私は上の子が小学校を卒業する時は何とも思いませんでした。卒業式の歌で涙が滲んだぐらいでした。



でも下の子が卒業するとなると複雑な気持ちになります。


私の難病歴は下の子の年齢と一緒です。


今でこそ落ち着いていますが発症当時は死を覚悟しました。


当時の主治医の先生はいつも不安そうな顔をしていました。


大量のステロイドに苦しみ我が子とは引き離され夫は私を放置して母親に甘えていた。


採血の結果はずっと思わしくなく副作用で夜は眠れない。


連日の同室入院患者からのいじめと窃盗。


いつも気分が悪くて関節が痛い。苦しくてたまらないのに誰にも弱音を吐けなかった。意地悪な看護師もいた。


子ども達はムスコンにとられた。


私の人生は暗いことばかりだったけど人生の中でも難病発症当時が一番苦しかった。


たまに子ども達と会えても具合が悪くて楽しめなかった。入院中別れ際には子どもが泣くので子どもをチャイルドシートに乗せた後私も一緒に車に乗ってロータリーまで運転してもらい玄関前で車から降りると子ども達が大号泣していた。


このまま一緒にアパートに帰りたいと思いながらも涙をこらえて病棟に戻った。本当はステロイドを飲んでるから外に出るなと言われていたけど無視していた。


子ども達は姑に育てられた。


私が引き取ってから長い間子ども達とは馴染めなかった。


私はいつも具合が悪くて寝ているだけの日が多かった。


ママ友付き合いなんて全くできずにぼっちを貫いた。子どもが通っていた園では暗い人だと認定されていたと思う。


子ども達にはいつも申し訳なかった。


それでも毎日一緒に子ども達と暮らし、いつの間にか何でも言い合える関係になった。こうなるまで本当に長かった。


私は母親らしいことを何もしていないのに月日は流れて下の子が小学校を卒業する時が来た。



私は下の子の母親ですと胸を張って言えないけれどそれでも小学校を卒業できるのは嬉しい。


嫌だなとかキモいなとかウザいタヒねと雑音に流される日もありますが、これからも周りに流されることなく子ども達と向き合って行きたいです。