Route 9  西へ東へ

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難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患し気管切開した ポンコツおやじのブログです。
自分では 視線入力で意思伝達装置のmiyasukuを操作することしかできません。
ベッドの上で天井を見つめながら あれこれと思いを巡らせる毎日です。



体を動かす筋肉が衰えていく難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者同士が協力して楽曲を作り、松江市内でのライブでこのほど披露した。「あの頃の私はもういない」と題し、闘病の苦しさも、生きる希望や支えてくれる人たちへの感謝も、思いの全てを詰め込んだ。今後、動画サイトなどでも発信する。

「あの頃の私はもういない」は、松江市東津田町の吉岡哲也さん(61)が詩を書き、病気と闘いながら仲間とバンド活動をする浜田市原井町の松本裕樹さん(61)が、曲を付けた。

 2人の出会いは昨年11月だった。2019年1月にALSと診断された吉岡さんは、気管の切開手術で声を失った。自力で歩くことができなくなり、人工呼吸器を付けての生活を続けていた。

そんな時、浜田市内であった「難病フォーラム」で松本さんと初めて、対面した。

 「私が曲を作るので、吉岡さん、詩を書いてください」

 松本さんが提案した。松本さんは歩行がうまくいかず、ろれつが回らなくなる中で体験を歌にしている。「思いを作品にすることが重要だ」との思いで勧めたという。

 吉岡さんは病気になる前に詩などを書いたことがなかったが、診断を受けてからの心境を書き留めた。

 体が自由にならないといった不安を「ブレーキが効かない下り坂。制御不能の心と体。悪い夢を見ているようだ」と表現。風を感じながら歩き、仲間とグラスを傾け合うこともできなくなったとつづりながらも最後には、「すべてが終わったわけじゃない。ありのままを生きるんだ」と力を込めた。

 ライブは15日、松江市西川津町の市国際交流会館で松本さんが企画し、開催した。ギターを持つ松本さんらバンドメンバーを見守る中に、病院を一時退院して駆け付けた吉岡さんの姿があった。吉岡さんは松本さんの情熱と行動力にあらためて敬意を抱き「私も人と出会い、関わりながら何かをしていきたい」と前を向いた。

(多賀芳文)

※ 2024年6月24日の山陰中央新報デジタルの記事より引用しました。