■中国の分裂と隋・唐帝国

○五胡…匈奴、羯、鮮卑、氐、羌。

「今日」の「決」「戦」、「提」「供」は大学受験への道でした。

○東晋の都は建康。

「年」取っても「健康」でありたいものだ。

○東晋→宋→斉→梁→陳。

「闘」「争」「整」「理」「中」。力で押さえつけるだけではだめなのです。

○北魏を建国したのは鮮卑族の拓跋氏で都は平城。

「ほうき」「千」「束」、「平常」通り。圧巻でしょうね。

○陶潜の著作『帰去来辞』

「通せん」ぼする人、「嫌い」。

○昭明太子が編纂『文選』

「証明」を「門前」に。泥棒対策です。

○顧愷之の作品『女史箴図』

「ここが」「女子」の部屋か…。なんだか危険ですね。

○王義之は書聖と呼ばれた。

「奥義『書』」は「聖」なるもの。

○鳩摩羅什は漢訳に努めた。

「熊」に「火薬」。猟師でしょうか。

○東晋の法顕の著作『仏国記』

「年」取って「保険」に入るのは「無骨」。万が一に備えてはいるのが保険ですからね。

○楊堅が隋を建国。

「要件」を「ズイ」ッと申せ。ズイッと覚えましょう。

○李淵が唐を建国。

「林」「道」。鳥のさえずりに耳を傾けながら。

○唐の三省…中書、尚書、門下。

「中」「小」の「門」。南大門とは比べようもない。

○則天武后が周を建国。

「不幸」な「周」。短命でしたからね。

○玄宗の治世を開元の治という。

「限」「界」。学問には限りはありませんが。

○安史の乱は節度使である安禄山、史思明が起こした。

「節度」を守っているから「安心」。「安」禄山と「史」思明。

○楊炎は両税法を実施。

「要」「領」いいね。実際長いこと使われましたしね。

○李白は詩仙と呼ばれた。

「仙」→「洗」→「白」!アタックとかボールドとか使ったのか。

○杜甫は詩聖と呼ばれた。

「市井」に「徒歩」で向かう。市井(しせい)というのは国語でも狙われますよー。

○白居易は長恨歌を詠った。

「発狂」して「恨」みの「歌」。発狂と聞くと山月記を思い出しますね。

○韓愈と柳宗元は漢以前の古文の復興を唱えた。

「漢」「流」の「古文」。

○顔真卿は楷書を開いた。

「が」んしんけ「い」と、「か」「い」しょでつなげる。当然、顔神経ではないよ。

○孔穎達が編纂『五経正義』

「くよ」くよせずに、「正義」を貫こう!

○玄奘の著作『大唐西域記』

玄奘は、「現」「代」にも読み継がれる「西遊記」の三蔵法師のモデルだそうで。

○義浄の著作『南海寄帰内法伝』

「議長」、「難解」です!もしくは、「議長」、「なんかいい」です!でも可。どちらにしたってよくわからん。

○ソンツェン=ガンポが吐蕃を建国。

「ガン」ガン「飛ば」そうぜ!何事もスピードと勢いは大事です。勉強もね。

○五代…後梁→後唐→後晋→後漢→後周。

「離」「島」「震」「撼」「し」た。離島は地震とか起きると大変なのです。

○趙匡胤は宋を建国して開封を都にした。

「早」「朝」「会」議。先生たちも大変です。

○神宗は王安石を登用した。

「神」の「王」。

○司馬光は編年体の史書『資治通鑑』の著者。

「しばこう」か、「変態」を。「司」馬光と「資」治通鑑。

○南宋の都は臨安。

南宋の花、「何」「輪」ほしい?

○北宋では交子、南宋では会子が発行される。

北南の順で「公」「開」。

○宋学の祖は周敦頤、朱熹が大義名分論。

「宋(学)」と「朱(熹)」は形が似てますね。それで「周」と「朱」のつながり。「主」君に名分を尽くす。

○欧陽脩が編纂『新唐書』『新五代史』

「およし」よ、「新」しい「こ」「と」は。

○金…女真族の完顔阿骨打が建国、全真教。

「金」メダル級、「完」「全」な「顔」の「女」性。


■内陸アジア民族の変遷とモンゴル帝国

○匈奴最盛期の君主は冒頓単于。

「僕」と「奴」。

○オゴタイ=ハンが金を滅ぼす。カラコラムに都。

「おごり」ますよ、「金」。「か」ねと「カ」ラコラム。

○フビライ=ハンが元の都を大都とした。パスパ文字を作らせる。

エ「ビフライ」「大」きい。「パス」タに合いそう。

○マルコ=ポーロの著作『世界の記述(東方見聞録)』

「丸」い「世界」。ときどきガガーリンの言葉「地球は青かった」を「丸かった」と迷うんですよね。なぜか。

○郭守敬は授時暦を作成。

「守」と「授」。「しゅ」と「じゅ」ですね。

○代表的な元曲は『漢宮秋』と『西廂記』。

「原曲」、「完(宮秋)」「成(廂記)」。


■イスラム教の成立と発展

○メッカにあるイスラーム教の神殿はカーバ神殿。

「メッカ」+「カーバ」で「メッカーバ」。復唱せよ。

○ウマイヤ朝の都はダマスクス。後ウマイヤの首都はコルドバ。

古代にアラム人の都市でしたね。それを加えて、「あら」?「だます」つもりはなかったのよ?次は「うま」くだまそう。…「コル」ァ!

○スンニ派が多数派、シーア派が少数派。

「シ」ーア派が「し」ょう数派。現代社会と絡んでよく出題されるのです。

○アッバース朝の首都はバグダード。

アッ「バ」―スと「バ」グダード。

○サーマン朝の都はプハラ。

「サマー」(夏)に「プハ」―!海から上がる感じで言いましょう。

○セルジューク朝を建国したトゥグリル=ベクはスルダンの称号をもらう。

「千手」観音さまと「ぐっすり」「する」よ。寝起きで焦ります。

○ファーティマ朝はカイロを建設。

「振」っ「て」ね、ほっ「かいろ」。

○サラディンがアイユーブ朝を建国。

「皿」「洗い」。

○クシュ王国が前七世紀に都をメロエへ。

「くしゃ」くしゃと「メロ」ンを食べる。行儀悪いです。

○アクスム王国にはキリスト教が広まった。

アク「ス」ムに、キリ「ス」ト。三番目に注目。

○マリ王国の最盛期の王はマンサ=ムーサ。

「マ」リで「マ」ンサ。

○スーフィーとは神秘主義者のこと。

「神秘」をなまって言うと、あら不思議、「スーフィー」に聞こえちゃう。

○イブン=ハルドゥーンの著作『世界史序説』

「春」に「除雪」。雪国は大変です。

○イブン=ルシュドはアリストテレス研究。

「アリシュドテレス」と10回言ってみましょう。

○イブン=シーナーの著作『医学典範』

「しな」びた「テンパー」。テンパーは天然パーマのこと。説明するまでもないか。

○イブン=バットゥータの著作『三大陸周遊記』

「パッと」「三大陸周遊」。ジャンボジェットならすぐ。狭い世界になりましたね。