今日のリブログは光也さなさん
ものすごいスピードでイラストを描いていらっしゃるんじゃなかろうかと感じるような、流れるようなタッチに臨場感があって大好き(=´∀`)


わたしはこの間のブログ(こちら)で細胞から感じたことをこんなふうに書いた。


多細胞生物であるわたしたちはすでに1人であっても1人で生きていない。

そして1人の人間も大きな全体の一部として生きている。自分を大切にすること、への俯瞰的視点。


今日のこのさなさんの記事はわたしが感じていることまんま。


どこで"わたし"と"わたし以外"の線を引くか。


多分それは目に見れるところでわたし達は線を引いている。


鏡に映る自分を見て、輪郭を認識する。


普段目に見えていないから体内で沢山の菌が存在していることも、血液が流れていることも、毛が伸びていることも、認識していない。
わたし事、に感じられない。


量子物理学だったかな、人が認識した時にモノは存在するっていっていたのは。


まさに同じこと。
酸素と二酸化炭素の交換を意識していないだけで、見えないだけで、空気は空間に満ちている。
呼吸に意識を向けることで、自分の体内空気交換が行われてることを認識できる。




わたしの、境目を決めるのはわたし。


最近、目の前に見える光景や、誰かに起きてる事象についての情報との間に境目が無い感覚に瞬間的に陥ることがある。


朝目が覚めて、大好きなうちの植物、それらが身を置いている部屋の白い壁が視界に入ったときに「全部好きだわ〜〜」と感じた瞬間、


目の前に見えてる光景、全部わたしだ!


そんな感覚に自分ごとスコンと、はまった。


大好きな人の飛躍をSNSで見たときに、すごいな✨という感覚の後に「わたしはそうじゃない」という有りがちで、使い古した文言が頭をよぎったかよぎらないかの瞬間に、


これ、全部わたしの世界で起きてる!


という感覚が身体の中心からドバッと湧いてきた。なんだなんだ?!


全部、わたしだ。
全部、わたし事。


わたしの世界で起きてることなんだから、わたしがそこを目指す必要すらなくて、ただ目の前の輝きを認識しながら、安心して自分に湧き起こる欲求に没入するだけ。


だって、わたしが目の前で見ている輝きについてはわたしが担当しなくていいってことだもん^ - ^


楽チン、て思った。


自分が誰かにとって輝きを放つ存在になっているかとか、宇宙や大きな命の一部として機能してるかどうかとか、もはやそんなこと気にならない。


気にすべくもなく、既に一部であり全部だから。


そしてきっと自分の輝きは自分では気づけないのかも。
太陽が燃えている自身をハタから見ることができないみたいに、照らされたり燃やされる存在を見ることでしか自分の熱量に気づけない。


だから、ただただ、自分を燃やしてるだけでいい。


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わたしとこの子の境目がときどきわからなくなる。