今日は母の命日


先週お寺で一周忌の法要を済ませてきました。




咳が出るので薬を飲んでいたけどなかなか治らないので一度検査してみましょうとなり肺がんが見つかった。

抗がん剤投与が始まり、一年八ヶ月の闘病の末息を引き取った。


もっと何かしてあげられる事があったんじゃないか、母は最期の時どうして欲しかっただろうと、様々な思い、後悔が残っている…


母の最後は病院の緩和ケア科でだったのだけど、去年はまだコロナ禍だったので一般病棟は面会禁止でした。

でも母が入院していた病院は緩和ケア科は当時1日1人1時間の面会が可能で、3日間一般病棟で過ごし緩和ケア科のベッドの空きを待ち移動となり、その日は初日になるので1日病棟にいて大丈夫と許可が出ていて、手続きを済ませ病棟へ行き、先生から容態の説明を受け、呼吸が浅くなってきているので今日かもしれないと言われた。

これからやっと毎日面会で会えるのに…

3日振りの母は手足が浮腫んでいて、食べられる物はアイスと氷や水ぐらいだったけど、まだ普通に話せて、看護師さんがベッドごと移動出来るんですよと中庭まで連れて行ってくれて外の空気を吸う事も出来た。

夕方弟も来て、弟とも話せて

痛みが出てきたので、先生からこれから薬を入れます。話す事は出来なくなりますが声は聞こえているので話しかけてあげてくださいと言われた。

弟と交代で外へ夜ご飯を食べに出たりしながら、21時半頃急変時は連絡をくれるという事で一旦家に戻る事になった。


私は病院まで往復3時間半程かかるので、今日は家に帰れないと思い病院の近くのホテルを昼間たけちゃんに予約してもらっていた。

弟は母と同居していて、近いから家に来ればと言ってくれたけど、いつも母がいた部屋に1人でいるのは辛いからと断った。

ただ、たけちゃんその日は仕事で泊まりだったので、ラムをどうしようとなり、ようこりんに連絡をしてラムをお願いした。

ようこりんにうちの鍵を持ってもらっていて本当に良かった…

その夜はようこりんの娘の陽菜がうちに泊まってくれて、本当に感謝しかない

いつ急変するか分からず、一旦家に帰って又病院へ戻ってとしていたら、母の最期の時に間に合わなかったかもしれない


ホテルにチェックインしようとしたら病院から電話が来て、急いで病院へ戻ると母は眠りについた所だった。

最期の一息には間に合わなかったけれど、母の魂はまだ病室にいたはずだったと思っている。

弟も到着し、体を拭いてあげたり看護師さんが一緒に旅立ちの準備をさせてくれた。


病院を出たのは深夜1時を過ぎていたと思う。

ホテルに着いて部屋に入ってまず思った事


終わったんだ


そう思った。


肺がんと分かった時、いつかこの日が来ると

とうとう来てしまった

もう母はいない

母と話す事は出来ない

通院の度の付き添い、コロナ感染への不安、大変だったけれど全て終わってしまった


ホテルの部屋で一休みして始発で自宅へ戻り、家に入ったらソファーで陽菜が寝ていて、その隣りにちゃっかりラムも寝ていて、それがとってもほっこりして癒されたにっこり


あらから一年

付き添いや買い物などで週に3日前後程は会っていたのに、もう一年も母の声を聞いていないんだな

遠いから面倒だと思う時もあったけど、いざいなくなるととっても寂しい


もっと優しくしてあげれば良かった

元気なうちにいろいろな所に連れて行ってあげれば良かった

コロナさえなければ母が大好きだった巣鴨にも連れて行ってあげられたのに

あんなにあっという間に逝ってしまうなら、私が弟の家に泊まり込んで自宅で逝かせてあげれば良かった

後悔をあげればキリがない

お母さんごめんね



今日はお花と、母の好きだった大福をお供え



写真の母はいつも笑っている

もう痛い苦しいなく、穏やかに過ごせていますように


コロナで不便を強いられたけど、弟の子供が熱が出たなど連絡が来た時は母を急いで迎えに行き我が家に泊まらせる事も何回かあり、コロナがなければ又母と一緒に暮らす体験をする事もなかっただろうから悪いことばかりではなかったかもしれないね


我が家でラムと仲良くやってたね




お花見もよく行ったね



お母さんありがとう

お母さんの娘で私は幸せだったよ