前回(Vol.1)
はサンフランシスコ・レポートといいながら、他流試合の話になってしまった。第2回は、数多くプレーしたゴルフ場についてレポします。
きちんと数えた訳ではありませんが、最も多くプレーしたのは、1997年に和議申請し、その後、民事再生法を申請し、最終的にはゴールドマン・サックス(現アコーディア・ゴルフ)傘下に入った日東興業が所有していたPeacock Gap だと思います。
理由は、北カリフォルニア日本商工会の月例ゴルフコンペが開催されていたからです。タイガー・ウッズの登場によりゴルフブームに火がついた米国では、この種のコンペの場所を確保するのが容易ではなく、日本資本が所有するコースは貴重な存在でした。
サンフランシスコの北、ゴールデンゲートブリッジを渡って間もないSan Rafaelという町にありました。お世辞にも「良いコース」とは言えませんでしたが、各種邦人コンペの開催コースの一つであり(他に「全日本大学対抗ゴルフ」など)、駐在員には馴染みのコースでした。
ここの難点のひとつは水捌けが悪いこと。秋から冬にかけては雨が多いのですが、コースは田んぼのようになってしまいます。ということで、この季節になると商工会コンペは、ミサワホームのリゾート部門(=その後、業況不味により同事業から撤退)が所有していたHiddenbrooke で開催されるようになりました。
こちらはサンフランシスコから北東へ約1時間、Vallejoという地区に住宅開発と合わせて開発された新設ゴルフ場でしたが、アーノルド・パーマー監修による手応えのあるコースです。(つづく)
きちんと数えた訳ではありませんが、最も多くプレーしたのは、1997年に和議申請し、その後、民事再生法を申請し、最終的にはゴールドマン・サックス(現アコーディア・ゴルフ)傘下に入った日東興業が所有していたPeacock Gap だと思います。
理由は、北カリフォルニア日本商工会の月例ゴルフコンペが開催されていたからです。タイガー・ウッズの登場によりゴルフブームに火がついた米国では、この種のコンペの場所を確保するのが容易ではなく、日本資本が所有するコースは貴重な存在でした。
サンフランシスコの北、ゴールデンゲートブリッジを渡って間もないSan Rafaelという町にありました。お世辞にも「良いコース」とは言えませんでしたが、各種邦人コンペの開催コースの一つであり(他に「全日本大学対抗ゴルフ」など)、駐在員には馴染みのコースでした。
ここの難点のひとつは水捌けが悪いこと。秋から冬にかけては雨が多いのですが、コースは田んぼのようになってしまいます。ということで、この季節になると商工会コンペは、ミサワホームのリゾート部門(=その後、業況不味により同事業から撤退)が所有していたHiddenbrooke で開催されるようになりました。
こちらはサンフランシスコから北東へ約1時間、Vallejoという地区に住宅開発と合わせて開発された新設ゴルフ場でしたが、アーノルド・パーマー監修による手応えのあるコースです。(つづく)
