ラムが旅立って3ヶ月が過ぎ、その間姫路へ旅行へ行ったり、たけちゃんがコロナ感染したり、お義母さんが亡くなったりと、いろいろな事があったからかあっという間に過ぎていきました。


ラムの直接の死因がなんだったのか、いまとなってはよくわかりません。

飼い主にしかわからない異変があったのかな

もし気付けていたら違ったのかな

でもわかった所でラムが戻ってくるわけではない


とにかくラムは最期まで頑張って生きてくれたと思っています。


元々若い頃から股関節形成不全と言われていてグルコサミンのサプリを飲ませていたのですが、アルが旅立った後ぐらいから後ろ足がヨロヨロし始め、今年に入った辺りから悪化してきた感じだったので以前ジーマロが通っていた病院に整形外科の先生がいらっしゃるので近所のかかりつけの病院以外でも診てもらい始めました。


そして5月の中旬辺りから後ろ足が立たなくなり寝たきりに


5月の終わりのわんにゃんドックでの超音波検査で腎臓と肝臓付近に嚢胞が見つかり、中が血液だった場合出血したら生死に関わるので詳しくは検査出来なかったと言われ、この嚢胞をどうにかするには外科的手術になるためラムの年齢や今の状況では勧められない。破裂しないよう見守るしかないと言われ、別の整形外科の先生がいる病院の方でもセカンドオピニオン的に同じ検査をしていただいたのですが、同じ見解ですとの事でした。


破裂した場合意識がなくなるなど急変するのですぐわかるとの事だったので、容体急変の場合はすぐ病院へと思っていたのだけど、急な悪化の兆候はなく、ただ亡くなる2日程前から徐々に食欲が落ち始め、苦しそうな息遣いになってきたのは亡くなる前の夜中頃からで、今病院へ連れていっても出来る事は何もないと言われるのはわかっていたので家でラムに付き添い見送ろうと決めました。


そして朝9時前頃、最後に立派なうんちを4、5個出しそのまま旅立ちました。

下痢でないコロコロした茶色い綺麗なうんち。

立てたなくなって1ヶ月半、踏ん張る事が出来なかったからうんちの出も悪かったんだけど、最後にスッキリして旅立てて良かった


最期は嚢胞破裂だったのかもしれないし、

6月に入ってからおしっこも調節出来なくて匂いもキツくなってきていたので、整形外科の先生が調べてくれて炎症を起こしてるから抗生剤を飲ませながらカテーテルを入れてそこからおしっこが出るようにもしてくれていて、腎臓付近や膀胱で何かが起こっていたのかもしれないし。


でも最期までラムは生きようと頑張り、最後の何時間かはハァハァと苦しそうにはしていたけど、私とたけちゃんがいる時間帯に私達に見守られながら旅立ちました。


アルが旅立ちもう私達にはラムしかいなかったから、もっともっと一緒にいたかった。

寝たきりでもいい、出掛けられなくてもいいから、生きていて欲しかった。

まだあと2、3年は一緒にいられると思ってた。

20歳までいけるんじゃないかと思ってた。


今年は本当にいろいろな事があり過ぎて、今までは母親に付き添わないととか、ラムがいる間は元気でいなきゃとか、そういった張りあいのようなものが一気になくなってしまった。


ラムは私のストーカーで常に傍にいたからラムには私がいなきゃと思っていたけど、私の方がラムに依存していたのかもしれないな。


寂しいけど、ラムはきっと今でも傍にいるはずだから、私もこの日常に慣れていかなきゃね。


この後ラムが歩けなくなってから買って良かった物を載せようと思っていたのだけど、長くなってしまったので次のblogで看板持ち