トルストイの『戦争と平和』を読んでいない僕は、
「読書家」というタイトルのブログを書くには早いね。

とかいうと、トルストイが戦争と平和を書いたように聞こえるけど、
それも定かではないんだ。
ただ戦争と平和くらい読んどかなきゃ、とは思ってる。





西尾維新原作のマンガに影響されてたのに、
結末がありきたりだっただけで、否定したくなっちゃうよ。
シュミレーテッドリアリティなる、現実を虚構と思う、
人に言わせりゃ中2病の症状を聞いて、
自分も同じで、これは利用できると思ったけど、
ただの処世術に過ぎないよ。

でも、パスカル由来の、
君は神の存在の否定を仮定した方がいいと
友達が助言してくれたときは、
要は良いことしてれば良い思いをする
と期待するな。と言ってるだけに聞こえた。
でも僕は自ずから動いてるから、参考程度に聞いてた。

でもシュミレーテッドリアリティとパスカルと、
お金の科学や、成功する方法は分かってるetc. から、
僕の哲学は確固としたね。






毎度毎度同じ シナリオ考えだけど、
この世を創っている小説家、を考える時点でシュミレーテッドだし、
小説家はこんな世界を描こうとしている、
なんて報われないまま人生終わらないと思ってる証拠だ。

ま、何が起きても今日はそう来たか、
happyな夜で区切れば、毎度ハッピーエンドだよ。

でも小説書きは、この世に法則があるという主張で、
見返りを求めない善意は、桶屋じゃないけど
回りに回って自分に来るよ。
でも、それを前提にしちゃいけない。

お金のものさしや、解明されてる成功法則は先送りにして、
何度も言ってる「おのずから」の善意。





ボランティアという言葉がない児童の頃、県で善行賞を貰った。
でも僕のしてたことは大したことじゃない、と
否定してたら、友人が証言して教師も乗り気で推薦したそうな。

善行もボランティアも変わらないけど、
今から「善行」と言えば違う意味で捉えてください。

僕は履歴書に「ボランティア活動」なる欄があった時、
疑ったよ。
僕は善行がボランティアだと思ってたから、
ボランティアしたことをアピールするのが腑に落ちない。
善行は悪い癖だから、人に見られたくない。
そもそも自分にボランティア精神があるなんて、
人に言うもんじゃなく、おのずからやっちゃって
良いことしたと思えばいい。

それをボランティア活動なんて…。
人に知られずやることを、アピールさせるのが不思議。
僕が今度履歴書書くなら、
ボランティア活動に斜線引いて、
アピールするために善意な行動はしたことない。
とでも書きたい。

第一ボランティア活動って、単なる無給の軽い労働でしょ。
善意とは全く違う定義だろうね。
そして履歴書に書くためにやり、
団体を束ねる人の指示に従う。

いや被災地にボランティアしに行く人は偉いよ。
でも履歴書に書くなら、評価も変わるね。
おのずから、ボランティア活動に参加しただろうに、
履歴書ではそのネタでアピールするわけ?

まぁいいや。
善意を認めない人もいるし。
高校時代 善行賞の話をしたら、偽善者言われた。
善意でおのずから人助けしてしまう人もいる
なんて考えもしないんだろうね。

心理学でも自分の意思があると考えるから、
利他主義でも人によく思われたい、とコメントしてる。
要は経済学と一緒で、自分のインセンティブを優先して考えてるんだろうね。





ま、僕は善行しない主義になったから関係ないし、
でも見返りのない善いことしてて、
不幸な目に会うように、
小説家はこの世を作ってないでしょう。
だからボランティアは好きにしてて、
善行すべきと思うよ、僕は。

ただ優しい人が損をする時代なんだけどね。