ほんの、、、たぶん、2年くらい前までかな。
わたしは
独身で子供もいなくて、
結婚歴もなくて、
ついでにそのとき恋人もいない自分が
情けなかった。
恥ずかしかった。
悔しかった。
だから、願い事はいうと
「パートナーのいる生活」
アファメーションだと完了形でしょ?
「パートナーのいる生活を送れていて
ありがとうございます」
そんなことお月様が巡るたびに
何度も書いたり、口にしたり
女子力アップやモテスキルを仕入れたり
合コンにいったりしてみても
一向にパートナーと思える人とは
出会わなかったし、付き合わなかった。
親からは周期的に独身である事に対して
苦言を呈された。
「あなたに幸せになってほしい」
そう言われる度に
"おまえは結婚しないと幸せじゃない娘"
と呪いをかけられているように感じた。
関わりたくないような相手との
見合いを陰で進められたことにも怒りを覚え
早く自分が好きな人と一緒にいれる状況に
なりたいとどれだけ切望したか分からなかった。
それでも、わたしの前にパートナーは一向に
現れなかった。
そんなある日わたしは気がついた。
子供を早く産まなきゃと思っていただけで
結婚を切望していたわけではないことを。
そして子供については、産む機能が備わって
いるのに使っていない事はのちのち悔やむ
ことになりそうだから産みたいだけで
育てたいと特に思っていないことを。
結婚している状況が欲しかったのは
世間から女として欠けている、
一社会人として未成熟である、
と思われたくなかっただけだったことを。
そして、わたしは当時していた仕事を
もうしたくなくて、
結婚して家賃を払ってくれる人が
欲しかっただけだということを。
本音を正面から見てしまった。
これまでそれらを認めたくなかったのは
本音に向き合って、それらを認めることで、
それらが現実になってしまう=
独身で子供のいない生活が現実化してしまう
のが怖かったから。
選択肢を捨てるようで。
でもね、もう認めてしまった。
自分の本音に対して降参してしまった。
だって、ほんとのところ腹から願ってた
ことでもないからどんなに書いてみたって
叶うわけもない(笑)
「いいよもう、結婚してないわたしで」
「一生子供産むことがなくてもいいよ」
そうしたら、肩の荷が、おりた。
シンプルに
肌に触れたいと思える、
一緒に寝たいと思える、
好きな人といたい。
それだけを願うことにしたら
嘘のように気持ちが軽くなった。
自分が、自分の本音を受け入れたときの
安堵感を思い出した今日の堀江さんの記事。
〜〜しないといけない、と思うことで
わたしは自分の本音を見ないように
してきただけ。
周りの人達と違う選択をする自分が、
この先何を選んでいいかの指針を
半径数メートルの"世間"から見つけ出せない
ことで、路頭に迷うのが怖くて
いわゆる分かりやすい指標に
自分を合わせようともがいてきただけ。
自分の選択を後悔することになるのが怖くて
自分の選択に責任を取る事を避ける為に
誰かの指標を持ち出してきて、責任を"世間"
にしようとしていただけ。
お陰でサイズの合わない服に袖を通すような
時間を沢山過ごしてきてしまったけど、
もう、それにも飽きたから(笑)
今や結婚しないといけないとか、
まるで思わない代わりに
「ホントにしたいなら、すればいいじゃん。
ていうか、したかったらしてるよね?」
と感じている。
人って変わるもの。
自分を愛する選択を、
わたしはこれからも続けてく。
結婚しようがしまいが、
子供がいようがいまいが、
生きてるだけで、なんか、楽しいから(*´꒳`*)