ブログに書くか迷ったけど書いてみる。
去年から人にお願いする・頼むっていうのを練習してるけど、なかなか受け取りきれない。
そんな謎がちょっとわかった気がした。
先日の伊勢ツアーでわかったこと。
・本当は好きなのに好きって言えない(誰かに否定されることを恐れてる
・今世の子供の頃や前世で小さい時から大人に頼れず生きてきた
1つ目なんて、ここ1年の講座で耳にタコができるぐらい助言をもらってる。
2つ目だ。
私は甘えたで寂しがり屋な子供だった。
ママンとは中3まで一緒に寝てた。
幼稚園や小学生の頃から1人で寝るなんて信じられない。
まず暗いのが怖い。おばけも怖い。
(今でも真っ暗は嫌、怖いマンガや映画は見ない。)
だから寝かしつけの時に必ず手を握ってた。
寝ついたと思われたら違う部屋に行ってしまうから。
(21時には寝る子だった)
それでも、ふと目を覚ましたら親がいなくなっててその度に1人で泣いてた。
更に小学生の時は無駄に広くて暗い家だったから余計に怖かった。
でもなぜか寂しいと言えた記憶がない。
1人でひっそり泣いてた記憶が強い。
言ったかもしれないけど、親はきっと見たいテレビがあってぞんざいにあしらわれたのかもしれない。
思い出す限り、その辺りで「寂しいと言っても聞き入れてもらえない」と思ったんだろう。
その後は学校が嫌だったけど本気で聞いてもらえず、高校生の時は反抗して無理矢理要望は通した。
でも鬱になり、また死ぬほど寂しくなり、寂しいと言える共依存の友達を作ったり腕が血だらけになったりひたすら泣いていた。
その後彼氏ができたけど、寂しいと言ってもデートの予定を早めてくれるよう人でもなく。
しかもなぜか月1しかデートしてなかったので、泊る度に次の1ヶ月の寂しさを憂い寝る前に泣いていた。
ここでも寂しいと言っても理解されないと学習してしまった。
相手がいるから寂しいのだと気づいたので、別れたあとは急いで彼氏を作ることもせず好きな遊び・仕事をたくさん入れた。
けど寝る前によく泣いてた。
実家だし添い寝フレンドを作る気にもなれなかった。
なぜ昔からこんなに寂しいのかはまだわからないけど、1番助けてほしいことを受け入れてくれなかったことが引っかかってるのかもしれない。
今でも突然寂しくなってご飯を誰かと食べたくなったり、会って話し相手をしてもらいたくなることがある。
でも、理由が寂しいだと否定が死ぬほど怖いらしく誰も誘えない。
ただ話したいことがあるだけなら平気で誘うのに。
もう一人暮らしだから一緒に寝てくれる相手だって作れるのに作れない。
ちなみに親にもこの話は既にしている。
でも何かが刷り込まれている。