ですが、奈良時代の人々も伝染病と闘っていた事を物語る史料でした。

「南山之下有不流水其中有 一大蛇九頭一尾不食余物但 食唐鬼朝食 三千 暮食 八百 急々如律令」

「南山のふもとに、流れざる川あり。その中に一匹の大蛇あり。九つの頭を持ち、尾は一つ。唐鬼以外は食べない。朝に三千、暮れに八百。急急如律令。」

なぶんけんブログ 2020年5月配信
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2020/05/20200515.html

 

 

ここで伝染病対策の切り札だった「九頭一尾の大蛇」。それは「九頭竜」だったという記事がありました。


ウイキペディア九頭竜伝承」平城京の九頭竜伝説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E9%A0%AD%E7%AB%9C%E4%BC%9D%E6%89%BF


 

 

この九頭竜は平城京の南に位置(南山)する吉野宮で祭祀された神獣で、三輪山の神・大物主大神(大巳貴神)と同じ神である、という研究があり、吉野宮に近い奈良県大淀町で開催されたシンポジウムの研究発表資料としてネット上に公開されていました。

大淀町 平成28年開催の地域遺産シンポジウム「吉野宮の現像を探る」
https://www.town.oyodo.lg.jp/cmsfiles/contents/0000000/140/161105_yoshino.pdf

89項記載の記事↓


 

 

 

古事記・日本書紀では、崇神天皇の時代(古墳時代前期)の記事として、この大物主大神は祭祀が正しくないと国中に疫病が流行し、正しい祭祀を司どることができる人物・大田田根子を崇神天皇が招聘して疫病を鎮圧し、国が平和になったという記録があります。疫病とつながりが深い神のようです。
大淀町のシンポジウム史料では吉野宮には斉明天皇の時代に大巳貴神を分祀し、それが現在もある大名持神社とのことです。この大巳貴神が疫病神を喰らう九頭竜だとのこと。(引用の橿原考古学研究所の論文集はまだ確認しておりません)

 

大名持神社https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%8D%E6%8C%81%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

 

 

ところで大物主大神がなぜ「九頭竜」になったのか、それが全く分かりません。
竜は中国文化の主要キャラクターで、日本でも弥生土器に龍が描かれている事例などがあり、中国文化の影響が色濃い画紋帯神獣鏡や三角縁神獣鏡の文様には登場しますが、でも古墳時代中期に龍の姿はあまり見られず、例えば龍の埴輪といったものはありません。

古墳の副葬品の中にそれまで見られなかった形で「龍」が登場するのは古墳時代後期・6世紀代になってからの事で、それは単龍環頭大刀の登場です。

 

 

この時代は古墳に横穴式石室が採用されるという歴史的な転換期であり、記紀の記録では皇統が途絶えかけて継体天皇が登場する時代でもあります。このような大転換の時代なので、三輪山の神が大きく姿を変えて九頭竜となったのがどこかの時代で起こったとすると、この時代が最もふさわしい様な風にも思えます。



継体天皇の時代に「九頭竜」が登場していた?としますと、継体天皇は皇后ほか九人の奥様がいたと記録されていて、同じ「九」であることが符合します。ひょっとしたら九頭竜とは継体天皇と婚姻を結び、同盟を結んで日本を平和に導いた九家の豪族を示すもの、というのはこじつけが過ぎるでしょうか?。
 

(継体天皇の妃と皇子・皇女 ネット上で見つけた一覧表で、古事記・日本書紀に取材して整理されたものです。)
福井県史 通史編
https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/kenshi/T1/2a3-01-02-01-05.htm

 


 

 

さて、単龍環頭大刀は全国の古墳から出土していて、鳳凰とされる「単鳳環頭」と合わせると数百例ぐらいあるようです。しかし、これらを子細に比較検討した研究では6段階ぐらいの時代差があると分析されていて、その中で最も初元的な形態をもつものは百済の武寧王の墓から出土したもの、その次の段階に当たる日本列島での最古形式の単龍環頭は茨木市の海北塚古墳出土で東京国立博物館に収蔵されているものなのだそうです。

 


 

 

 

 

 

 

この海北塚古墳の単龍環頭と非常によく似ていて、でも残念ながら大正年間に撮影された一枚の写真だけしか現存していない単龍環頭があり、それが継体天皇の乙訓宮が置かれたと言われている京都府南部の長岡京市郊外にあった芝14号墳出土のもの。

~弟國宮の「龍」~ 芝14号墳の単龍環頭柄頭
https://ameblo.jp/tyokkomon2594/entry-12540181159.html

(この乙訓の単龍環頭は幻の資料だけにほとんど知られていない様です。)



しかし、これらが最古形式であることは確実です。これを継体天皇の九人の妃の実家である豪族に、百済から技術移転して日本で初めて生産した最新のお宝として分配された龍の大刀だとするとぴったりです。(海北塚古墳はかなり規模の大きな横穴式石室の古墳の様ですが、芝14号墳はすでに現存していないうえ、記録ではあまり大規模ではなかった様ですが。)
 

 

 

 

吉野宮の九頭竜は聖武天皇が祀ったのだそうですが、未曽有の国家的危機である「唐鬼」=天然痘の大流行への対策としては直系の祖先である継体天皇と、疫病を鎮めた大物主大神の別体である九頭竜に祈りをささげるのが最良だったのかもしれません。

もし本当に最初期の単龍環頭が九つあったのなら、あと七個の未発見の単龍環頭、それらがすべてそろったら疫病の鎮圧に大きな霊験があるかもしれません。