尊厳とは、
「尊くおごそかで侵しがたい・こと(さま)」
今日のTBSラジオdigのテーマは「尊厳死」。
生きることと死ぬことは、密接に結びついているので
いかに死ぬか、は大事な事柄だ。
生命を尊び、できる限り生き続けていくことが正しいのか、
それとも
生き物はいつか必ず死ぬもの。死ぬべきときに死ぬのが
自然なありようではないか。
生きたいという欲望が強すぎると、「正しく生きる」
ということに反することもあるのではないか?
といった考えもある。
どちらが正しいのだろうか?
どちらにせよ「死」というものを否定することはできないだろう。
「死」があるから「生」がある。
いつかは死ななくてはならない。
ほかの人間が未来も生きていくためには、
古い人間は死ななくてはならない。
また、他の生物が生きていくためにも、
人間が増えすぎるのは問題だ。
だから人間の死は必要である。
よって、どういう「死」を選べばよいのかということだ。
(または「選ばない死」を選ぶのか)
「生」と「死」を別々に考えず、両立させようとするときに
ポイントとなるのが「尊厳」というものだろう。
つまり
「パンのみにて生きるにあらず」
という聖書の言葉のように、
とにかく生命さえ続いていればいいのではなく、
「心」
「精神」
「美」
「正義」
「プライド」
などといったものがあってこそ
「生きる」ということなのだ、と。
それらの目には見えないものを考え、大事にし、努力してこそ
「生きる」
というものがなんなのか見えてくる。
「生きる」
ことを尊重してこそ、
「死」
もみえてくるのではないだろうか。
「尊重」とは「感謝」することでもある。
「尊重」すると「感謝」の気持ちがわいてくる。
正しく生きること、正しい生命。
正しく死ぬこと、正しい死。
尊厳死。
尊厳生。
尊厳死と呼ばれるものが、
尊厳の無い生によって
蝕まれないことを祈る。