「内職、10年で半数の20万人に」という本日付の日本経済新聞の片隅を飾った記事は、そのボリュームは小さいながらも私の心を掴んで離さなかった。内職・・・色々な用途で使われるこの用語だが、私がこの言葉を聴いて一番初めに思い浮かべるのは福井に住んでいる父方の祖母のことだ。最後に会ったのは何年前になるのか、もう覚えていないくらい会ってないが、幼い頃に父の実家を訪れた際に、祖母が内職をしていたことをおぼろげに覚えている。典型的な農家の家庭、内職でもしないと生計を立てられない、余裕のある暮らしができない・・・そんな現状を表しているのかも知れない。
私だってそんなに地方に行った経験はないが、例えば私が勤めている会社の関係会社(=製造工場)が点在しているのはみんな日本の地方である。実習などに行って感じるのは、そこはどうしようもない田舎であるとういこと。その工場で雇用されている人の殆どが地元で生まれ育った人達ばかり。その地方の経済を支えているのが製造業の工場である。この構造が決定的に崩れてしまったのがアメリカであり、製造業を捨てその工場の殆どを海外に移転してしまったアメリカは、地方の雇用が減り、工場労働からあぶれた人達が後から進出したウォルマートで働くという構図。日本は比較優位が製造業にあるので、まだ海外進出比率はアメリカに比べて低いものの、日本経済構造改革の波は確実に社会のあり方を変えてきている。
「1995年に約55万人いた家内労働者は2005年には約20万7000人まで減少」したと報道されたこの現状。この内職の”雇用”にあぶれた人達は今いったい何をしているのだろうか?地方の雇用状況は決して良くないだろう。地方切捨てと揶揄される小泉構造改革のなせる業か。が、経済は社会は常に変動していくものであり、ライフスタイルや幸せの形そのものが時代と共に常に変わっていくのであると私たちは心に留めておかなければならないのかもしれない。どこももう政府主導の公共事業に頼る経済、右肩上がりの経済の中で生きていくというメンタリティーから脱却しなければならないのかもしれない。地方の自立、地方の活性化、自分達で何とかしなければならない、東京都の生活レベルと自らのそれを比較するのではなく、地方は地方のあるべき姿を自ら模索して実行していく・・・そんな気構えをしろと今社会が問われているのかもしれない。
内閣支持率が10%を割った近年で最低の内閣総理大臣だった森喜朗が、今朝のサンデープロジェクトで折りしも話していた言葉がふと頭の中をよぎる。あのどうしようもない政治家でも、良い事を言う事もあるんだなぁと感じた。次期自民党総裁レースでトップを行く安倍晋三官房長官に対して、「もっと地元を回りなさい」と説く。自民党は2・3世議員が多く、この人達は東京の学校で育ってきた為地方への愛着も無く、地方の苦労もしらない。地元の人と話して、一緒に農作業をして汗を流して、地方の人達の気持ちを感じて欲しい。というようなことを説く。
政治家は皆農作業をしなければならない、というのは間違いだと思うが、確かに森氏の言いたい事もわからないではない。政治とは弱者を国家という権力が傷つけない為に守ること、個人がその幸福を追求していく為の基礎的ルールを作ること。民主主義だからといって、大勢の意見が常に正しいわけではない。大きな国民の期待を込められて選出される初めての?首相、安倍晋三・・・地方も、中央も、海外も、複合的な広い視点を持った総理大臣になって欲しい。国民はそう期待している。
私だってそんなに地方に行った経験はないが、例えば私が勤めている会社の関係会社(=製造工場)が点在しているのはみんな日本の地方である。実習などに行って感じるのは、そこはどうしようもない田舎であるとういこと。その工場で雇用されている人の殆どが地元で生まれ育った人達ばかり。その地方の経済を支えているのが製造業の工場である。この構造が決定的に崩れてしまったのがアメリカであり、製造業を捨てその工場の殆どを海外に移転してしまったアメリカは、地方の雇用が減り、工場労働からあぶれた人達が後から進出したウォルマートで働くという構図。日本は比較優位が製造業にあるので、まだ海外進出比率はアメリカに比べて低いものの、日本経済構造改革の波は確実に社会のあり方を変えてきている。
「1995年に約55万人いた家内労働者は2005年には約20万7000人まで減少」したと報道されたこの現状。この内職の”雇用”にあぶれた人達は今いったい何をしているのだろうか?地方の雇用状況は決して良くないだろう。地方切捨てと揶揄される小泉構造改革のなせる業か。が、経済は社会は常に変動していくものであり、ライフスタイルや幸せの形そのものが時代と共に常に変わっていくのであると私たちは心に留めておかなければならないのかもしれない。どこももう政府主導の公共事業に頼る経済、右肩上がりの経済の中で生きていくというメンタリティーから脱却しなければならないのかもしれない。地方の自立、地方の活性化、自分達で何とかしなければならない、東京都の生活レベルと自らのそれを比較するのではなく、地方は地方のあるべき姿を自ら模索して実行していく・・・そんな気構えをしろと今社会が問われているのかもしれない。
内閣支持率が10%を割った近年で最低の内閣総理大臣だった森喜朗が、今朝のサンデープロジェクトで折りしも話していた言葉がふと頭の中をよぎる。あのどうしようもない政治家でも、良い事を言う事もあるんだなぁと感じた。次期自民党総裁レースでトップを行く安倍晋三官房長官に対して、「もっと地元を回りなさい」と説く。自民党は2・3世議員が多く、この人達は東京の学校で育ってきた為地方への愛着も無く、地方の苦労もしらない。地元の人と話して、一緒に農作業をして汗を流して、地方の人達の気持ちを感じて欲しい。というようなことを説く。
政治家は皆農作業をしなければならない、というのは間違いだと思うが、確かに森氏の言いたい事もわからないではない。政治とは弱者を国家という権力が傷つけない為に守ること、個人がその幸福を追求していく為の基礎的ルールを作ること。民主主義だからといって、大勢の意見が常に正しいわけではない。大きな国民の期待を込められて選出される初めての?首相、安倍晋三・・・地方も、中央も、海外も、複合的な広い視点を持った総理大臣になって欲しい。国民はそう期待している。