大川隆法の私生活を元秘書が暴く!! ~GW再掲載特集~ | どんきー王子のブログ

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幸福の科学の元熱烈信者です。
昨年脱会しました!

GWなので信者のみさんも読んでくれていると思いますので

再掲載します!!!

ぜひご一読を



以下、幸福の科学元秘書の方が暴いた

大川隆法の暮らしぶりです。


成金が築いた暮らしぶり・・・どこが宗教なんだか??(笑)



五反田近くの池田山という超高級住宅街のマンションに移り住むことになったときから、大川主宰の金遣いの荒さが目に付くようになります。
マンションは二棟立ての、おのおの三世帯だけが入れる高級マンションで、一世帯200平米以上、家賃は100万以上/月です。これを全部丸ごと借り切ったわけです。
年間家賃は少なくとも7000万は超えていたと思われます。勿論、この費用は、幸福の科学が全て負担しています。
ここで営まれる生活全般の費用も、全額、幸福の科学の負担となります。
ここは大川主宰一家が平成五年~十一年まで、(大川主宰の拠点を宇都宮に移転した間でも)借り切っておりました。その使用方法は、
西館1F リビング→プレイルーム 個室→男性用事務所2 女性事務所1 洗濯干し部屋
西館2F リビング→きょう子氏の図書室 個室→子供勉強部屋
西館3F リビング→女性宗務局員休憩&家事部屋 個室→住込み宗務局員部屋(住込みは女性)
東館1F リビング→大川主宰用図書室 個室→マッサージ部屋、マガジン部屋、エステ美容室
東館2F リビング→食事室 個室→子供部屋、家事室、宗務局員宿泊室
東館3F リビング→大川主宰用書斎 個室→きょう子氏書斎、寝室、衣裳部屋、薬部屋
となっていました。
また、地下には防弾装甲をした車があり、最初は、日産プレジデントを、オウムから毒ガスをまかれた後にはリンカーン・タウンカーを防弾仕様に改造したものが使用されておりました。これの防弾仕様は「家一軒分」かかったといわれています。

※ 筆者も秘書局長として大川の下に戻った際、近所に社宅をあてがわれたが120平米の3LDK、60万円の物件を単身で使用していた。上の階には真杉さんがすんでおられた。

私が、秘書局長として、大川主宰の元にもどったときには、大川主宰の生活ぶりは、以前とは様変わりしていました。秘書の数があまりにも多いのです。
平成三、四年の職員大リストラの後は、紀尾井町に七~八名、自宅秘書(女性ばかり)六名くらいだったに、戻って見ると、紀尾井町はさほどかわりませんでしたが、池田山には、五〇名近くの秘書がいたのには驚きました。
男だけでも、秘書局長の私のすぐ下に、局次長が1名、秘書部長が3名、秘書課長をはじめ課長職が3名、以下、課長補佐、主任と続きます。
女性はそういうランクはありませんが、30人弱いたのではなかったかと思います。
それらの秘書は、何をしていたかというと、大川が紀尾井町出社のときは、一部ついていきますが、大川自身殆ど池田山で過ごすため、彼らは、池田山私邸で任務に当たっています。
男性の多くは日常の雑務が殆どで、専任の料理人2名、マッサージ師、それに東大医学部出身の家庭教師2名とか、図書専任係もいました。当然、大川主宰の専任のドライバーもいれば、子供たち用のドライバーもいました。もちろん小児科医(酒井)もおりました。
女性の場合は、子ども担当者、女性のマッサージ師、ヘアーメイク係り、スタイリスト、思い出すのが面倒なくらいいろんなメンバーがいました。このなかから、数年後に大川主宰の愛人になったのもおりました。
ただし、こうした秘書の多くは、雑役及び家政婦扱いの世界です。実は、こうした秘書は、実は使用人に属しますから、彼らの給与は幸福の科学が払うのではなく、大川主宰が払うのが税法上の決まりです。しかし、大川主宰の財布は開かれないままでした。
これが、吝嗇な大川主宰の私生活の一端です。


さて、現在の大悟館=白金御殿での生活はというと、秘書の数は不明だが、その分、愛人は増加して、ほとんど変わらないはず。むしろ規模が大きくなっているのかも。なぜなら、秘書局も、宗務本部という名前になって、第一秘書局長とか、第二秘書局長とかいう職位も聞いているので、前よりも派手になっているかもしれない。
このなかで、吝嗇な大川は個人財産だけは、恭子との離婚話の際、表向き全額を幸福の科学に寄付したとしているが、どういう手段をとったのかは知らないが、欧州の銀行に預けているらしい。万が一の場合は、海外に逃げ出せるよう準備しているらしい。



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