親父の四十九日・・・。 | たつんこさんの自由気ままなブログ~そんなバナナっ!?~

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『ボクらの日本一周どんぶらこ』の著者であり、コーチングオフィス『Two-Me-Key“つみき”』のドリームメーカーとして活躍中の石井達也こと『たつんこ』が日々あることを、おバカなこともマジメなことも自由気ままに書いていくブログです♪

2011年1月10日 

ボクらは深夜tomori...に集まってた。 

集まったのは相棒の則武昌樹。 
いつも何かと世話をしてくれる田中洋子さん。
それにtomori...のオーナーの藤井達人さん。

ボクにとって最高の友達であり仲間。 
この日もボクの呼びかけに応じて集まってくれた。 


ボクはいつも言いだしっぺかもしれないが 
いつも何一つ自分一人で出来ない。 

相棒がイラストを描いてくれて・・・ 
よーこがランドセルをきれいに包装紙で包み・・・ 
たつさんが児童養護施設について 
忙しい仕事の合間に調べてくれた。 

・・・ボクらは孤高に戦うタイガーマスクではなく 
仲間と一緒に旅に出る『桃太郎』だった。 


2011年1月10日のmixiの日記がある。 

朝、ボクは『タイガーマスク現象』のニュースを知って 
メチャクチャ感動した。 
だからすぐに日記を更新した。 

その時、全国で5県程度に広がっていた。 
正直すげぇかっこよかった! 

でも日記を書き終わった時に少し悲しい気持ちになった。 

『岡山にもそんな人現れんもんやろか・・・。』 

そしてその時あることに気付いた。 

『こんなに感動してるのに他人事ってどうなん? 
そう思うなら自分がやればイイやん!
なんか卑怯やなこの感情!』 


ボクが一番に電話をしたのは相棒だった。 
岡山の人も全国の人も
笑って元気になってくれるようなことを 一緒にやらない?
とその考えを話すと 『それは素敵やん♪やりましょやりましょ(笑)』 

そしてあの日。1月10日の日記に 
一番にコメントくれた人に声をかけることを決めた。 
すると日記を確認してみれば 
最初にコメントしてくれていたのは
tomori...のたつさんだった。 
 
すぐにたつさんにも電話をした。 
『朝からマジで感動しちゃったわ~・・・ってことで一緒にやんない?』 
『えぇ~マジで(笑)いやっ!でもやろう♪』 
2分程度で2人の仲間が出来た。 本当にイイ友達だと思う。 

 
それからボクの名刺を作ってくれたり
いつも何かと世話になってるよーこに電話。 

話をすると 
『ま、また・・・そんなことするんだ(笑)』 
いつもあきれられているし、よく諭されもうするけど 
最終的にはよーこも何かする方にまわって手伝ってくれる。 

本当にみんな、たまに『頭のネジがゆるいんだろうなぁ』と思うけど 
最高の友達であり仲間(笑) 

岡山にも、面白い人や優しい人はたくさんいるし 
それを見て笑顔になって
一人でも元気になってもらえたらイイよね♪ 

でも、それを全国にも共感してもらえるようにするには・・・ 

そう考えると、行きつく先はやっぱり『桃太郎』だった。 

みんなタイガーマスクだったけど 
岡山のヒーローなら
『桃太郎』

ボクはメディアを利用することを考えてもいた。 
みんなが知ってる桃太郎なら取り上げてくれるだろうと。

でもこれをするにはその他にも
お金がある程度必要だった。 
余裕な生活をしているわけでもない一般人。 

しかし、これも運命のいたずらなのか 
その問題は見事になくなった。 
それはボクが出版のお手伝いをさせていただいた 
『投資の極意は感謝のこころ』の印税だ。 
最初っから自分に使う気なんてまったくなかったお金。
子供達が喜んでくれるならそれが一番!

本当にあの時ほど世の中ってうまくまわってんだな♪
と思ったことはないかもしれない。 

ボクはランドセルときびだんごを買いに行き 
相棒は手紙のイラストを描いた。 
よーこはランドセルをきれいに包装紙で包んでくれた。 
たつさんは児童養護施設について調べてくれて 
閉店後の店内を作業する場所として貸してくれた。 

朝思いつき、夜までには、みんな仕事があったにも関わらず 
それぞれの役割分担をこなしてくれたおかげで
その日の深夜になんとか間に合った。 
 
そして深夜の2時過ぎに2件の児童養護施設に乗り込んだ。 
 

実はボク達と同じ日に75件のタイガーマスク現象は起きた。 

でもその中でも『桃太郎が現れた』というのは 
新聞・メディア・
インターネットのニュースで
トップニュースになった。  
フォト
ある程度の予想はしてたけど
正直現実に起こるとびっくりしてしまう。 

でもニュースで楽しそうで元気な子供達を
見た時に本当に嬉しかった。 

それに嬉しかったのはボク達がランドセルを送った施設。 
ひとつは男女1人ずつ新一年生がいてドンピシャだった。 
調べもせずにだったのでそれはありがたいことだった。 

でも、もう一つの施設では違った。 
ボク達が2つのランドセルをプレゼントしたのに対し 
新一年生は5人いたのだ。 

・・・ランドセルが三つ足らなかった。 

それを報道されたことで知ったが 
ボク達にはもうお金もなかったので
それをどうすることも出来なかった。 

なんだかあの施設の中で
ランドセルをもらえなかった子供を考えると忍びなかった。 

・・・でもその時に奇跡が起こった。
 
ボクがニュースを見ている時にちょうど
ランドセルが3つ届けられたのだ。 

誰かがニュースでそのことを知り
子供達の為にランドセルを届けてくれたのだ! 

この時本当に涙を流して喜んだのを覚えている。 
みんなで人ってすげぇなって感動した!

そこに続いた人は誰なのか
ボクにもわからないし本当に知らない。 
そして感謝しかない。 

でも、批判的な意見も多かった。 
反響が大きくなれば必ず出てくるもの。 
ボクの中では織り込み済みのことだった。 

ひとつは、ランドセルより必要なものがあること。 

ボクが『メディアを利用する』と決めた時から考えていたこと。 
ブームになれば個人の情報力より
圧倒的な情報力を持っているのがメディア。 

いくらインターネットで検索して
児童養護施設の内情を調べたところで
有益な情報なんてなかなか出てこない。
これは机上の空論に近い。 
大変だということは知っていてもその内訳がわからない。 

でも、ブームになればメディアが動き出す。 
そうすればそこにバトンタッチして情報を出してもらう。 
そして自分も含めて、その情報から学べることを学べばイイと思った。 
そこで色んな人が情報を共有してちゃんとした議論になればいい。 

全国で800件ちかくこの現象は起こった。 
ボクはそのうちのたった1人に過ぎない。 

それにこれをしたことが
別にすごいことでもなんでもない。 
最初にやった人の想いを
みんな全国で様々な形で繋いだんだと思う。 

みんなの力だから
これはきっとボクが語ることでもないと思うし
本当だったら一生隠し通すはずだった。 

でも、ここから得たものは
何かの役に立つかもしれないし
誰かにとっては勇気に変わるものになるかもしれないと思った。 

ボクはあれからも児童養護施設について
一過性の想いにしたくなかったので
改めて調べたり、色んな人から話を聞いてまわった。
 
ある施設では100人子供がいたら100人親がいる。 
100%親がいるのに・育児放棄や児童虐待で保護されている。 
しかも、内容が内容だけに近隣との接触を避け
プライバシー保護のために施設に預けられるというより
隔離に近いという話も聞いた。 

それは感じてたよりはるかに悲しい実態。 

でも、この現象で国が動くことになった。 
児童保育施設の実態が日々報道され
資金面の問題・人員の問題・・・。
議論に上がり、問題解決に動くことになった。

日本には一億人以上がいる。 
でもこのうちのたぶん今回の運動に参加したのは 
ボクが思うに1000人程度だと思う。 

でも割合から考えてみれば
そんな少ない人達が動いたことでも国は動くのだ。 

人数がいれば叶うと言うものじゃないと思う。 
たとえ人数が少なくとも想いの強さであったり
そういうものが大切なのかもしれない。

ボクはいつも行動の中で奇をてらいたいわけではない。 
人が喜んでくれたらそれでいい。 
その為の手段でしかない。 
喜んでもらえるかどうかを考える上で
予定調和を崩しているだけ。 

寄付をする時、楽しんでもボクはイイと思うけど 
公明正大な気持ちというのはとても重要なことだと思う。 
何か見返りを求めての寄付なんて、
たぶんうまくいかない。 

ボクの場合だって
もしみんなに楽しんでもらえなかったとしても
それは自分が悪いだけ。なら、自分に反省点があるだけ。
笑わなかった人が悪いなんてことには絶対にならない。 

そういう意味では公明正大な気持ちで出来たと思う。 
相棒もよーこもたつさんも
本当にそんな想いで動ける人達だ。 

ただ、ボクの場合は半分そうであっても
半分は私欲を持って動いていた。 
たぶん本当はそうであってはいけないと思う。 


それが今日の日記のタイトルにも繋がる。 
ボクはこのニュースを亡くなった親父から教えてもらった。 

あの日の朝 
『達也!このニュース見てみ♪
本当にこんな人がおるんやな。 すげぇな・・・
まだまだ日本は捨てたもんじゃないなぁ(^▽^)』 

親父もすごい感動してたし、ボクもこのニュースに感動した。 

そしてボクはこの感動を行動に移すことにした。 
それは間違いない気持ちだけど・・・・もう一つの気持ち。 

それは 
『親父に褒めてもらいたい。』 
この感情。 

でも、これはまぎれもない私欲。 


・・・ボクはもしかしたら
とんでもない悪人なのかもしれない。 
本当にボクはそう思う。 
 
純粋にボクのことを信じて一緒にやってくれた相棒。 
子供が少しでも笑顔になってくれるならという
純粋な気持ちで付き合ってくれたよーこ。 
純粋に子供達の未来に灯りが灯るようなことをしたいと思うたつさん。 

純粋な心を持っている仲のイイ友達の良心に付け込んで
自分がたきつけて、私欲を満たすために
利用してしまったのではないかと思うことがある。 


ボクはこの時メディアを利用すると決めた! 
今までメディアに振り回されている感覚もあったが
たとえ一歩しか踏み出せずともプラスの方に
マスコミを誘導てやろうという気持ちもあった。 
それは『道具』という認識があるから利用するということ。 

でも友達は違う! 
道具でなければ、代用もきかない大切な存在。 
友達を利用するようになれば人として終わりだ! 

あの日の出来事はすごく楽しかったけど
未だにその事がふと頭の中をよぎる。 
・・・自分が親父から褒められたいがために
多くの人を巻き込んだだけじゃないかと。


それに結局
ボクはこの件で親父に褒められることはなかった。 

大きくニュースになって次の日。 
その日も『桃太郎』のことが報道されていた。
 
親父がすごく朝早く起きていて
ちょうど、そのニュースと新聞を見ているところに出くわした。 
ボクは偶然トイレに起きてたまたまだった。 

もちろんこれをボクがやっていることは親父も知ってる。 

ずっと黙ってみてた。 
そしてニュースを見終えると何も言わず玄関の方に歩いて行った。 

そしてボクの方を振り返ると少年のような笑顔でボクを見た。 

たったそれだけだった。 

そして 
『さてさてオレもがんばらんとな♪
んじゃ行ってきま~す(^▽^)♪』 
そう元気よく言うと
まだ朝日も上がらない真っ暗な中、玄関を飛び出して行った。 

でもそれだけで十分だった。十分伝わった。 
それにしても朝の5時から笑顔で仕事行くなんて
親父はちょっと異常だなとボクも笑った。 


親父のあの一言がなければ
あの日の自分の行動には繋がらなかったかもしれない。 

あれから親父は亡くなってしまったけれど。 
今でも相棒やよーこにたつさん。 
みんな仲のイイ友達の関係が続いている。 
本当にありがたいこと。


ボクは権力とか肩書きばかりで語る人は嫌いだ。
親父もそんな人だった。

それにボクはボクでしかないから
肩書きを名乗ることもあまりないし、興味もない。

でも大好きだった親父が亡くなった時
これだけは大切にしようと思ったものがある。

それ
『親父の息子』

もしこれを肩書きというなら
この肩書きだけは死んでも守ろうと思った!
親父のように恥じぬ生き方をしようと心に誓った。


葬儀を終えてある時、オカンにあの日のことを話した。 

あの日の自分の行動は
親父のひと言がきっかけだったこと。
 
みんなを笑顔にってのもあったけれど
親父に褒めれれたいが為にやったこと。
 
そして、自分達が資金的な面もあって
プレゼント出来なかった3つのランドセルを
誰かがバトンタッチのようにプレゼントして届けてくれたこと。 

するとボクの話を聞いたオカンがぽつりと呟いた。 
たぶん何も考えず冗談交じりに言ったんだと思う。


「・・・それ、もしかしてお父さんだったりして。」 


「・・・えっ!?」 


・・・・・・一瞬時間が停止したかのように思えた。
そして次の瞬間、全身に鳥肌がたった。 

まさか・・・ 

考えたこともなかった。。。 

あの日、なんであんなに異常なほど早起きで家を出たのか? 
ボクがトイレで起きていなければ絶対に会ってない時間。 


本当にあのランドセルを届けたのは一体誰だかわからない。 

でも人を驚かしたり笑わせたりするのが大好きだった親父。 
それにいつも不言実行を徹する人だった。 

親父が亡くなった今、真相は闇の中・・・ 

ボクにとってのタイガーマスクは
いつも親父だったのかもしれない。 

本当は自分の中で封印されるはずだった話。 
・・・でも親父がいなければ存在しなかった話。

四十九日を終えたいま
この話が親父の手向けになれば・・・そう思っています。