禅とゴルフ |   単なるおじさんがシングルを目指す

  単なるおじさんがシングルを目指す

  
                        GD HDCP 11(’13.12.31)

「禅のゴルフ」という書物をご存知でしょうか?

ボクは「禅のパッティング」も読みました。

今となっては、その効果があったかどうかは不明です。

どんな内容だったかも今は忘れてしまいました。ニコニコ


さて、ゴルフがメンタルなスポーツであることはよく知られています。

打つ前にはグリーンセンターで十分と思いながら、いざ打つときになるとピンを狙ってしまう。

手前でよいと短めのクラブを持って、かえって力んでしまう。

いわる“欲”が出る。

真っすぐ飛ばしたい。芯に当てたい。遠くへ飛ばしたい、、、、、、。

打った後の悲惨な結果に猛省するが、また同じような間違いを繰り返す。


まあ、かの有名なボビー・ジョーンズでさえ、「私は球を打つときにあれこれ考えない、考えれば考えるほど悲惨なスイングとなる」と言っている。言っているということは経験があるということでしょう。


ここで話は少し飛躍します。


只管打坐(しかんたざ)


曹洞宗の開祖道元が勧めた修行の姿。

ただひたすらに座る。

その目的はと問われると、禅僧は答えて「無心無我無目的。(目的も何もない。無である。)」

道元曰く「坐禅の時は諸縁を放捨し、萬事を休息し、善悪を思わず、是非を関することなかれ。」

禅宗の教えは人の心は本来仏心である。

それが日々の欲や想いに揺れ動き汚れている。

水のように風に漂う雲のように。

善悪の判断もなく、快不快の感覚もなく、ただ単に座ること。


真っすぐも真芯もなく。

ただ単に球を打ち、転がす。


究極の奥儀は只管打球