■ Disney Twisted-Wonderland The Comic Episode of Octavinelle第一巻

(通称:ツイステ3章コミカライズ オクタヴィネル編第1巻)の内容を、1章コミカライズ(Episode of Heartslabyul)の内容と

三章の行う一章の踏襲について触れつつ先行レビュー

 

「三章で行われたある事」…「一章の素材化」によって一章で描写された全てと円満雄剣、そして三章コミカライズのこれからまでもが否定されてしまった理由■

 

※長くなるので、すぐ本題に行きたい方は>『◆台無しになった絆。それは最初の手を取る。ツイステの全ての監督生達にとっても、

 コミカライズにとっても、とても大事な要素◆』※同じ色で装飾した部分※まで飛ばしてください。

 

 

「Disney Twisted-Wonderland The Comic Episode of Octavinelle」…通称:ツイステ三章コミカライズの単行本が発売する。

 

円満雄剣を愛する筆者にとっては、雄剣が続投しないことが判明したこのオクタヴィネル編は、悲しいことになってしまった。

だが、円満雄剣という独自の個を持ったキャラクターと、彼の物語である一章コミカライズを愛した筆者にとって、最も辛かったことは、ただ、三章コミカライズの監督生(主人公)が雄剣ではない別人の監督生だった(変わった)から(だけ)ではない

 

「三章で行われたある事」…「一章の素材化」によって一章コミカライズで描写された全てと円満雄剣の全てが、否定されることになってしまったからだ。

 

そして、それらは結果的に三章コミカライズで「これから起こる事」までもが否定されてしまう要因になる。

 

そんな事がEpisode of Heartslabyulと同じ作者…つまり、一章コミカライズの制作陣であり、円満雄剣の生みの親達である構成/葉月わかな先生 作画/コヲノスミレ先生という、ツイステのゲーム公式スタッフの手でそれが行われてしまった事も、あまりにも悲しい事だった。

 

筆者は、一章の物語と雄剣が大好きで、オクタヴィネル寮推しだった…。

私の大好きな円満雄剣と一章の物語、そしてオクタヴィネル寮の三人のコミカライズ…

大切だった全てが、この「素材化」によって全て…台無しになってしまったのだ…それが、どうしようもなく苦しい。

 

その理由について解説、言及、レビューしていく。

 

 

…◆前提として◆…

◆このツイステ三章コミカライズ「 Disney Twisted-Wonderland The Comic Episode of Octavinelle」オクタヴィネル編は、「一章(Episode of Heartslabyul)の物語の続編」として公式から扱われているものだ。

一章以降の章のコミカライズは全て、全てそれが別人の監督生の物語であっても(あるにも関わらず。とも言える)

「一章の、円満雄剣の物語だったハーツラビュル編の物語の続編して書かれている

ものだ。そう公式で扱われている。

 

「雄剣と宥太は別人なのに、一章コミカライズと三章コミカライズを重ねて批評するのはおかしくないか?」と考える方も

いるかもしれない、本来ならば筆者もそう思う。雄剣の物語の続編として宥太の物語が存在していないなら、その通りだ。

でもそうできないのだ。公式がそう「宥太の三章は一章の雄剣の続きだ」として扱っている。そしてそれによって、一章も三章も、台無しになってしまう描写が産まれてしまったからだ

今回のレビューは、それによって起きた一章、三章コミカライズのひずみについてのレビューであり、評価であり、感想となる。

 

公式からそう扱われているという部分について詳しく解説すると

(※わかっている人は青字小文字部分読み飛ばしてください)

一章の最終4巻では、グリムが「なんでもない日バンザーイ!」と跳ねて終わる「漫画の最終頁」と

一章のキャラクター設定画」という「一章の作品同士の地続きのページの間に「別人である2章監督生悠河の物語」である2章告知ページが差し込まれており

そのページでは監督生の名前を「ユウ」と表記している為、「ユウ」が雄剣ではない事に一切触れず、わからないように表記したまま

「ユウ=雄剣の物語の続き」として認識したまま「続編が誤読」されるような公式からの誘導が行われている。そういった公式からの誤認を誘う宣伝は複数確認されており

現在の重版分は確認していないが、一章四巻初版についていた帯では、二章に対して「この話の続きがすぐ読める!!」とGファンタジー本誌の講読へ誘導していた。

雄剣と二章の比良坂悠河は別人であるにも関わらず、だ。

そしてこの誤解を誘ういびつな宣伝方法…公式の無言での主人公である雄剣の存在を突然消し交代させるやり方

彼の物語としてコミカライズが進行する。雄剣の続きがある。と思われた雄剣が突如退場させられたことへの怒りや

この形式が乗っ取りに見えるというコミカライズへの批判や、新しい主人公への叩き、色々な嘆きを巻き起こし、ツイステコミカライズは

当時のtwitterのトレンドに乗るほどの大炎上を引き起こしている。(※この炎上については別途記事作成予定)

実際、そこまでの批判や否の意見が出て燃えるような出来事だったのだ。

ここまでの炎上は「誤解や誤読をさせる公式からの宣伝のやり方や、前もって雄剣が続投しないことを明かさなかった誠実でなさ」があったから

そ起きたものだと言える。が、ツイステ公式やコミカライズ関係者はこのあたりの批判やら炎上は完全にスルーし

今回の三章告知でもまったく同じユウ。という監督生表記に一章の構成/葉月わかな 作画/コヲノスミレ…という雄剣だと期待するような宣伝で

まったくの別人三途宥太の物語を始めたかたちとなる。雄剣の物語の続きとしてだ。

 

…よって、「公式はそのように扱っている」以上は、三章コミカライズという宥太の物語」を「雄剣の物語の続編」として語ることは何一つ筋違いではない。という事をご理解いただきたい。

 

(もしこの物語が世界線違いの別の物語であると、監督生達とその物語を使い捨て素材にしていくようなやり方がなければ…

 丁寧に公式から扱われていたのなら…筆者もこの記事やブログを書くに至らずにいられたのです。)

 

そして、その当時のコミカライズの炎上で、雄剣を「使い捨てられた」「二章の主人公に乗っ取りされた」と感じてコミカライズを読むのをもうやめる、現在進行形でやめていると言った人達を、当時~現在まで筆者は何人も見てきた。

あの時の炎上でツイステコミカライズに傷ついた人、この先のコミカライズを読むことに忌避感を感じた方にあらかじめ言っておく

あの時の事を「乗っ取りだ」と感じた方には、これ以降の記事で言及する三章で行われた内容はもっと精神的に辛いことになる可能性がある
 

 

◆三章コミカライズで起きたこと―――――――「一章の素材扱い」とは◆

 

まず三章コミカライズの冒頭について触れさせてもらう、三章監督生三途宥太の物語が始まると

三途宥太のツイステ世界での一章、二章の戦いの様子がどんなだったか…を登校する宥太とエース・デュース達の背景に

流して簡単に説明する宥太のツイステ世界でのそれまでを見せるあらすじのようなページがある。

そこでは

 

「雄剣の物語だった一章コミカライズの内容を三途宥太の物語のあらすじ扱いし、コピー&ペーストで貼り付けて素材として扱っている」

その素材としてコピー&ペーストされたのは、雄剣の物語だった一章コミカライズ中でも、とても重要なシーンで

雄剣のコミカライズの中でも、テーマとして雄剣と重要な関係を築いた存在だった。

 

雄剣の物語だった一章(Episode of Heartslabyul)は、円満雄剣の存在を漂白した上でコピー&ペーストされ一章は三章の過去としての素材になったのである。

先にも書いたが、三章が一章の続編扱いでないと、権利的にも絶対にされない事でもある。

 

 

「一章のコミカライズの作画を使い回し、コピー&ペーストされている」…なぁんだそれだけか、所謂手抜きでは?

作画のコヲノスミレ先生が面倒臭くて雑な仕事をしただけでは?と思う人もいるかもしれないし、そう言えるのかもしれないが、だが、それ以上の悲しい意味合いを持たされていたように思う(※後述→手紙を出していた件…コヲノスミレ先生からのメッセージ…※記事作成中)

(※尚、作画のコヲノ先生は三章開始時のx上のコメントで、 作画を三章でも担当することに関し精一杯頑張ります」と発言している…。)※指摘受け追記

駄目な人はもうこの説明を聞いた時点で、三章コミカライズを投げ出したくなるかもしれない。

 

自分にとって一生を捧げても良いくらい大好きなキャラクターが、突然公式から告知もされぬまま存在を消されて

そのキャラクターのいた場所には、まったく別のキャラクターが収まっている。彼の友達だったキャラクターも相棒も、元いた彼の事なんて忘れて

新しい別人を友達で相棒の「ユウ(あなた)」だという、それが公式でから出される彼の物語の続編で

彼が消された彼の物語の一ページは、彼ではない、彼の立場に収まったキャラクターの素材になった。

 

それが、どんなに悲しいことか…

 

 

…一章コミカライズが始まる前に、Twitter(現X)に投稿された、枢やな先生からの言葉がある

 

https://x.com/toboso_official/status/1372365078452862976?s=46&t=5joaRJ9WHrUO9FTAaiFz8w

 

「「THE COMIC 」と題されているように、主人公も漫画独自の個性・人生を持つキャラクター。

アプリの監督生とは少し似た部分もありつつ、かなり異なるアプローチでハーツラビュルに関わっていきます。

アプリの世界で過ごす監督生のみなさまにも、応援を賜れれば幸いです【枢】」

 

この言葉は、「ハーツラビュル関わっていきます」。と指す以上は、主人公とはコミカライズ監督生全体のことではなく、雄剣個人ことを指す。実際、ゲームと同じ展開をなぞりつつも、雄剣の個性と人生で物語を仲間達と切り開いて、歩んだ。雄剣の個性や人生があるからこその雄剣だけの物語だった筈だ。

 

枢やな先生のこの言葉は、雄剣を明確に一人のキャラクターとして扱っていた。

雄剣がれっきとした一人のキャラクターならば

1人のキャラクターが持つ、個性人生や、それによる独自の物語は、簡単に他人のものに塗り替えて良いものじゃない。

筆者はそれまで、この枢やな先生の言葉を信じてきた。あの炎上、二章で雄剣が使い捨てられたように見えるのも

公式がちょっと言葉足らずだっただけで、何かの間違いだったと…

生みの親である枢やな先生、葉月わかな先生、コヲノスミレ先生は、雄剣を誰かとすり替えて個性を消して使い捨てて良い存在なんて、思ってない。扱ってない筈だ―――…だって枢やな先生はこう言っている―――雄剣は

 

漫画独自の個性・人生を持つキャラクター。

 

 

だが三章コミカライズで、構成/葉月わかな 作画/コヲノスミレ がという雄剣が帰ってくることを想定してしまう三章開始告知の後、掲示された事実―――。枢やな先生、葉月わかな先生、コヲノスミレ先生は…

「雄剣の物語だった一章コミカライズの内容を三途宥太の物語のあらすじ扱いし、コピー&ペーストで貼り付けて素材として扱っている」

 

これを確認した時、それまで信じてきた、信じようとしてきた、コミカライズの、雄剣の全てが、壊れてしまった。

そして雄剣が制作者達に与えられていた「個性と人生」―――キャラクターとして与えられていた。キャラクターとしての生命・尊厳のようなものが

完全に、製作者自身の手で失われてしまったと感じた。

 

前述の、雄剣を突然別人とすり替えた件でコミカライズが大炎上した時、雄剣は沢山の人にこう言われることになった

「使い捨て」だと「リストラ」だと

このワードはトレンドにまで入った。

私は認めたくなかった「私の大好きな雄剣は使い捨てではない、リストラなんかではない

でも、この、三章コミカライズが行った「一章の素材扱い」を見た時、認めるしかなかった

「使い捨てだったんだ。」

 

私の好きな、大好きなキャラクターは死んだのだ。

三章コミカライズがはじまった。この瞬間に

そう、思った。

 

そして、壊れてしまったのは

それだけには留まらない

 

 

◆台無しになった絆。それは最初の手を取る。ツイステの全ての監督生達にとっても、

 コミカライズにとっても、とても大事な要素◆

 

「雄剣の物語だった一章を三途宥太の物語としてコピー&ペーストで貼り付けて扱っている」

では、どこがコピー&ペーストされたのか、それは一章の顔と言える、ハーツラビュル寮の寮長「リドル」である。

「よりにもよって」リドルである…

その素材扱いされるのがどのシーンで、誰であっても(マブ達だったらそれはそれであまりにも悲しい)「雄剣の物語だった作品から雄剣を消して宥太の物語として消費される事」は辛い、それが、よりによってリドルで行われる事の、意味を考えてみてほしい。

 

 

――――コミカライズ一章を読んだ読者の人なら覚えている筈だ。

一章一巻第一話で、馬車に襲われた雄剣が見る夢の中の、各章の寮長達が写りながら

学園長のモノローグが入る

 

「闇の鏡に導かれし者よ

汝の心の望むまま

鏡に映る者の手を取るが良い」

 

…このセリフは、ツイステのゲームを始めると、最初に任意の寮生の手を取るゲームの演出

(※色気のない言い方をすると、ガチャなしで最初に入手できるSRランクのカードの選定である)であり、それをコミカライズなりに再現したものである。

ツイステの監督生達にとっては、これは監督生(you)である自分にとって特別な寮生を最初に選ぶシーンなのだから、誰にでも思い入れのある、特別な演出の筈だ。

 

「私に、彼らに、君に

 残された時間は少ない

――決してその手を放さぬよう―――――――」

 

そして、雄剣がツイステの世界で目を覚ます。

ゲームの監督生も同様、学園長のこの台詞の後目を覚ます。

 

そしてこのEpisode of Heartslabyul一章のエンディングは、ぶつかり、お互いを認め合った雄剣と寮長のリドル・ローズハートが手を取り合うという大団円のエンディングであった。

雄剣とリドルが認め合い、手を取る(握手をする)描写はコミカライズ独自のシーンであり、ゲームの中には存在しない。

 

つまりこれは、雄剣の物語独自の要素であり

導入で「――決してその手を放さぬよう――――」、と言葉を提示した物語で

主人公の雄剣とハーツラビュル寮の寮長であるリドルが互いに自己紹介をして手を取り合い終わる。

手を取る。という描写が、1巻から4巻のこの一章コミカライズの中で、大切な演出とテーマとして扱われていた事は明白であったし

これにより、雄剣とリドル、2人の間に友情の絆が芽生えた事がわかる。

 

 

――そしてもうひとつ、一章の中で手を取り合うことが重要な要素でありとても大切なものとなっているシーンがある。

リドルとトレイ・チェーニャが初めて出会う回想シーンと、オーバーブロットから目覚めたリドルのシーンだ。

「君の名前聞いてもいい?」とトレイが幼いリドルに手を差し出しリドルが名前を名乗る。

幼い頃に自己紹介をして手を繋いだリドルとトレイが、オーバーブロットを経たリドルが目を覚ました時、リドルの手を握っていたのは、一度は関係が拗れて歪になってしまったトレイだ。

両シーンとも、繋いだ二人の手が大きく描かれている。

(※尚、ゲームのシナリオは立ち絵のみで進行し、スチル等はない為、ゲームでもトレイとリドルが手を握る。

 という描写を確認することはない…つまりここもコミカライズ独自の表現になる)

 

一章コミカライズの中では、

二重の意味で、「手を取る」という描写がとても意味のある・重要な要素として演出されてきたテーマだったのだ。

 

 

雄剣とリドル、これはコミカライズなりの「最初に手を取る」を表現した演出であると思うし、リドルとトレイの関係の始まりと修復もまた

「手を取る」という表現であり「――決してその手を放さぬよう――――」の言葉は雄剣とリドル、リドルとトレイ、それぞれにかけられたもの…これは

コミカライズとして、深い意味があり、とても良い見せ方だった筈だ

…筈だった。

筆者は、このツイステ一章コミカライズが大好きだった…素晴らしいものだと思ってきた。

 

三章コミカライズによって、その全てが覆ってしまう、までは

 

もう一度先に触れたことを繰り返す。三章コミカライズは、「雄剣の物語だった一章コミカライズの内容を三途宥太の物語のあらずじ扱いし、コピー&ペーストで貼り付けて素材として扱った」

リドルと手を取り合った円満雄剣の存在は消され、彼のいた物語からリドルは宥太の物語にコピペされた

 

雄剣という一人の大好きなキャラクターの存在が完全に使い捨てにされてしまったと感じると同時に…

 

手を取り合った雄剣とリドルのその手を引き裂き他人である三途宥太の手と繋がれてしまった……

 

「手を取る」という描写が一貫したテーマの一つとして描かれていた

大好きで大切に思ってきた一章コミカライズの大切な全てまで、完全に台無しで無意味になってしまったようにしか

見えなかったのだ…。

 

だから、「よりによって、リドル」なのである…

そしてそれは、一章の制作者、雄剣の親であり、ツイステの公式スタッフでもある葉月わかな先生、コヲノスミレ先生が行った…。

 

雄剣という個を持った一人のキャラクターと、彼の個性と人生、彼の物語だった一章コミカライズをなにより愛してきた筆者にとって、これは

絶望するには、十分なものだった。

 

 

…辛口になってしまうのだが、この「素材扱い」については

仮に意図的なもの(※後述、手紙を送っていた件について※追記記事作成中)でなく

作画が面倒だから、と制作側が安易な気持ちでコピー&ペーストしていたのなら…

本当に使い捨てにされた円満雄剣というキャラクターの個性や人生についても

雄剣を突然消失させ交代したことで、あんな大きな炎上が起きてしまうほど

彼を好きだと思ったコミカライズの読者がいた事に対しても…雄剣のことも、ファンのことも…これからのコミカライズを背負う監督生達に対しても…雄剣を使い捨てた代わりと言う立場を背負わされ、いずれ雄剣と同じく使い捨てにされる三途宥太に対しても

一章で描いてきた物語に対しても、何の責任感もなく

「何も考えていなかったのだな…」と言うよりない

 

◆三章まで台無しになってしまう理由◆

(※1/9更新)1/20三章4話を三章の流れで3話表記してしまっていた部分を修正

 

ここまでは一章が三章の行った「監督生の別人すり替え」及び「素材化」によって一章が台無しになっていった理由についてレビューした。

ではなぜ今度はこれが影響して三章までもが台無しになってしまうのか

 

先にも触れた通り、この三章コミカライズ、Disney Twisted-Wonderland The Comic Episode of Octavinelleは

「一章の、円満雄剣の物語だったハーツラビュル編の物語の続編として公式は扱い、書かれている

その為、この三章には当然雄剣の物語だった一章ハーツラビュル編を踏襲した演出がある。続編だからだ

 

◆まず、三章コミカライズの四話について触れよう。

この Episode of Octavinelle一巻のでは

四話のラストで三途宥太の瞳がアップになり、オクタヴィネル寮寮長のアズールを瞳に捉えながらのモノローグ台

その時 俺はもう○○○○○○(一応伏せてます)ていたんや(中略)―――――深海の商人という台詞で締め括られる。

この該当の宥太のセリフがある4話までの一話〜四話が一巻には確実に収録されるだろう。

何故なら、この三途宥太のモノローグ演出は、明らかに雄剣独自の物語だった、一章の物語を踏襲した演出だからである。

 

雄剣の一章ハーツラヴュル編を見ていない人向けに解説すると、一章一巻の四話はこうだ。

一巻の終盤、雄剣がマブ達と洞窟に入り、怪物らしきものに襲われて洞窟から出てきたところを

ゲームとは違う流れでリドルが現れ、怪物を焼き払い

ラストで円満雄剣の瞳がアップになり、リドルの後ろ姿を瞳に捉えながら

 

「この時 俺はまだ知るよしも なかった」

彼はのちにこう呼ばれることとなる」

―――――『真紅の暴君』」

ここで一章一巻が終わる。

一章四話と三章四話…序盤の単行本一巻ラスト構成がまったく同じである。

 

そしてこれらは一章で重ねて描写された「手を繋ぐ」演出同様

コミカライズ独自の演出だ。

 

…正直に言うと、この、三章が意図的に雄剣の一章を踏襲してきた演出は、とてつもなく不愉快だった。

 

この人達は、円満雄剣を使い捨てておいて、雄剣で行ったエモっぽい演出だけは意図的に重ね使い倒して行こうというんだ。

一章と三章を両方読んだ読者にどう思われようとしているか明白だ

「一章と一緒だ、エモい!」と感じさせたいという意図が存在しているだろう。

そこに円満雄剣を好きだった人間だけは除外しながら…

 

「「THE COMIC 」と題されているように、主人公も漫画独自の個性・人生を持つキャラクター。

(中略)

アプリの世界で過ごす監督生のみなさまにも、応援を賜れれば幸いです【枢】」

 

雄剣を応援して欲しいと言った、 枢やな先生の言葉は…なんだったのだろう…。

雄剣を応援した、雄剣を好きになった読者の気持ちも、枢先生達にとって

使い捨て」だったんだろうか…筆者は、ずっとそのことを考えている。

 

円満雄剣を使い捨てておいて、美味しいところだけ宥太に使いまわさせ持って行かせる

筆者は雄剣というキャラクターの個と、その独自の物語を愛し、それを制作者が使い捨てた事に苦しんできた側だ。

これを見てエモい、尊いなんて思えるわけがない

それどころか大切だった一章の、大好きだったこの

「この時 俺はまだ知るよしも なかった」(中略)―――――『真紅の暴君』」

という一章一巻の中での大きな見せ場であり印象的で大好きだったこのシーンさえ

三途宥太という別人にすり替えられた先で奪われた演出構成になったという精神的烙印がつき、苦しい

ものに感じられるようになってしまった…。

またしても雄剣の一章が「素材」になった…。そう感じるしかなかった。

 

申し訳ないが、最低の気分だった。…怒りさえ感じた。

筆者はGファンタジーでこの話を確認した後、心身共に調子を崩し、寝込んだ。

 

同時に悲しくもなった。結局

三途宥太も使い捨てになるのだ 彼の繋いだ手も引き話される事が確定してしまっている

このコミカライズの監督生は次の章ではいなくなる。

 

一章コミカライズは、一巻で繋いだ手を離さないようにと掲示するモノローグがあり円満雄剣とリドル・ローズハート/リドルとトレイ・

クローバーの手が繋がれ、大団円のように終わるストーリーだった

このパターンを見ると一章と同じ韻を踏んでいる続編たる三章のコミカライズがどう終結するかは

明らかで、おおよその展開は予想できてしまう。

 

三途宥太が自分の個性を生かしアズールに食らわせた最後の一撃が

オーバーブロットを止め、アズールと双子の過去が回想される

そしてアズールが目を覚ましたのち

 

三途宥太とアズールが握手をして終わるだろう。

 

 

「――決してその手を放さぬよう―――――――」

 

 

 

この物語はこの言葉がテーマの一つとして描かれた「一章の続編」であり

この一章一巻にあったモノローグのページには、アズールも描かれており

「―決してその手を放さぬよう―――」この言葉は三章でも生きている筈だから。である

 

なんなら、宥太とアズールだけでなく、一章では雄剣とリドル/リドルとトレイでそう描写されたように

アズールと双子の過去の回想で

壷の中の幼いアズールを幼少ジェイド・フロイドが両側から手を引いて連れ出すなんてエモいシーンがあってもおかしくない…。だが

 

このコミカライズは

三章コミカライズ、ディズニーツイステッドワンダーランド ザコミック エピソードオブ オクタヴィネルは

「一章の、円満雄剣の物語だったハーツラビュル編の物語の続編として公式は扱い、書かれている

そして

リドルと手を取り合った円満雄剣の存在は消され、雄剣の物語だったものからリドルは宥太の物語にコピペされた

 

ツイステコミカライズは、「―決してその手を放さぬよう―――」という言葉と、手を繋ぐという描写を重要な要素として扱いながら

 

you(あなた)が繋いだその手は別人にすり替えても誰も気付かないし、意味なんてないですよ

を行ってしまったのがこのコミカライズなのだ…

だったら、Episode of Octavinelleが三途宥太とアズールが握手をして終わるとして

アズールと双子の手が繋がれるとして

手を繋がずともなんらか絆の描写があるとして…

これを本当に尊い、良い演出だったと、どうやって思えば良い?

繋いだその手は別人にすり替えても誰も気付かないし、意味なんてないのですよ

 

シリーズ別でプレイアブルな主人公を代える、という事事態はわかる。だがそれは主人公がそれぞれ独立した作品、世界線違いという扱いならばこそ

成り立つものだと思う。

ましてや「―決してその手を放さぬよう―」と作中で掲示していながら

漫画独自の個性・人生を持つキャラクター。 と個性をそれぞれに与えながら

手を繋いだ一人である主人公を突然いなくならせて

別人にすり替えるというのは、作品構成としてなにもかもが破綻している。

 

ゲームとしても「―決してその手を放さぬよう―」と手を取る。という要素をゲーム中でもプレイヤー(主人公)が思い入れる要素として作っている作品でありながら

you(ユウ、あなた)の名を持つキャラクターに対して最もしてはならないことをしているようにしか見えないのだ。

それもコミカライズの見せたかったテーマと衝突し否定してしまう要素を孕んだまま…

 

雄剣という存在を、最初の主人公を粗雑に扱って終わらせたばかりに、このコミカライズシリーズは

大切なテーマと構成さえ破綻させるものを抱えたまま、今更監督生交代を止めることも出来ず

続いてしまっているんじゃないのか…

 

筆者は、最初に触れた通り、一章の物語と円満雄剣が大好きで

オクタヴィネル寮推しだった…。

 

大好きなオクタヴィネル寮の皆のいる章で…大好きな円満雄剣と雄剣の物語である一章が

台無しになって、製作者自身の手で雄剣がキャラクターとしての生命と尊厳を失わされるのを見てしまった。

 

 

私の大好きな円満雄剣と一章の物語…。そしてオクタヴィネル寮の三人のコミカライズ…

大切だった全てが、この「監督生のすり替え」「素材化」によって全て…台無しになっていく

 

…そしてそれはこれからも続き、紙としての単行本が出れば、この先もずっと残る

百年後でも、二百年後でも

私にとっての本当の地獄は、きっとここからだ。

 

(1/9追記更新)

 

 

◆あとがき

 

円満雄剣は三章でもどってくるかもしれない。二章の監督生との交代制かもしれない。

そういう説が、ずっとあった。

三章コミカライズの告知で、作家が葉月わかな/コヲノスミレであったことで、その説への期待は

更に膨れ上がったのは言うまでもない。

そうして円満雄剣の復活を待っていた層は、今回の葉月わかな/コヲノスミレの三章オクタヴィネル編が雄剣ではなかったことだけでなく

素材扱い」を目の当たりにし、完璧に絶望し病んだ人や何も言わなくなってしまった人、何も言わず、アカウントを消した人、壊れたように怨嗟だけを吐き続けるようになった人

筆者はリアルタイムでずっと見てきた。

交流も多少はあったので生の怨嗟や苦しんだ声を聴いた人もいる。

筆者自身も、地獄に落ちた。苦しい。こんなにも

 

だが数で言えば体感では二章での雄剣を使い捨てた大炎上段階で乗っ取りだと指摘し

コミカライズから離れたり、公式のやり方に失望し、読者を続けるにしてもあまり期待しなくなった人の方がずっとずっと多い。

おそらく一章から雄剣担当というイメージがあった葉月わかな/コヲノスミレ先生でさえ雄剣を使い捨て

別の監督生に乗り換えていく事が決定的になったツイステコミカライズ読者は、この三章より先

この監督生すり替え・使い捨てを気にすることや、テーマの破綻したにも気付くことがなく

生存バイアスでこの先絶賛していく者しか残らないだろう。

 

よって筆者は三章コミカライズ単行本の出る前のこの瞬間にこの記録を残す。

こんなことになった雄剣のことをなかったことにしたくない。

雄剣を大好きになったからたくさん苦しんだ人達がいたことをなかったことにしたくない…。

雄剣を過去にされたくない。

雄剣を素材にされたくない…。

もう壊さないで欲しい、大好きだった物語まで…

 

もし、円満雄剣にまた再会することができるのなら、雄剣の物語がどこかで見れらるのなら…

雄剣が決して誰からも何も奪わないことを望む、誰の物語も、雄剣の素材にならないことを祈る。

監督生それぞれの物語はそれぞれの監督生だけのもの。

雄剣の物語は雄剣だけのもの。

私が見たかった雄剣の物語は、雄剣が独自の個でツイステを突き進む物語

私の大好きな円満雄剣は、独自の個性・人生を持つキャラクターなのだから…

 

20240107

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