続編:義経はジンギスカンになった②小男だった義経とジンギスカン | ちろらねのブログ

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今日のテーマ、

 

ジンギスカン=義経の背格好と時代比較です。

 

 

 

 

今日のBGMは

 

ドイツの中世風(ゲルマン風)音楽、

 

とてもやさしく美しい歌声です。

 

異国情緒たっぷりの音楽を聴きながらお読みください。

 

 

FAUN ー”Federkleid”       ドイツ語で ”羽衣”

 

 

世界史で史上最大の国家「モンゴル大帝国」を作った

 

ヨーロッパにも侵略して恐れられていた!

 

 

「大王ジンギスカン」

 

 

 

中世に白人を凌駕していた!

 

白人の方が人種的に優秀というのは

 

米占領軍GHQの刷り込み、日本人愚民化(奴隷化)政策による洗脳です。

 

 

 

 

 

 

GHQに総入れ替えされた反日歴史学者の遠吠え(反論)は無視して、

 

客観的に検証していきます。

 

 

人相

 

義経とギンギスカン肖像画

顔の骨格・目・鼻・唇・髭・耳、同一人物としても違和感はありません。

 

ヨーロッパにまで攻め入った

 

”ジンギスカン”という勇猛な強そうな名前とかなりイメージが違う

 

 

 

背格好

 

近年義経の容姿は源平盛衰記と平家物語の記述で明らかとなっています。

 

その特徴は「小男で出っ歯」。

 

 

ジンギスカンの容姿を記述した歴史書は「ラシード・ディーン修史」

 

と呼ばれるイスラムの歴史書に「小男で出っ歯」と書かれていた

 

そうです。

 

なんとおんなじでーーーす!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

これはいわゆる決定的なもので二人は

 

同一人物と囁かれるなかで

 

超〜強力な証明となります!グッド!グッド!グッド!

 

 

下の絵でかっぷくはいいが、かなり小柄なのが見て取れます!

 

これが証拠写真

ジンギスカン本人の写真です、ちぃさい😄

←それはジンギスカン

「鍋」だろっ    ガーンハッ

 

 

両者とも酒も全然飲めなかった。

 

小生もほとんど全く酒が飲めませんが、

 

確率は学校の1クラスに一人か二人程度の極めて少ない確率です。

 

 

 

時代比較

 

・生年

 

義経は平治元年の生まれとされています。

 

西暦では1159年です。

 

成吉思汗の方の生年は

 

1158年、1161年、1162年という3つの説。

 

義経と同年代です。近すぎというよりprobablyおんなじです。

 

ニアリーイコールです! 成吉思汗の生まれ年 ≒  義経の生まれ年

 

・活動していた年代

 

義経の正式な日本史の最後の足跡は

 

文治5年4月30日――衣川の戦いの日。

 

西暦 では1189年です。年齢は31歳です。

 

成吉思汗がきちんとしたかたちで歴史上に登場するのは、

 

テムジンがナイマンを打ち破った後の1206年のことです。

 

ジンギスカンの前半生は伝記的書物に書かれた文献のみで、

 

必ずしも史実とは言えません。客館的史実、裏付けに欠ける。

 

(自伝なので好きなように書ける)

 

ジンギスカンの祖先は ニルン(ニロン)族の キャト氏族。

 

そんな名前の民族は歴史上知られていない。

 

ただし、源義経なら   ニホン(民族)の   キョウト出身です。

 

成吉思汗は即位前別名を「クロー」と称した。

 

これは「九郎判官」ではないか。また、軍職の名は

 

「タイショー」として現代に伝わる。蒙古の古城跡では

 

「城主はクロー」と称していたという言い伝えがある。

 

成吉思汗はモンゴル高原の中央部で生まれたとされるのに、

 

1190年から1202年まではユーラシア大陸の東端において、

 

満州女直(女真族、ツングース系民族)や高麗軍と

 

戦った記録が残されている。

 

なぜ、そんな遠くの大陸の端っこ、辺境の地まで行って

 

戦争しなければならないのか。

 

これは義経が沿海州に上陸し、

 

満州女直のワンスンと交戦したからではないのか。

 

 

 

二人は同時間に オーバーラップしたことがない。

 

歴史上、同じ時間に別々の場所に、いたことがない。

 

この二人は同じ時間軸で二人同時に存在したことがない。

 

1189年で義経の正式な記録が終わる。

 

1190年からジンギスカンの戦いの記録が

 

極東ロシアの東南端に位置する日本海沿岸(沿海州)で始まる。

 

 

つまり、1190年あたりからこの二人は入れ替わる。

 

義経が 1190年より 前の時代で、

 

ジンギスカン(テムジン・クロー)がその後の時代

 

同一人物が途中で    義経からジンギスカンに  入れ変わったと

 

考える方が自然。

 

      徳島県 小松島市 旗山 源義経 

        1190年から下矢印

         成吉思汗記念館

 

逆を言えば

 

この不自然なユーラシア東端・極東での戦いが間接的証拠となり

 

ジンギスカンと義経の糸が一連の紐で繋がります!

 

この戦いの時から義経はジンギスカン即位前の

 

クロー、テムジン(天神?)に、そして

 

源義経官(げんぎけいかん)としての成吉思汗に変わっていく!!

 

 

 

 

 

 

『元朝秘史』によると、相撲は成吉思汗とその子オゴタイがとくに愛好した

 

といわれています。相撲の起源は非常に古く、『古事記』にも相撲を思わせる記述があり、

 

日本に古来から伝わるものです。

 

モンゴルで相撲が盛んなのは、改めていうまでもないことですが、どのように考えても、

 

相撲の歴史は日本が古くモンゴルの相撲は日本から伝わったものと考えるのが自然です。

つまり義経と家来たちが、相撲を教えた。

 

蒙古勢に占領された形の大相撲

 

モンゴル力士の中にきっと義経や弁慶たちの子孫がいるはずです。

 

どうりで強いはずですねぇ。


 さらに、モンゴル人は緑茶を愛好しています。成吉思汗が愛用し、

 

伝えたとされているのです。もちろん日本では緑茶の起源は古く、

 

鎌倉時代には茶室、茶会などが流行しており、緑茶の愛好者が多かったのです。

 

国名をなぜ「元」にしたのか、「源」と発音が同じ

 

中国語で「源」は主に「水源」を意味する。

 

国名としてはふさわしくなかったので「元」にした?

 

 

余談1:

歴史は勝者が作るものです。

 

藤原氏は日本の歴史における勝者である。藤原氏との権力闘争に

 

敗れた者たちの歴史は逆賊として描かれ闇に葬られることになる。

 

現存はしていないものの、藤原氏が作った偽書「古事記」以前に歴史書が

 

存在したことは間違いない。645年に起こった「大化の改新」、

 

今日でいう「乙巳の変」で蘇我入鹿が暗殺されると、父の蝦夷が邸宅に火を放ち、

 

そこにあった歴史書「天皇記」(スメラミコトノフミ)や「国記」(クニツフミ)が

 

消失してしまったとされている。(記紀は最古の歴史書でない!漢字以外の文字、

 

神代文字があった。日本の古代文明がなかったことにしたい反日歴史学者の嘘です)

 

現代日本に当てはめれば、戦後作られた(作らされた)歴史書は

 

勝者であるアメリカが善人で、日本は悪人として書かれている。

 

資源石油封鎖された日本は、日本以外全てのアジア諸国が植民地化されたアジアで

 

開戦するか、列強の植民地化支配を甘んじて受けるかしか選択肢がなく、

 

生き残るための防衛戦争で侵略戦争ではなかった。

 

そればかりか、都合の悪いこと(歴史上の凶悪犯罪)は闇に葬ります。

 

降伏条件交渉を無視して投下された原爆(12〜24万人)、は国際法違反で

 

人類史上最悪の民間人大量大虐殺です!!!東京大空襲(10万人死亡)も同じ!

 

義経が生き延びたこと、日本人・義経がジンギスカンになってユーラシア大陸を

 

支配したこと、ヨーロッパを席巻したことも、日本民族の卓越した民族的優秀さの

 

証明となってしまい、超〜都合が悪い!ので隠蔽の対象です。

 

今この時&あの日あの時 GHQ日本占領-「3R・5D・3S」政策

       から抜粋

Beff8b70

 

反日学者を使って事実を捻じ曲げ、白人、アメリカが優秀で強く、

 

日本人は劣り、弱いという負け犬根性を植え付け、大和民族の弱体化、

 

隷属化、愚民化を謀った。

 

白人・欧米人が作った世界の歴史は日本を悪者扱いすることで一致しています。

 

しかし実態は日本を除き清国も含めアジア全体が植民地化されていた時、

 

日本が開戦し東アジア東南アジアから列強を追い払ったことにより

 

インド方面まで独立運動が起こり、結果的に脱植民地化・独立したのが事実です。

 

インド台湾を含め東南アジア方面は親日国が多い。

 

中国(嘘と捏造のご本家)も同じ、反日歴史家同様、先に反論否定の結論ありき。

 

彼らの論法は何事も4千年の歴史を持つ中国から文化が日本に伝えられたという、

 

論法ですが、彼ら漢民族の歴史は他民族による被支配4千年の歴史にすぎません。

 

ジンギスカンの墓は未発見と言われているがすでに発見されて隠蔽封印されているはず。

 

どんなジンギスカン=義経の決定的証拠、例えば日本製の兜や刀が出てきても、

 

歴史捏造のご本家中国は国家の威信にかけて証拠隠滅もしくは破壊・廃棄します。

 

大国中国が日本人に支配されたなど、死んでも天地がひっくり返っても絶対に

 

公表しない!箝口令(かんこうれい)が敷かれ、国家機密となり闇に葬りさられる。

 

為政者(いせいしゃ、政権担当者)にとって歴史の取るに足らない真実よりも、

 

(日本より優れているという)国家の威信の方が1000倍も重要なのだ。

 

余談2:

この頃黒海とカスピ海の間に白人系の「ハザール王国」がありましたが

 

蒙古襲来で滅亡し、駆逐され生き残りが東欧諸国へ離散しました。

 

このハザール王国は元々はバール神(邪教)を信奉する宗教を持っていたが、

 

キリスト教国のビザンチン帝国とアラブ帝国(イスラム帝国)から

 

繰り返し侵略されるなど宗教的圧力も受けていた。

 

そこでキリスト教とイスラム教の中間的な「ユダヤ教」に改宗し、

 

ユダヤ人以外のユダヤ教国家が誕生する。

 

しかし、モンゴル軍にあっけなく壊滅され離散。

 

その後東欧へ離散したハザール人ユダヤ教徒たちは第二次世界大戦後に、

 

富の独占や他民族との不宥和のためイスラエルの地に集められ再集結させられます。

 

西洋ではユダヤ教徒とは呼ばずに単に「ユダヤ」と呼んでいたようです。

 

この改宗ユダヤ教徒が現代において「ユダヤ人」と呼ばれる「偽ユダ」の正体です。

 

彼らの中には偽装改宗したものの、秘密裏にバール神、ルシファーを信仰する

 

グループがおり、イルミナティとなって、イエズス会(バチカン)も乗っ取り、

 

キリスト教を隠れ蓑として悪魔教を信奉していると言われています。

 


 

・「蒙古刺麻教史」というチベット僧の書いた蒙古の歴史書に

 

ジンギスカンは三つの海をまたぐ島 日本を平定した。」とある。

 

ジンギスカン→義経 と書き換えれば一応あっている。(平家を

 

滅ぼし、平定した)

 

 

ジンギスカンが義経であったとしても何の不思議もありません。

 

むしろこの事実を隠そうとする勢力の方が優勢。支配権力なのです。

 

 

本当の歴史は

 

小説よりも

 

奇なりです。

 

 

 

付録:ノストラダムスの真実

 

 

「大きな破滅の年までに“別のもの”が現れるときにだけ、

 

人類は救われ、滅亡は起こらない」と預言した預言者がいます。 

 

ノストラダムスです。

 

私的な解釈ですが   ” 別のもの”     はヒューマノイド型異星人、プレアデス星人、

あるいはアガルタ人?(地球内部の地底人、いずれブログ記事にしようと思っています)

 

“別のもの”の詩には、


「別のものの出現は“日の国”とかかわりがある」と示されています。

 

異星人との第3種接近遭遇(宇宙母船着陸)は帯広が第一候補だという説があります。

 

預言者ノストラダムスは、こうも預言しています。

 

「どれほど待っても、ふたたび(救世主が)ヨーロッパに

 

現れることはない。


それは、アジアに現れるであろう。


同盟のひとつが『偉大なるヘルメス』から生じる。


彼は、東洋の全ての王たちを超えるであろう。」

 

『諸世紀』(百詩編)第10章75



「20年(20世紀)続いた、月(西洋)の支配が過ぎ去り、


別のもの(新たな救世主)が、7000年(21世紀初頭)に


王国(ユートピア)を築くであろう。


太陽の如き存在が、光を取り戻すとき、


全ては満たされ、我が予言も終わりを告げるのだ。」ラブラブラブラブ


『諸世紀』第1章48 拍手 拍手 拍手

注: 預言:神から預かった言葉    予言:未来のことを予測、

あえて「預言」の方の字を使ってみました。

 

ノストラダムスは、さらにこう預言していますラブラブ!


「アジアの極東の日の国に、

 

ヘルメスの繁栄が

 

訪れるであろう。」クラッカー クラッカー クラッカー クラッカー クラッカー クラッカー クラッカー

 

注:ヘルメスはギリシャ神話の神

 「日の国」は 世界で唯一、太陽を象徴として自らの国旗として掲げる国、日本

 

 

 

 

 

ではまた、お会いする日まで。

 

皆様のご幸福をお祈りしています。

 

 

Looking forward to seeing you again!

 

I hope You'll be happy.