なんて言われちゃうと、えー幸せになれないの?って一瞬淋しい気持ちに…笑
そんな言葉から昨日の“おなかの学校“は
スタートしたのだ
魂の意識と人の意識…
私たちはついつい人の意識を自分だと
思い込んでいる
でも私がここに生まれてきた理由は
魂ちゃんが知っているのに
人は、安心・穏やか・安定・平和・調和…を望むものだ
でも魂はそんなのを望んでいない
魂ちゃんのいた世界は、そんなのが全部
叶っている世界にいて刺激が無くてつまらんから
この世界に刺激を求めてやってきたのに…
刺激があれば、何でもOKらしい
人間は不安や恐怖が標準装備で備わっている
後から付けたオプションじゃないから
削除が出来ない、およよ
だから恐怖を克服するとかは無駄な努力
私も最初にこれを聞いた時は、人生が
重いものに感じてどんよりしたのを
覚えてるな〜(懐かしい感覚)
でもねここで、魂意識で見てみると
怖いよ〜!不安だよ〜!痛いよ〜!って
大騒ぎしてるのを魂ちゃんは
「素敵すぎーーーーー
」
ってウホウホ喜んでるんだよ
もうこれが自分の感覚でわかった時は
ハァーーーーってなって
全身の力が抜けて笑うしかなかったの
で、それを知ってどうなったかと言うと
もう何が起こっても「おもしろい」に
なってしまったのだ
もちろん、身体が痛むと真剣に
「痛いよー」「もうやだこんなの」とか
本気で思うのよ
↑この本気が大事〜
いい言霊だけ〜と痛いの我慢して
押し殺して平穏を装って感じなくしたら
魂ちゃんは何もおもろない
私が真剣に自分の肉体や心(感情)を感じることを堪能し尽くすと喜ぶ
喜怒哀楽なんでもええねん
この見える世界は、自分の”想い”が現実を創る
「穏やかがいい」
↑(この想いの裏に)
「穏やかじゃない状況がいや」がある
↑
いやが現実になる
↑
刺激があるから魂的には満喫ょ(笑)
でも人意識の私はヤダよね〜
それに対して
魂の意識で見てみると
刺激は何でも「おもしろい」になるので
「痛いよー」をマジで味わってると
うわっ魂ちゃん喜んでるやん!と
ふとわかった時があるの
そしたら、身体の力抜けて気持ちもふわっと緩む、でそんな自分がおかしくなるの
そしたら、潜在意識の最終の意識が
「痛い・辛い」から「おもしろい」に!
↑
おもしろいをリアルタイムで
刺激を感じるから
次々、おもしろいが生み出される
楽しいことをやりたくなる
↑
おもしろい刺激の増幅
倍々ゲームや!
↑
生き生き 生きていく


人間は、人の間と書く
この間(あいだ)は頭ちゃんと魂ちゃんの間、
どっちもの価値観にもなれる状態の
『わたし』でいること
あら、昨日の授業は「古事記を読み解く」
やったのに、午前中のお話しでひとまず
おしまい(笑)
こんなお話しが好きな人は
好きプロへ
