こんばんはニコニコ
アルケミー  松原雅子です。

今日はちょっと嫌なこと言うかも。



①「子どもには、しっかり学力をつけて、
安定した職業に就いてほしい…」

②「子どもには、自分の才能を活かして
生きていってほしい…」

③「子どもは、元気で明るく暮らしてくれれば
それでいい…」


あなたは
親にこう言われたり
子どもにこう言ったり
した経験はありませんか?


は私を愛してくれているから
こう言ったんだビックリマーク

私は子ども愛しているから
こう言ったんだ!!



果たして
本当にそうですか…?


殺人のような大きな事件を
起こした子どもの家族のことを

近所の人が口を揃えて

「仲のいい家族に見えた」

「お父さんは子煩悩だった」

「お母さんは料理上手で感じがいい人」

「子どももちゃんと挨拶するいい子だった」



外から理想的に見えたとしても
たとえ言葉は愛情からに見えても

家族が

支配者  被支配者

にわかれており、

家庭は

支配者の独裁国家

となっていることがあります。

支配の方法は巧みで、
支配者の価値観に基づく言葉で
被支配者は右往左往させられます。

支配者の価値観に
準拠出来ない自分は
ダメな人間なのだ、と
思い込まされます。


よく聞く
モラハラ夫
こうして妻や子どもを支配し

残念ながら、
被支配者同士である妻と子は

「お前がお父さんの言うことを
聞かないせいで、こんなことに!」

「お母さんはお父さんの言う通りバカなんだ、
自分はちがう!」

と互いに争う関係となりがちです。


子どものために、
という美しい看板の下に

①「勉強が出来ない子はいらない、
安定した職に就かない子は価値がない」

②「才能のない子はいらない、
平凡な子は価値がない」

③「元気の無い子はいらない、
暗い子どもは価値がない」

という密かなメッセージを
仕込んでいませんか?



夫婦間のパワーゲームのために
無意識のうちに
子どもを取引材料に使ったり

自分の人生の不満のはけ口として
聞いてくれる子どもを
ゴミ捨て場のように扱ったり



子煩悩な父親が
「遊びに連れて行ってやる」
と言いながら、
思ったように妻子が喜ばなければ
とてつもなく不機嫌になる。

仕方なく、喜ぶふりをするしかない。


子どものために腕をふるう母親が
「あなたの好物を作ってあげたのよ」
と、子どもが空腹でなくても
好みが違ってきていても食事を出し、

美味しい!と言って食べないと
ものすごく落胆して、
こちらに罪悪感を抱かせる。


父を、母を
がっかりさせないためには
自分は自分でいちゃいけない

自分が喜ぶ事ではなく
親が喜ばせたい事に
喜ばなければならない。

自分が食べたい量や物ではなく
親が食べさせたい量と物を
美味しがって食べなければならない。



どちらもの名を借りた
支配ではないですか?


恐ろしいことに、

【これは本当は愛ではなく支配】

ということに
支配者被支配者も気が付かず

被支配者はやがて
己の中の空虚を埋めるために

(愛のためだ、自分だってこうして
愛されてきたのだから)

そう大義名分をかざして
支配者へと変貌するのです。


自分も鏡に向かって
私は私を生きている?
親の映像をなぞっていない?
そう自分に問うのです。