「凄い、面白いアニメ見つけた」

 

これは、普段妻にに対して絶対に言わないセリフだったが当時、


言ってしまった。

 

 

そのアニメとは、ご存知「鬼滅の刃」である。

 

 

その時は、何の知識もなく色々なアニメをAmazonプライムビデオで観まくっていた時で、唯一「続きが気になって気になって仕様がない」と思わせてくれたアニメが「鬼滅の刃」だった。

 

私は、それこそ10代、20代の頃は、オタクと言われるほどアニメにのめり込んでいった時期もあったが、40代となった現在は、まったくのめり込む要素もなく、何となく暇つぶしで観ていることが多かった。

 

最近では、アニメよりウォーキングデッドなど海外ドラマにはまっていた私が、なぜ「鬼滅の刃」にはまってしまったのか。この記事で語らせて頂きたい。

 

 

まず、第一話が素晴らしかった。

 

第一話は、ストーリーの全貌を示す道しるべとなり、物語の地図を描いていたのだ。

 

 

勘違いされている方も多いと思うが、「鬼滅の刃」は、鬼を殲滅し、鬼舞辻無惨というラスボスを倒す物語ではない。

 

「鬼になってしまった妹の禰豆子を、人間に戻す」という目標の為に、鬼と戦う物語なのだ。

 

 

第一話では、主人公である竈門炭治郎の家族が鬼に惨殺されるシーンが描かれているが、

冒頭では、家族が無残に惨殺されるとは、おおよそ予測がつかないほど、平穏な家族の団欒から始まる。

 

母、葵枝 

弟、竹雄 茂 六太 

妹、花子

 

といった、炭治郎と禰豆子以外の家族も、キャラ設定がしっかりしていて、それぞれの性格なども細かく読み取れる内容となっている。

 

 

冒頭では、この平穏な生活がいつまでも続くような雰囲気から始まり、家族が惨殺されたときは「なぜ、この幸せな家族が?」と衝撃を憶えた。

 

 

「鬼滅の刃」では、このように、キャラクター一人ひとりの描写がしっかりしていて、味方ならず、敵の鬼に関しても、細かなキャラ設定が設けてあり、そのキャラクターにのめり込んでしまう所も、ヒットの要因となっている。 

 

家族が斬殺された後、一人生き残った妹、禰豆子であったが、彼女は非情にも、人間ではなく”鬼”の姿となってしまう。

 

それを知らず炭治郎は、禰豆子を背負い、家族が暮らしていた山から、麓を目指し山を降りようとするが、その途中、禰豆子は鬼へと覚醒し、炭治郎を襲おうとする。

 

そこへ現れたのが、冨岡義勇である。

 

冨岡義勇は、鬼狩り集団「鬼殺隊」の柱と呼ばれる存在で、当然、鬼と化した禰豆子を狩ろうとする。

 

「禰豆子は違うんだ!人を食ったりしない!」

 

 

必死に訴える炭治郎ではあったが、冨岡義勇は、そんな事はお構いなしで、禰豆子に切りかかる。

 

炭治郎は、禰豆子を守ろうと応戦に出るのだが、当然敵うはずもなく、あっさりと返り討ちにあう。

そんな炭治郎を、禰豆子は庇う素振りを見せ、冨岡義勇の前に立ち塞がるのであった。

 

炭治郎を庇う禰豆子を見た冨岡義勇は

 

「こいつらは何か違うのかもしれない」

 

と、鬼狩りの師である鱗滝左近次と尋ねるように伝え、姿を消す。

 

 

 

この物語は復讐劇ではない。禰豆子を人間に戻す方法を知るために、炭治郎が鬼の領域に踏み込むところから、二人の物語が始まるのであった。

 

 

この第一話では、旅に出るきっかけと、目標が明確に示されており、

出発地点と目的地だけが描かれた地図を渡されたのである。

 

第二話以降は、目的地までの地図を一緒に作っていく形となり、視聴者は「一体どんな地図が浮かび上がってくるのか」期待しながら観るようになっている。

 

 

 

 

他にも、映像の美しさや、主題曲の素晴らしさなども相まって、「鬼滅の刃」は大ヒットしたのだ。しかし、他では語られない、私が考えるヒットの最大の理由は、



「この第一話で渡された物語の地図である」


と声を大にして言いたい。