京都橘大学の文学部歴史遺産学科公開ワークショップ 大英博物館所蔵ゴーランド・コレクション調査プロジェクト(京都編)」
を拝聴致しました。

ウィリアム・ゴーランド(ガウランドとも、William Gowland, 1842年 - 1922年6月9日)は、明治政府イギリスより大阪造幣寮(現造幣局)に招聘した化学冶金技師。日本古墳研究の先駆者としても名高く、日本考古学の父と呼ばれている。さらに、「日本アルプス」の命名者としても知られている。(ウイキペディア)

画像検索すると素晴らしい古墳にコーフン画像が続出します。

ゴーランド・コレクション 仁徳陵古墳の写真



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周辺が都市化する前の貴重な画像です。
左が前方部、右が後円部、墳丘東側から撮影と思われます。
現在は墳丘東部に沿ってJR阪和線が通っていますが、この線路は昭和に入ってからだそうですので、明治時代のこの写真には写っていません。

左側の前方部の墳頂が変な感じに飛び出して見えますが、これは最近のレーザー測量図で明らかとなっている墳丘の崩壊状況と合致します。
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前方部の墳頂南端のすぐ内側から崩壊しています。過去の南海トラフ地震の影響の様です。




ゴーランド・コレクション 見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)
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古墳時代後期の「最後の大型前方後円墳」と呼ばれる奈良県最大の古墳で、真の欽明天皇陵と言われています。

左が前方部、右の木立が後円部で墳丘西側からの撮影と思われます。奈良県橿原市は仁徳陵がある堺市ほど景観破壊が進んではいませんが、現在は西側に交通量の多い国道24号線が通っています。

東側は大規模な住宅地開発が行われていますが、この住宅地から見る丸山古墳はいにしえの姿を感じさせます。(2015年初の小山田遺跡の説明会の時に撮影。)ゴーランドの写真と逆側からです。

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昨日の公開ワークショップで公表されたゴーランドの知られざる事績について。

イギリスの古代を代表する世界遺産「ストーンヘンジイメージ 5

謎の巨石遺構として有名ですが、日の出・日の入りと遺構の向きが合致することから、「古代人の天体観測のための施設」ではないかという仮説が提唱されています。

この仮説は広く支持されているようで、小学生向けの世界遺産の概説書でも紹介されています。
この学説の提唱者は実はゴーランドであったそうです。

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ストーンヘンジの考古学的な調査と修復を行ったのが、実は日本赴任を終えて英国に帰国したウイリアム・ゴーランドそのひとであった、とのこと。

ゴーランドの日本での任期終了は1888年。ストーンヘンジの発掘調査と修復作業が行われたのは1900年頃、その報告書は1902年の刊行とのこと。

この報告書にストーンヘンジの構造が「日の出の方角を示している」という研究の考察があるそうで、これが天体観測所説の初見。
ガーランドの考察がここへ至ったのは、実は日本滞在中に知り得たと思われる「伊勢・二見浦の夫婦岩の日の出」がヒントとなったのだそうで、報告書には図入りでそう記されている!、とのことです。

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なんと素晴らしい!。

これは国立博物館の研究者の方の研究発表でした。

この事実はまだまだ認知度は低い様子です。先だってのG7伊勢志摩サミットの折りに首相がこの情報を持っていたら、英国首相との間でのよい話題となったであろう事は想像に難くありません。
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ゴーランドは日本滞在中に各地の古墳の調査を精力的に実施、収集した膨大な量の出土遺物を英国に持ち帰りました。

これらの遺物は現在大英博物館の所蔵となっており、近年日本側の研究者との共同調査で様々な事実がわかってきています。

私たちはこの調査プロジェクトの一環として、英国で収録された遺物の3次元レーザー測量によるデータと、その3Dプリンタ出力品を基として、ゴーランド・コレクションに含まれる遺物の複製品(レプリカ)の製作を行いました。

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京都府 鹿谷(ろくや)古墳 副葬品の馬具の一つ“雲珠(うず)”のレプリカです。

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先週開催された日本文化財科学会でも発表が行われました。