ラテン語には『メメントモリ』という警句がある | tyboxblog

ラテン語には『メメントモリ』という警句がある






人間は「いつか必ず死ぬ」という重い運命を背負って生まれてくる。
ラテン語には『メメンントモリ』(死を忘れるな)という警句があるが
自分の死について考えることは、すなわち自分の生について考えることと同義だろう。

死を忘れた人間は、けっして充実した人生を送ることはできない。
「死ぬことばかり考えても仕方ないだろ?」では済まされないのだ。


今日が人生最後の日だとしたら、
今日スケジュールしたことをやるだろうか?



結局、人が生きる目的は「幸福を感じるため」だと思う。
そして、生きる目的が幸せなら、何が幸せなのかを常に考え必要があるだろう。
自分にとって何が幸福なのか?を考える幸福論なしに生きるのは、
目隠しをしたまま車を運転しているようなものだ。



ドキッキとした言葉を眼にしたことがある。
100年後あなたは地球にいません。




確かにそうだ。残念ながら確実にいない。
これを読んでくれているあなたもいないであろう?
思い出した文章があり、本棚から書籍をとりだした。
成毛眞さんの書籍中の一節だった。


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『生きた証』を残せなければアリと変わらない


イソップ童話では、遊び暮らしたキリギリスよりも勤勉なアリが正しかったというオチがある。
だが、人が遊んでいるときもせっせと働く人生の何が面白いのだろう。
せっかく生まれてきたのに、楽しみをまったく知らないまま死んでいくのでは、
誰のための人生なのかわからない。

そうした生活を10年、20年、30年と送っても、後には何も残らない。
50年後、自分の一生を終えたときには、自分が生きていたという証はなくなってしまう。
祖父や祖母の記憶はあっても、曾祖父、曾祖母については知らないという人がほとんどだろう。
血はつながっていても名前は知らない、どんな生き方をしたのかもわからないーーー
それでは、この世に存在しなかったのと同じである。


幕末の志士の末裔、殿様の末裔が何百年も前の祖先のことを知っているのは、
祖先がその時代において生きたという証を残したからだ。

今、この本を読んでいるあなたはどうだろう。
50年後も自分のひ孫に名前を覚えてもらえるような生き方をしているだろうか。
お墓に戒名を刻まれる以外は何も後世に残せないようでは、あまりに寂しい。

社会に出て間もない人は、まだ今からでも間に合う。
会社という組織に染まる前に、自分がこれからどう生きるべきかを考えたほうがいい。
一生働きアリのままでいたいのか、キリギリスに転向したいのか。

「そんなこといっても、今の世の中、みんながこういう生活を送っている」と思う
かもしれないが、それはあなたが今の世の中しか知らないからだ。


本を読まないと、今現在のことしかわからない。


だからみんなと同じ生活を送る道しか見えないのだ。
歴史や文化を知れば、現在がすべてではないとわかるはずだ。
同じ現代であっても、国が違えば生き方は無限にある。
自宅の寝室にいながらあらゆる時代・場所の生き方を追体験できる読書は、

あなたに生き方の可能性を示してくれるはずだ。

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『生きた証』考えてしまいますね。
僕は残そうと思います。残せると思える企画を懐刀として持っています。
自分なりの生い立ちからできることってあるように思います。
経営者として動き出したとたん、ものすごい時間の体感速度と
サラリーマンの世界から、いままでのルール上にはいないことを自覚しました。
斉藤一人さんは書籍中『経営はルールの無い格闘技』と言葉にされていた。
確実に着実に進展しています。既に向うべきゴールが見えているので。
僕の志の話はまた今度。この場で進展と共に共有していきます。


最近、サプリメントを飲みはじめた。
いっぱいあり、迷ったけど、マルチビタミンはどうも
あまりにも都合良さそうで、止めて。
添付のサプリにしてみた。
健康面にも気が向き始めた今日この頃。





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