結婚して2年目から私が病気になるまでの間、ムスコンの年賀状を書くのは私の仕事でした。
ムスコンはハイエナ経由で私に年賀状を書くように言って来ました。
ムスコンが手書きで書くより私がパソコンで書いた方が見映えがいいからという理由です。そんなの知りませんよ。
姑の見栄に協力したくなかった私は何度も断りましたが、ハイエナは姑から買収されていたので結局押し切られました。あの親子は本当にしつこい。
ハイエナは当時まだパソコンで文字が打てなかった。だったら引き受けるなよって話です。
「ムスコンの為にやってあげたいのはハイエナなんだからハイエナがやればいい最初から嫁を当てにするな」
といくら言っても「あんたはパソコンを打てるんだからあんたがやりなさい」と言って話が全く通じない。
ムスコンが我が物顔で「今年は嫁に年賀状を書かせたのよ。私は嫁を従えてるのよ」と親戚に自慢している姿が目に浮かんできてムカつきながらも私は我慢して印刷までやりました。
子どもが生まれるまではシンプルなイラストで済んでいました。
しかし子どもが産まれるなり
「孫ちゃんの写真を年賀状にしてちょうだい」
と言われましてね。差出人はもちろん姑
親戚たちに孫自慢をしたくてたまらない姑。ムスコンにとって孫は自分を良く見せるための道具なのです。
私は自分の子どもを姑の自慢材料になんかしたくなかった。
でも姑に袖の下を渡されているハイエナがしつこくて何度断っても断っても写真付きの年賀状にしてくれと言われた私は根負けしました。
そんなに孫の写真を配りたいのならムスコンとハイエナの二人でやればいいのに。
私はハイエナに「写真屋に写真のデータを持って行けば自分で年賀状が作れるよ」
と教えましたが
「俺はやり方が分からない!!やり方を知らないと思われたら恥ずかしいからあんたがやってくれ!!」
と言って決して自分ではやろうとしなかった。
私だって写真屋で年賀状なんて作ったことはありませんよ。
でも見よう見まねで何とかなるはずです。しかしハイエナは自分で知らないことを調べながらやることができません。一つ分からないことがあるとずっとそこで引っかかって先に進めない上に聞くことが恥ずかしいと思っている。だからいつまでたっても新しいことが覚えられない。
私だって新しいことを覚えるのは苦手ですよ
それなのに何だって私が突破口を切って姑の為なんかに身を削って時間を使わなければいけないんでしょうか。当時は上の子が一歳になったばかりで私は毎日とても疲れていた。そんな状態で知らないことに取り組むのはとても億劫だった。
ハイエナのしつこさに負けた私は写真館で買った上の子の一歳バースデイ撮影のデータを持ってカメラの〇〇〇〇へ行った。
店内にはパソコンが並んでいた。
とりあえず開いている席に座ると写真の現像の申し込み方法や年賀状作成の方法が書いてあった。
よく分からないままに、ハイエナに一歳児を抱っこしてもらって手順通りに年賀状を作成した。やってみると簡単だった。
住所も印刷してもらえるかと思ったらそれは自分でやらないといけなかった。使う写真とイラストと文字を決めてから申し込んで後日完成したものを受け取りに行く形だった。
これぐらいハイエナがやればいいのに
私は慣れない育児で疲れているのに
何だって姑の孫自慢の為に私がこんなことをしなければいけないのか
しかもハイエナの袖の下が私にお裾分けされることはなかった私は完全なタダ働きそしてハイエナは姑からもらったお金で休日にパチンコをしに行った。
不満だらけで作った年賀状が仕上がると私が自宅で宛名を印刷してハイエナと一緒に郵便局まで出しに行った。
ハイエナに一人で出しに行けと言っても
「普通のポストにそのまま出せばいいの?」と言うので
「大きい郵便局には25日までに出せば元旦に届けてもらえるポストがあるからそれに出せばいい」と言ってもハイエナは
「どこにあるか分からないから一緒に行って欲しい」と言ってしつこかった
いくらそういうものがあると聞いても自分の目で確かめないと本当にあるのか信じられないようです
それから私はすぐに下の子を妊娠してその年には出産した。
下の子は秋生まれ。
産後はどこにも頼らなかったので上に小さい子がいる中でのワンオペ育児は結構キツかった。あれは地獄ですね。
それなのにムスコンがまた写真付き年賀状を作ってくれと言ってハイエナに袖の下を渡しました
小遣いをもらえたハイエナは「おかんが年賀状を作ってって言うからやって~」と私に命令してきました。
「そんな時間があるんだったら寝かせて欲しい」
と何度も言いましたがおかんの為に孫たちの年賀状を親戚にばらまきたいというハイエナの意思は固く、嫌だと言えば言うほどにハイエナは無理強いをしてきました。
だから自分でやればと言っても「俺はやり方が分からないから行って何も分からないと思われるのが嫌だからあんたがやって」と言う始末。
一体どれだけ自己中なんでしょうか。
嫁がワンオペ育児で疲れ切っているのにどうして姑の為に動けと言えるのでしょうか。
嫁は不死身だとでも思っているのでしょうか。
いくら断っても全く聞き入れてくれなかったハイエナ。
私は観念してアパートで適当な写真を撮りました。
するとハイエナが「おしゃれな服を着せようぜ」と言いました。もうそんなの適当でいいのにと言っても「この前買ったあれを出そうぜ」と言って高く見える服に着替えさせろと私に着替えさせました。
こんなことをしている暇があるんだったら横になりたい。そんな私の思いは完全に無視されました。
写真を撮ると4人で写真屋に向かいました。
授乳やおむつ替えや上の子の食事時間を考えながらの移動。
私は「早くしないと下の子の授乳時間が来てしまう!いつ子どもたちが💩するか分からない!店で騒ぐかもしれない!!とにかく早くしないと!」とプレッシャーを抱えながら店のパソコンで子どもたちの写真を年賀状にしました。
何かのキャラクターのイラストに子どもたちをはめ込む形だったんだけど、私はもう適当なものでいいと思っているのにハイエナが色々と口を出してきてよりいい物を選びなおして時間がかかったのが本当にウザくてしんどかった。
嫁は不死身じゃないんですよ。
育児で疲れている嫁を休ませてあげたいと思えないのが不思議です。
ただでさえ大変な嫁に更に大変な思いをさせて楽しんでいるとしか思えない。
2歳児と0歳児のワンオペ育児は大変だった。
頼みの綱の夫は土曜日には毎週仕事と嘘をついてパチンコに行っていたから全く戦力外だった。ハイエナの日曜は食い散らかして寝るか上の子を連れて姑の所へ行くかのどっちかだったから私は全く休めなかった。
完成した年賀状は後日4人で受け取りに行きました。ハイエナが一人で受け取りに行くのが寂しいからとごねたのです。私はそんな時間があるのなら横になりたかった。
結局宛名印刷も私がして、一体何で私がこんなことをしなければいけないのかとイライラしました。
姑の自慢の影で嫁が苦しんでいても姑は「今年も嫁にやらせてやったわよ」と笑っていたでしょうね。
送られた年賀状もどうせ処分されるのかと思うと何だか無意味なことをさせられたようで虚しかったです。
あの頃は思いつかなかったけど今思えばムスコンがポポちゃんを抱えている写真を年賀状にしてやればよかったな~!ムスコンは孫たちの代わりにぽぽちゃんを買って可愛がっていたからね。それをさらしてやればよかったわ。
それではまた何か思い出したらレポります~