
お嬢さんと6歳まで住んでいた街にいった。

道路沿いにあった我が家は

築13年で 道路拡張工事にひっかかり

取壊し

今は80坪の更地である

ときどき この土地を買いたいと

不動産屋さんがたずねてくるが

ばあちゃんが

私ではなく おじょうさんの為にと

残している土地である

なんだかんだと

うちは 土地にご縁があるようで

田舎なんで なにしているんでもなく

私は 盆や正月前になると

草払い機を車に積み込み 一人で草と格闘するのである

それでも お嬢さんにとっては

大事な場所らしく

お嬢さんが5歳のときに亡くなった
じいさんが植えた2本の樹にたわわに実った甘いびわを収穫したり

蓬の時期には 草もちにしたり

シロツメクサで編んだ花輪を作ったり

それぞれの土地で
それぞれの思い出がいっぱいなようである

ふと

運転していてお嬢さんの通っていた幼稚園を見た時

ちょっと 懐かしくて 泣けてきた

わたしにとっても

思い出がいっぱいだ
産後50日で離婚して

お嬢さんが1歳になったころ

定年を迎えたじいさんとばあさんに

お嬢さんを預けて 働き始めた

だから 私は お嬢さんがしゃべりだした時のことも

歩き出したときのことも しらないのだ

夕方仕事から帰ってきたとき

ばあさんが「じっじったあ~~ん」って言ったんだよ

って教えてくれた
普通 ママとか マンマとかが 先なんだけどなぁ

と ちょっと寂しかったのを 覚えている

昼間の離れていた時間を取り戻すかのように

毎日 夜の寝るときまで 絵本をよんだり

しまじろうのビデオでダンスを踊ったりしてたな

朝 くしゃくしゃの頭で起きてきて

「おしごと いったら いや~~~だ~~」

と車の鍵を隠されたことも1度や2度ではない

3歳になり 幼稚園に入れたけど

卒園するまで 3年間

毎朝 大泣きして 帰る~~っていうし

私も毎朝 泣いている子を園に預けて

仕事に行かなくちゃいけないのかって

大泣きしながら 職場に運転していってたなぁ

風邪で高熱がでている我が子をみて

この子になにかあったら

私の責任だ

その時は 死ぬ覚悟をしていたなぁ

それは

今でも変わらないが

きっと

周りからみても

私とお嬢さんの関係は

まだ へその緒が切れてないんじゃないか

と思えるぐらいだが

でも

それでも 少しずつ 子離れ 親離れしていくのかもしれない

お嬢さんの志望する学校は

自宅からは通えない

県立だが 女子寮があるので 親元から離れて

寮生活をするという

高校までは 手元においておきたい

母の本音である

でも

お嬢さんは夢と希望をもって

そこに進学したいという

私も いつまでも お嬢さんに甘えてはいけない

しっかり自立できるように育ててきた成果なのだ

でも さびしくもある

きっと このことも いつか 思い出がいっぱいの中に

刻まれていくのだろう
