ややネタばれあり?

 

映画を観てから1週間。

 

原作も読みました。

 

映画は説明が足りない分は映像から補うことができました。

 

映画を観終わって本を読むと、今度は文章から映画の映像が思い出され、

 

より一層、この本の世界に入り込んでいくことができました。

 

年が離れたカップルのただの恋愛物では決してありません。

 

いろんな要素が詰まってます。

 

戦争のこと。

 

裁判のこと。

 

愛について。

 

深く、深く考えさせられます。


 

いろんなことを考えさせられます。

 

簡単なストーリー
偶然出会った二人。15歳だった主人公マイケル(原作ではぼく)が20歳以上も年の離れたハンナと愛し合うようになります。

ハンナに頼まれて、ベッドの中で、チェーホフやオデュッセイアやカフカなど名作を読んであげます。
本を読んで、愛し合う毎日はそんなに長くは続きませんでした。

ある日、路面電車の車掌として働いていたハンナが、事務の仕事の昇格の話を受け取ったとたん、
彼女はイライラしはじめ、マイケルに辛く当ったりするのでした。
戸惑うマイケルはいつも年上のハンナに許しを乞う自分にも悲しくなってしまいます。
ハンナが抱えていた重い悩みに気づくことがなく。

突然マイケルの前から姿を消すハンナでした。

月日が経って、偶然出会った場所は何と思いもかけない場所でした。

 

偶然再会した場所ー。

 

それはあまりにも、二人の愛の世界からはかけ離れたところでした。

 

この主人公マイケルは、自分が初めて愛した女性ハンナのことで葛藤します。

 

でも彼は自分自身を麻痺させることで、まともに“辛い思い”を受けることはしなかったようでした。

 

ハンナが置かれた状況に一歩踏み出せなかったようです。

 

“近くて遠い存在”として、彼女を自分の中に位置づけることによって、

 

“楽”な位置にいることを選んだ。

 

“世間の考え”が彼の愛を邪魔したということ。

 

それと、ハンナが彼の助けを望んでいなかったということ。

 

彼の若さが判断をにぶらせてしまったということ。

 

ここに年の差という設定の意味があったような気がしました。



 

原作を知らずに映画を見たとき、私はハンナの気持ちに同情して涙がずっと頬を伝わり落ちてきました。
原作はマイケルの気持ちを丹念に描いておりました。
マイケルの“愛”の敵は自身の中にある“常識”でした。

 

若い頃の毅然として気性の激しさもあるハンナ。老人になった姿に哀れさもありました。
ケイト・ウィンスレットの演技は見事でした。
アカデミー賞は納得の演技です。


 

 

 

原作者B・シュリンクは法学部教授でもあるそうですね。

 

 


 

ホロコーストもの。
これまではユダヤ人の立場からの本や映画ばかりでしたが、
これは違ってました。
加害者側の親衛隊で女看守ハンナの立場を描いておりました。

 

裁判のシーンで、ハンナはどんどん不利な立場になっていく。
いい弁護士がつかなかったことと、ハンナ自身が上手に受け答えできなかったこと。


 

人が人を裁くことの難しさというものも考えさせられました。

 

文盲のハンナがなぜ、裁判の時に「私は字が書けないのよ!」と言わなかったか。

 

もちろん、字が書けないということを隠したかったものあるけど、

 

私は自分の罪を潔く認めたからだと思います。

 

それが最後のあの悲しい結果に終わったのでしょう。

 

僕が一歩踏み込めなかったのは、

 

彼が負えるような生易しいことではないと、無意識に解っていたから。

 

だから、自分を麻痺させ、朗読したテープを送ることによって、
少しは自分の中にあるハンナへの愛を形にしたかったからかもしれません。

 

ハンナが文盲なのにかかわらず、マイケルのテープと刑務所の本を照らしあわせ、字は書けるようになったことに感動しました。

 

映画の方では、ハンナが送った簡単な文章の手紙をマイケルが受け取った後、
だんだんマイケルの方が疎遠になっていきます。
そこの説明があまりにも不足してました。

 

原作は手紙を受け取って字が書けるようになったのか!と喜ぶマイケルの姿があります。
映画にはなかったです。

 

どうしてもハンナに面接に行けなかったマイケル。
やはり、そこにはハンナに対する犯罪者という目があったのでしょう。

 

戦争は負ければ犯罪者。

 

簡単に一方が一方を責めることができるのでしょうか。(難しい問題だと思います。)

 

それと、
本を読むすばらしさ、文盲のハンナを通じて深く感じました。

 

本当に映画、本、どちらからも感銘を受けました。
良かったです。