時間の比較社会学には時間の感覚、観念が文化、社会の形態により異なるとの説明があります。

  いわゆる工業化の進んだ社会では時間が貨幣と同じ様に取引されるようになっているため、時間を無駄に過ごすという感覚に私たちは捉えられがちになりますが、それは人類共通の価値観では無いという事が書いてあるように私はとらえました。

 もっとも両書とも私には難しく、容易には読み進めませんし、理解もなかなかできないでいます。

 

 しかし分からないながら、読み比べてみると結構面白いです。

 私自身もかなり暇なんで。

 

 暇と退屈の倫理学 國分功一朗著 朝日出版社

 の206-216頁にハイデッガーが退屈の第一形式の説明として駅で4時間次の列車を待っている例を挙げている。

 それにより、退屈を構成する二つの要素を説明している。

  1. 時間がのろく、ぐずついているため、時間によって〈ひきとめ〉られている。p.211

  2. むなしい状態に放っておかれる〈空虚放置〉。p.213

 

  4時間も何もすることがないというのはかなりの苦痛です。

  それに対して


 時間の比較社会学 真木悠介著 岩波書店 岩波現代文庫

 第1章 原始共同体の時間意識 二 共同時間性・対・共通時間性

 のp.67にはムビティが彼の育ったアフリカの時間とヨーロッパのそれとの対比を書いた以下の文が紹介されている。


  西洋の、あるいは工業化の進んだ社会では、時間は商品化されていて、それは使用や売買の対象となる。けれども伝統的なアフリカ人の生活では、時間は創出し作り出すものである。

  ヨーロッパやアメリカから来た人々はアフリカ人が一見何もしないで座っているのを見て、「アフリカ人はただぼんやりと座って時間を浪費している!」という。しかしこれらの座っている人たちは、時間を浪費などしていない。時間を待っているか、あるいは時間を「作り」つつあるのだ。(Mbiti, J., op. cit., p.19.)

 

 この説明によれば、このアフリカ人は決して退屈はしていないはずです。