先日再会についてのお話をしたが、その最後のピースとして残っていたのが高校時代の同窓会だ。高校を卒業したのが2000年になるので、あれからもう8年強が経過していることになる。高校を卒業した後も連絡を取っている私の近しい友達は、どうやらこういう会が嫌いらしく?参加しないということで、おっかなびっくりではあるが、一人でこの同窓会に参加することになった。同時、40名のクラスが10コあり、学年としては400名でスタート。今回の同窓会に参加した人たちが約80名。少し寂しい参加率ではあるが、担任の先生方6名の参加を交えて、ひと時ではあるが楽しい時間となった。
正直、これが同窓会の運命なのかもしれないが、誤解を恐れずに言うならば、私が”期待していた”メンツはなかなか参加していなかった。あの頃熱く語っていた奴等がきてくれる、連絡が途絶えてしまっているのが再開する?という淡い期待は見事に打ち破られた。それでもポツポツと知っている顔、顔はおぼろげに思い出すも名前を思い出せない人、時間が経過するにつれ徐々にその顔が思い出されてきた人・・・たかが8年、されど8年、人の記憶というものは曖昧で、印象の強弱に関わらず薄れていくものなのだなと思う。
帰り際に声をかけられた一人の元クラスメート・・・まずい、知っているようで、なんだか思い出せない・・・その隣にいた奴が冗談で別の名前を言って茶化しているうちに、なぜか頭の中に名前が浮かんできて、何とか「○○だよね?!」と応えることができた。彼は高校に入学した手のときに知り合って、席が近かったこともあってよく話し、その不思議さも手伝ってとても印象深い奴だった。危ない危ない。。。今は建築関係の仕事をしているとのこと。さすが当時美術が得意だったっけ。
もちろん先生との再会もアリ。ただし、私のクラスの担任は欠席というのが少し残念。再開できたのは唯一、私に3年間英語を熱心に教えてくれた方。現在は校長先生。相変わらずの熱さだったが、あの3年間のみっちりとした英語指導がなければ、私の英語基礎力は確立されていなかっただろう。留学した後、そして今も、どれだけ高校時代に勉強した英語が生きているか知れない。もうそのことがまず感謝の言葉として出たことは言うまでもない。
先生たちは多く、私たち個々人の顔は覚えていても、名前は忘れてしまっている。ただ、これまでも多くの生徒を見てきた先生たちにとって、それはある意味当然であり、残念ではあるが良いことなのかもしれない。ある人はこういう状態を「個々人の名前を忘れているということは、それだけ先生が平等に愛情を注いでくれていたということの表れではないか」と本に書いていた人もいた。
これまで恩師と呼べる方が何人かいるが、そのうちの一人と再会できたことはかみ締めるような喜びを感じずにはいられなかった。
結婚した人、子供がいる人、意外な職についている人、面影が本当に変わっていない人、変わっている人・・・どちらかというと、男性陣の方があまり変化していないだろうか??どちらかというと、参加者の多くは新潟で落ち着いて仕事をして、生活をしているという人が多かったようにも思う。次はまたいつこのような形で会えるかはわからないが、きっとまた会うのだろう。もっと広範囲の人たちにもし会えるのであれば、こんなに嬉しいことはないのだが。それぞれ違った道を進みながら、当時のイメージと、ビジョンと、今とを比べながらそれぞれ思うところがあり。
最後に当時のクラスメート2人に言われた言葉、私の仕事について聴いたあと、「政治家じゃないんだ?ちょっと残念・・・」この言葉に本気で応えられるようになる日は、いつくるのだろうか。
正直、これが同窓会の運命なのかもしれないが、誤解を恐れずに言うならば、私が”期待していた”メンツはなかなか参加していなかった。あの頃熱く語っていた奴等がきてくれる、連絡が途絶えてしまっているのが再開する?という淡い期待は見事に打ち破られた。それでもポツポツと知っている顔、顔はおぼろげに思い出すも名前を思い出せない人、時間が経過するにつれ徐々にその顔が思い出されてきた人・・・たかが8年、されど8年、人の記憶というものは曖昧で、印象の強弱に関わらず薄れていくものなのだなと思う。
帰り際に声をかけられた一人の元クラスメート・・・まずい、知っているようで、なんだか思い出せない・・・その隣にいた奴が冗談で別の名前を言って茶化しているうちに、なぜか頭の中に名前が浮かんできて、何とか「○○だよね?!」と応えることができた。彼は高校に入学した手のときに知り合って、席が近かったこともあってよく話し、その不思議さも手伝ってとても印象深い奴だった。危ない危ない。。。今は建築関係の仕事をしているとのこと。さすが当時美術が得意だったっけ。
もちろん先生との再会もアリ。ただし、私のクラスの担任は欠席というのが少し残念。再開できたのは唯一、私に3年間英語を熱心に教えてくれた方。現在は校長先生。相変わらずの熱さだったが、あの3年間のみっちりとした英語指導がなければ、私の英語基礎力は確立されていなかっただろう。留学した後、そして今も、どれだけ高校時代に勉強した英語が生きているか知れない。もうそのことがまず感謝の言葉として出たことは言うまでもない。
先生たちは多く、私たち個々人の顔は覚えていても、名前は忘れてしまっている。ただ、これまでも多くの生徒を見てきた先生たちにとって、それはある意味当然であり、残念ではあるが良いことなのかもしれない。ある人はこういう状態を「個々人の名前を忘れているということは、それだけ先生が平等に愛情を注いでくれていたということの表れではないか」と本に書いていた人もいた。
これまで恩師と呼べる方が何人かいるが、そのうちの一人と再会できたことはかみ締めるような喜びを感じずにはいられなかった。
結婚した人、子供がいる人、意外な職についている人、面影が本当に変わっていない人、変わっている人・・・どちらかというと、男性陣の方があまり変化していないだろうか??どちらかというと、参加者の多くは新潟で落ち着いて仕事をして、生活をしているという人が多かったようにも思う。次はまたいつこのような形で会えるかはわからないが、きっとまた会うのだろう。もっと広範囲の人たちにもし会えるのであれば、こんなに嬉しいことはないのだが。それぞれ違った道を進みながら、当時のイメージと、ビジョンと、今とを比べながらそれぞれ思うところがあり。
最後に当時のクラスメート2人に言われた言葉、私の仕事について聴いたあと、「政治家じゃないんだ?ちょっと残念・・・」この言葉に本気で応えられるようになる日は、いつくるのだろうか。