こんにちは。

イライラママの救世主、子育てママ専門カウンセラーの陽子です。

 

なんかね、私気づいちゃったんですよ。

私が巧みに避けてきた部分がある事に。

 

去年散々夫婦関係に向き合ってきたんで、パートナーシップが課題だと思ってたんですけどね。

一周回ってまた「子育て」とか「ママ」っていうのにざわつくようになりまして…。

 

子育てが尊いことも、母が偉大なことも、ママが頑張ってることも知ってる。

ほんとに心からそう思うの。

 

だから私もすごいし頑張ってるし、偉大なママだぜ!って思ってたはずなんです。

尊いことだと理解していたつもりだったし。

もう、この課題はクリアしたと思ってたんだけどさぁ。

 

 

 

昨日織恵さんと話をしていて「ママ向けのカウンセラー」っていうのをずっと避けてきていた自分に気づいたんです。

もう驚愕。

涙が出てくる自分にもびっくり。

 

 

でもね、思い返せば、ママ業なんてできて当たり前。が私の基本の考え方。

 

 

ママ業がちゃんとできて一人前って思ってるんですよ。

 

できてない私を無意識に責めていたし、足りない分を何かで埋めようとしてきたんだなぁって今となっては思うんです。

 

私にとってその足りない部分を埋めてくれるのがきっと仕事。

 

仕事をしている人が価値がある。

稼いでいる人が価値がある。

働いてない私は価値がないんじゃないか。

お金を生み出せない私は価値がないんじゃないか。

 

こういうことをうっすらうっすら思っていました。

天職とか起業が気になるし、仕事できる女性がうらやましい。

パートしたり、派遣で働いたりしたけれどうまくいかなくて。

 

だから起業してカウンセラーになったんですけど、「ママ」から離れたかった。

 

私、正直言ってママばっかり集まるところが嫌いだったんです。

ママ向けのセミナーとか、下の娘が小学生になった頃からパタッといかなくなった。

 

だって、【ママじゃない何者か】になりたかったから、ママにまみれていたくなかったんです。

(なんていう言い方…)

 

要は、ママである自分になにか物足りなさを感じていたんだなと思うんです。

 

ママじゃ足りないから、何かで埋めたい。

それをするには「ママ」や「子育て」っていうカテゴリーから抜けなくちゃってすっごい思っていた気がします。

 

もうここまで気づいただけで結構オエオエしてました。

 

 

 

でね、最近ことあるごとに反応したりすることがあって。

 

どうせその程度でしょ?

ちゃんとしなよ。

頑張りなよ。

 

そんな声が自分の中から聞こえてきて。

不思議と怒りが湧かなくて、悲しい気持ちに気づいたんです。

 

色々感情を消化してきたつもりだけど、悲しいは結構無視してきたのかも…。

 

頑張ってるって言ってよ。

それでいいって言ってよ。

無理しなくていいって言ってよ。

頑張りすぎちゃだめだよって言ってよ。

 

そんな気持ちになるんです。

 

ママになってから、自分を責めることが知らず知らずのうちに癖になっていて、

結構いつでも自分をだめだししたり、ディスったりしていたのかもなぁと気づいたんです。

 

そりゃ悲しいよねぇ。

 

今日、しばらく悲しいなぁっていう気持ちを眺めていました。

 

ただただ悲しい。

悲しいなぁ。悲しかったなぁ。悲しんでるなぁ。

そっかー、気づいてなかったなぁ。ごめんねー。気づかなかったよーって。

頑張ってきた今までの自分にあやまった感じ。

 

私の口癖。

「まだここか。」「まだこんなところにいるんだ」

 

もっともっと頑張れよ。っていつも自分に思っているようで…。

 

いつかお友達に、ずっとそれだと苦しくなりそう。と言われたのを思い出します。

その時は気づかなかったけど、このことなんだなって今になると気づくの。

 

 

ママになると、毎日忙しいじゃないですか。

出産して、家に帰ってきてからが本番。みたいな。

 

 

夫と二人でこの子を育てなきゃいけないプレッシャー。

父と母が交代で1か月くらいうちに来てくれていたんですけどね、

あんなに嫌いだった父が神のように見えた1週間でもあったなぁ。

 

煙草も満足に吸えないし、自分の家と違う不自由な環境なのに、仕事をしている母にバトンタッチする数日間手伝いに来てくれてた父。

嫌なことはとことんしない人なんですよ。

食べたいラーメンがあっても待つのは嫌。みたいな。

 

そう思うと、私、父に愛されてたんだなぁ。と気づいちゃって…。

 

産後はね、父とバトンタッチして母が来てくれて、色々手伝ってくれました。

やってもらって当たり前ってあの頃は思っていたけれど、母が帰るときに泣きそうになったのにこらえたのを思い出します。

 

 

 

子育てって、おっぱいあげたり、ミルクあげたり、抱っこしたり、おむつ変えたり。

自分のご飯もいるし、家事もしなくちゃいけないし。

父も母もいなくなってからはやることが山盛り。

 

それをこなすためには感情なんて感じていたら何にもできなくなっちゃう。

 

そう思って蓋したんだと思うんです。

 

まずは生活を回すことしか考えていませんでした。

 

泣き叫ぶわが子を見ながら何もできない無力な自分。

泣き止ませることもできないし、泣いているのを見ているのもつらいし。

 

いつもいつも抱っこしていたことを思い出します。

(スリングに息子を入れながらご飯食べて、息子の上にご飯こぼしたりとかしてたなぁ…)

 

一人で不安だったのに、それを外に出すこともせずによく頑張ってきたなぁ。

 

そんな自分を思い出すのが怖くて。

そんなときの気持ちに触れるのが怖くて、ずっとずっと避けてきたのが子育てママのカウンセリング。

 

この命を私が守らなきゃいけないんだなっていう怖さ。

そんな気もちを感じる余裕すらなかったあの頃。

全部もうそんな気持ちは終わったことにしたかったんだなと思います。

 

今の私だからできる事。

あの頃の痛みをたくさん知ってるからこそ聞ける話がたくさんあるんだろうなー。

目の前に来ちゃったなら、私がやるやつなんだろうな。と素直に受け取ることにしました。

 

子育てってね、楽しくて、くるしくて、やめたくて、やめられない天職だと思うの。

 

だからホントに、ママってすげーな。って思ってるんです。

神様からの預かりものをこんなに大切に育てているし、そうしなくちゃって思っているんだもん。

 

自分にそれを言ってあげなくちゃねぇ…

 

何者にもならなくていい。

あなたはあなたなんだから。

 

自分の価値の証明に子供を使わなくても、仕事を使わなくてもいい。

あなたがあなたらしく生きていることほど尊いことはありません。

 

そんなことをママたちに伝えていけるといいな。

 

今日の私の決意。でした。


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