涙腺崩壊注意。この記事を読む前に

この記事は、僕の母との思い出について書いています。

少し重い内容も含まれています。

読む前に、ハンカチかティッシュをご用意ください。

それでも、母と過ごした時間や、今でも心に残っていることを、自分の言葉で残しておきたいと思いました。

母はどんな人だったか

僕の母は、とても優しくて、いつも元気な人でした。

学校でもたくさんの人に慕われていて、周りを明るくするような人でした。

病気になってからも、その明るさは変わりませんでした。

母は卵巣がんを患っていました。

最初に見つかったときは、そこまで悪性度が高いものではなく、摘出手術を受けました。

しかし、その後は再発と転移を繰り返しました。

それでも母は、病気になったからといって前向きな気持ちを失いませんでした。

亡くなる2週間前までは、全然元気でした。

病院にいるときも、スライドを公開したり、自分でYouTubeの動画を作ったりして、その動画を患者さんたちに見せたりしていました。

自分が大変な状況にいても、周りの人を楽しませたり、元気づけたりすることを忘れない人でした。

僕にとって母は、優しくて、元気で、最後まで前向きな人でした。

最期1週間になると、まともに呂律が回らなくて喉がいがいがしている感じで、3日前まで普通に、喋れてました。僕は母と喋るのがこれで最後でした。一番最後の言葉は、お見舞いありがとう😊でした。それは鮮明に覚えています。まさか最後になるとは思ってもいませんでした🥲

4月11日

4月11日。

この日は、なぜか部活がいつもより早く終わりました。

その日は迎えだったので、車に乗ると、おじいちゃんから「病院に行くから」と言われました。

そのときの僕は、ただお見舞いに行くんだと思っていました。

でも、車の中で話を聞いているうちに、お母さんの容態があまり良くないことを知りました。

病院へ向かう道は大渋滞していました。

僕はそのとき、スマホで阪神タイガースの試合を見ていました。

その日の阪神打線は爆発していました。

僕も母も、祖父の影響で阪神ファンでした。

だから、「今日の試合のこと、お母さんにも伝えなきゃ」と思っていました。

やっと病院に着きました。

車のドアを開けると、冷たい風が吹き始めました。

なぜか、その瞬間に嫌な予感がしました。

そして病室のある階まで行くと、看護師さんから直接、母の心臓が止まったことを伝えられました。間に合いませんでした。

その言葉を聞いた瞬間、僕は泣き崩れました。

そこから先のことは、ほとんど覚えていません。

あの日、病院に向かう車の中で「今日の阪神の試合のことをお母さんに伝えよう」と思っていたことだけは、今でも覚えています。

それが、僕にとって母との最後の時間になりました。

次の記事後編では、お母さんとの出来事などを書いていきます。