監督キャメロン・クロウは1957年生まれ。
私と年代的に近い。(と書くと歳がばればれですが・・私の方が下です・・ってどうでもいい。)
この年代と、音楽雑誌の評論家をしてた彼自身の映画「あの頃ペニーレインと」は切っても切り離せない。
そして、若い頃、アメリカンポップスを聞いて育った私自身と、この監督の乾いた映像は結構馴染むのだ。
この主人公の挫折も父の死も、彼自身が選んだ音楽で、演出して行く。
大きな感動も涙も、観ている私たちには、与えられない。
そこには、BGMに流れる音楽が物語の“軽さ”と共に、爽やかな気分に浸してくれる。
アメリカのくっきりとした青空と、エリザベスタウンという街。
この物語の軽さをつまらない、と感じるか、
その裏側にある監督の経験(おそらく)を観ている方の自身と重なり合わされるかが
わかれ目だろう。
私の場合は、後者であった。
この主人公ドリュー(オーランド・ブルーム)は、会社に多大な損害を与える大失敗をしでかし、
自殺を試みる。
この“大失敗”の内容は、監督にとって、どうでもいいこと。
主人公ドリューが挫折から、何によって救われるかということが大事。
若い時は、少しでも苦しみから逃れたいもの。
自分の挫折、苦しみに慣れるには、耐え難いもの。
そこに登場するのが、フライ・アテンダントのクレア(キルスティン・ダンスト)。
クレアは、主人公ドリューの外見に一目惚れしたのか。
そこはあまりにも唐突。
挫折と父の死の失意に沈んだドリューにとって、結局は救いの女神になるわけだが、
彼女のずうずうしさは、「まぁ、こういう女もたまには居るだろう」
とさらりと思った方がいいと思う。
彼女の“ずうずうしさ”はやがて、そこまで彼にしてくれるのかという驚きに変わる。
決して成功している時には目もくれないであろうユニークな女性をキルスティンは上手く演じてた。
父の葬儀と、同時にドリューが宿泊したホテルでの騒がしい結婚式。
監督にしてみれば、結婚式も葬式も紙一重。
結婚式で音楽を演出するように、葬式でも演出して
故人を悲しみ嘆くより、盛大にその生きてきた証を祝ってあげたいのだろう。
それがあの、ばかばかしいまでに陽気な葬儀、ドリューのお母さん(スーザン・サランドン)の魅せたタップダンスへと繋がる。
父との最後の本当の別れの自宅までの長いドライブ。
クレアが演出してくれた素敵な音楽と、地図と共に、彼は笑って、大声で泣いて
彼の苦しみから、少しずつ解き放たれていく。
最後に出会ったのは・・。
エンドロールに流れる名曲「ムーンリバー」と共に爽やかな気分で映画館を後にすることができた。
これは、キャメロン・クロウが自分自身の青春へのオマージュの映画なのだろうな。とも思えた。
