一粒の麦、死なずとも | 丁寧に生きる、ということ

丁寧に生きる、ということ

自覚なきまま、気がつけば50代後半にさしかかって感じる、日々の思いを書き留めます

「人間とは不自由なものよ」というのは、音楽物語「朱雀門」で鬼がハセオに言う言葉だっただろうか。

マンドリンオーケストラのために作られたこの「朱雀門」という作品は、語り手が物語を朗読する傍らで、奏者たちがその楽器でもって物語の情景を音で紡ぎだす。

 

「山は紫に水清く、平安の京は美しき都として栄えていた。」

双六の名手といわれる若い男・ハセオが朱雀門を通りかかったときに鬼に呼び止められ、賭け双六の勝負を挑まれる。

ハセオが勝てば、ナギサという美しい女性をくれてやる、と鬼は言うのだ…。

 

人間というのが「不自由」かどうかはともかく、大変であることは確かだ、と僕は幼いころからずっと思っていた。

「幸せに生きる」ためには、一生懸命勉強をし、働き、お金を儲けなくてはならない。

結婚をして、子供を育て、親の面倒を見て、気がついた頃にはおじいちゃんになってしまっている。

ただ、それだけ。

ただ、「それだけ」で終わらないためにも、せめて毎日おいしいものを食べ、いい服を着て、いい暮らしがしたい。

それだけが、目標。生きる目的。

他に余計なことは考えない。考えても仕方がない。

 

あれは確か大学2回生の秋、すこしずつ日が短くなり、日暮れが早くなってくる頃、部室でのことだっけ?

なんとなくの閉塞感にさいなまれ、行き詰っていた僕に、友人が「これ、読んで」と一冊の文庫本を手渡してくれた。

彼女には、初めて出会った時から、人の心を察し、なにかを感じたら躊躇せず行動をおこす、そういうストレートで飾り気のないあたたかさがあった。

「私も友達に勧められて読んでみて、人生観が変わった」というその本は、三浦綾子の「塩狩峠」。

一気に読んで、「こんな生き方、いや、死に方もあるんだ」と思った。

だが、「死んでしまってはなんにもならないではないか」とも思った。

 

ある青年がいた。

僕よりふたつほど年下の彼は国際連合ボランティアとしてカンボジアに赴き、そこで射殺される。

僕が通っていた英会話教室で、彼のお父様が講演なさったことがあったのだ。

 

彼のボランティア活動の原点は、少年時代に訪れたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にあったのだという。

彼の生前の言葉「誰かが必要とされているとき、僕はその必要とされる誰かになりたい」が僕の心に波紋を広げ、それは消えない波となって、いつまでも残った。

だが、「死んでしまってはなんにもならない」。

 

ただ、誰かが必要とされているとき、僕もその必要とされる誰かになろう、と思った。

それが些細なことであっても、自分自身のできる範囲のことで。

僕が以前の職場で長年、労働組合の役員をやっていたのには、そんな理由がある。

両親の介護を率先して行ったことの根本にも、そんな思いがある。

 

分岐点に立つたびに、どうもしんどい方の道ばかりを選んでいる。

そんな気がした。

でも、あえてしんどい方の道を選んでいるわけではない。

どちらの道を選んだ方が、心から楽しめるか。悔いを残さないか。心が満たされるか。

そう考えて選んだ結果が、偶然にも、比べてみると「しんどいほうの道」だっただけだ。

 

「一粒の麦 地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、もし死なば多くの実を結ぶべし」これはたいへん厳しい言葉だと思う。

そして僕は思う。

一粒の麦、地に落ちて死なずとも、その青々とし凛としたたたずまいから、人の心に癒しを与えん。

そういう生き方だって、あるのではないだろうか。