平成23年5月22日 文化講座 | 茶の湯日記

茶の湯日記

和菓子、茶道、茶の湯

 私が所属させていただいている藤間亨先生の文化講座のメモです。
 少し、前のことですが、自分のメモとして、記述します。

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 この日の文化講座は、淡交の5月号に藤間先生が、不昧公のことに付いて記述をされたことについて、お話をされました。
 淡交から、原稿依頼があったとき、ページ数が少なくて、困ったというのが最初の先生の言葉でした。しかしながら、不昧公がどういう人であったかということは、先生自身が残して置かなければならないものなので、執筆をされたとのことです。

 まず、不昧公が藩主であった出雲藩のことからですが、石高は、18万6千石です。ただし、実質的な石高は32万石だったと言われています。
 これは、明らかに優遇ですが、それは出雲藩は親藩としては、最も西にあったためとされています。

 裕福な藩であったにもかかわらず、17歳で不昧が藩主になったときは財政危機でどうしようもない状態でした。17歳で藩主となったのは、財政危機の責任を先代藩主が取っための処置であったそうです。
 不昧は、殖産興業に腐心し、ついに藩の財政再建を果たします。


 茶の湯の道具の収集としては、雲洲蔵帳があまりにも有名です。
 全部で、800点もあるとのことです。それほどの道具の数ですが、1点の青磁の香炉以外は、全てどこでどのようにして購入したか記録が残っているそうです。
 そして、収集する際は、必ず7~8人の道具商から情報を収集していたそうです。そして、吟味をした上で、購入をしました。
 面白いのは、自分の購入した価格と世間相場の価格を対比させて、安く購入したことを喜んでいた文書が残っていることです。

 不昧は、収集した道具の分類を自ら行います。
 分類は下記のように行いました。

 ・宝物
 ・大名物
 ・名物
 ・中興名物
 ・名物並
 ・上の部
 ・中の部
 ・下の部
 
 宝物、大名物などは、当然、東山御物などです。
 中興名物は、小堀遠州が見出した道具です。
 名物並というのが、不昧が見出した道具です。
 その下の分類は、不昧の好みの道具なのですが、不昧はこの道具の分類の入れ替えを生涯のわたり続けたそうです。

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 宝物では、油屋肩衝(重文 畠山記念館)、圜悟墨跡(国宝 根津美術館)が有名です。上の写真にある、不昧が参勤交代のために作った茶いれを入れるランドセルのようなものはあまりのも有名です。これは、背負うことがはばかられ、このランドセルを籠に載せて松江まで運んだそうです。

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 写真の「秋野棗」は下の部です。

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 今回の淡交の原稿では、特に不昧の収集品の中でも有名な三井戸の話が印象的でした。
 三井戸は、喜左衛門井戸、細川井戸、加賀井戸です。
 それぞれの井戸の高台の写真を並べたのが、いかにも先生らしいです。
 大井戸の特徴についても、教えていただきました。

・大きいこと
・轆轤がゆったりしていること
・中に茶ダマリがあること
・茶筅ずりのところにメアトがあること(但し、喜左衛門には無い)
・高台周りにカイラギがあること
・釉薬は袋掛けであること

 そういう基礎を踏まえて、三井戸の特徴を解説していただきました。

○喜左衛門
 まず、手乗りが軽いそうです。実際に手に取った方は言うことが違いますね~。
 井戸茶椀の中でも、かなり使われた跡があり、実際に使われた時代が長かったことがわかるそうです。カイラギもそうであるが、一番、動きのある茶椀だそうです。
 箱は7重だそうです…。因みに、値段は15億…。これは、その時代の価格なのか現代なのかは、忘れてしまいました。

 喜左衛門には、怨念話があり、持ち主にできものが出来るとされています。不昧公は、どうやら痔だったらしいです。その上、次の代の藩主もできものができたということで、大徳寺の孤篷庵に寄贈されました。
 
○細川
 三井戸の中では、細川がもっとも美しいそうです。
 高台が高く、カイラギが静かで落ち着いています。
 
○加賀
 加賀については、個人蔵で、どうしても国宝に出来ないということを仰られました。美術館の館長をしていた先生ならではのお言葉でした。
 いいですね。個人で、こんな茶道具を持って楽しめるとは。

以上、雑駁なメモでした。