The Way Makes a Difference-永田氏
(出典:読売新聞)


元民主党公認千葉2区選出衆議院議員であった永田寿康氏が1月3日に亡くなった。永田氏といえばあの堀江モンメール事件で偽のメールにだまされ、国会議員を辞職することとなった方。エリート大学出身、元大蔵省の官僚ということで、ある種当時は民主党のエリート議員たちを象徴するような存在だったろう。大きな期待をかけられていたが、結局余りにも初歩的な”失言”で政界を追われることになり、民主党の党政とともに地に落としめた人物である。心よりご冥福をお祈りします。

昨年末に自殺未遂をしたというニュースの一方を聞いたとき、どこか驚かなかったのはもしかしたら私だけではないかもしれない。ウィキペディアの記事を見ていると改めて、どこかでボタンを掛け違えてしまった、典型的な転落の人生だったのではないかとさえ思えてきてしまう。但し、私はどうもマスコミがあおるように、「エリートが踏み外した人生」という比喩には若干の抵抗感がある。”エリートだから”こういう結果になったのだろうか?それは正しいのか?その言外に、どこか”エリート”なるものへの僻みはないか?今回の残念で悲惨な結末は、あくまで永田氏が永田氏であったが故に起こったことに他ならない。


こういう結末を聞いて、つくづく思うのは 1)政治に志をもって挑戦し、敗れたものの雇用の受け皿の未整備 2)精神的に病んでしまった人への社会的ケアの不十分さ 3)あの事件の片棒を担いだはずのマスコミの詭弁さ・・・

2)、3)は今更という感じもあるが、1)については実は今後日本の政界が変わらなければいけないという時期に、日本の民主主義にとって非常に重要な問いを投げかけているといっても良い。政治家の給料を下げろという人たちがいるが、とんでもない。良い人材を集める為には給与はもっと上げるべき。そして、プロの政策スタッフも雇えるように予算をつけ制度を拡大すべし。その中で重要になってくるのが、「落選した時にどうなるか」ということ。それは永田氏のようにスキャンダルでの失職から、選挙で敗れて負けた人たちへの対応まで共通して言えること。

自宅が商売をやっていて浪人期間は手伝っていればよい、という人だけにチャンスがあるというのはおかしい。落選した人がことごとく政治家の私設秘書としてぶら下がっているのもどんなもんかと思う。政治の道で失敗した人の雇用の流動性というものが担保されて初めて、政治の世界への門戸が開かれるし、同時に「政治家」という職業にしがみつき、必要以上に固執するというようなことがおきにくくなるはずである。政治家は選挙におちればただの人、とは上手く言ったものだが、政治家が落選したら何も出来ない人、というのでは政治家を志す人自身もいけない。


永田氏の死のニュースを聞き、言いようのない寂しさと閉塞感を感じてしまう。

彼は本当にもう過去の人なのだろうか。


永田氏がここまでして、結果的に世間に問うことになった問題、現実を、
私達はもっと真剣に直視すべきなのかもしれない。



因みに、当時(2006年)私は彼の事件についてこんな記事を書いていました。

永田寿康議員の記者会見

永田寿康議員と民主党の将来