「父の日」であり、誕生日でもあった昨日、起きると子供から「電波腕時計」をプレゼントされ、ジムから戻ってきたら「ワンセグ携帯」がワイフと子供からのプレゼントとして机の上に。
そして夜はワイフの両親が食事会を催してくれました(来週末は私の両親とも会食の予定です)。
お行儀が悪いですが、食事中にこっそりとワンセグをスイッチ・オンしてナイター中継.....。いいぞ、豊田!
ジムで日経新聞の「春秋」(下記参照)を読んだ直後だっただけに、自分は幸せ者であることを実感した1日でした。
ありがとう!
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きょう父の日に何ももらえなかったお父さん、落胆しないでください。日経MJがゴールデンウイーク中に行った事前調査では「実父に贈り物をする予定」の人は27%で「贈るつもりはない」の半分。もらえない方が多数派なのだ。
東京の百貨店を数店回っても、父の日ギフトの商品案内を小冊子にしていたのは1店しかなく、ある店で「すみません、こんな簡単なもので」と手渡されたのはA4判のチラシ1枚だった。エプロン、包丁、1人用コーヒーサイホン――もらったとしたら、その意味が気になるに違いない、お薦め品も散見された。
「古歌に父を扱った例は乏しい」のに「現代歌人は驚くべき熱心さで、解禁されたテーマのように、父を描いている」。『岩波現代短歌辞典』の父の項にそうある。〈悪霊となりたる父の来ん夜か馬鈴薯くさりつつ芽ぐむ冬〉など虚実を取り混ぜて「父の歌」を多く残した寺山修司は熱心な現代歌人の代表だろう。
寺山は「母の歌」もたくさん詠んだので、父母どちらに肩入れするか気になるが、これは明らかに母だ。〈そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット〉悪霊とされる父と、悲しいまでの差がある。冒頭のMJの記事も「母の日に比べるとまだまだ地味なイベントのようだ」と父の負けを言い渡している。
(2007年6月17日 日本経済新聞朝刊 「春秋」)
