ちょっと前に何かで読んだ話。

…この話の入ってた箱である「何か」を覚えてられないのは私の欠点。
昔から嫌で嫌で仕方なかったから、箱の情報もインプットするように努めてはみたけど、どうにも効果が見られない。しかしインプットについてはなかなか脳みそも健闘してくれてるきがするので、アウトプットとの関係もちょいとしらべてみたい。


話を戻して、その話の中で、若い頃からたくさんたくさん勉強をして地位も名誉も富も得た老人が死に際して言った言葉についてちょっと思うところがあった。

「もっと遊んどきゃよかったー」


その話の中で、この言葉は、学ぶ事よりも他に大事なものがあるはずだという漠然とした主張のもとに日々を過ごす若者の、その主張に確信を与えるわけ。

この言葉は若者の生き方に影響を与えたもののひとつって形で挿入されてるだけだから、そこに焦点をあてるのはお利口じゃないかもしれないけど、この言葉って裁判官や神経性胃炎患者への警鐘じゃなくまして道楽ニートへ教訓なんてものでも全然なく、ただのひとりの人間がひとつの人生を送った最期の感想に留まるんじゃないかなと思った。

だから、あるパターンではこの若者の最期は老人のようかもしれない。

「もっと勉強しときゃよかたー」

背景は想像できるよね。

そんなふうにいくらでも生き方と終わり方は違ってくるはず。納得して終える人だってまた居るだろう。


この老人の言葉にテーマをもらって「納得して迎えられる最期はあるか」と考えたのち、性格次第。という非常にねじの飛んだ結果にたどり着きました(゚-゚)

想像をこらすしか考える方法はなかったけど、私だったら「信念に従った生き方」でテーマに辿り着けるんじゃないかと思います。性格を自己分析すると。

この老人の言葉は、自分の現状と性格と理想と信念(あると信じたい)についていっぺんに考えさせられるものでした。
21歳の現時点ではこの程度の思考レベルだけど、1年後、3年後、5年後、10年後、そして最期を迎えるとき、どう変わってるのか…はたまた変わらないのか、けっこう楽しみ。

覚えてるかな?