3年ぶりに母親の実家がある新潟県上越市に行ってきた。今回は年始の挨拶と、病気の祖父母を見舞うということがメイン。滞在時間数時間という短い時間だったが、久しぶりに一族の多くが揃った瞬間でもあった。しかしその再会は、同時に時の流れという止めることのできない趨勢の再認識というものも、私に迫ったのであった。



新潟市から車でやってきて最初に訪ねたのは、祖母が暮らしている老人ホーム。私はこの年になって、老人ホームに立ち寄るのは初めてだった。そこで目にした祖母は、昔の面影は微塵も残っていなかった。髪は白くなり、目は焦点を外し、私たちのことも認識することはできない。物も食べることができず、人とまともに話すこともできず、ただ天井を見つめて車椅子ベッドに寝ているだけ。悲しい物言いをするように聞こえるかもしれないが、これでも生きているっていうのかな・・・と正直思ってしまった。そののどに通っているチューブを抜けば、物を食べることができない祖母は、体重が低下して死を迎える。現代の医療技術というものはたいしたものだ。



そんな複雑な気持ちを胸に、母の実家へ。そこではいとこ達が出迎えてくれたわけだ。そして、半分寝たきりになってしまった祖父も暮らしていた。祖母がああした状態になってからも、元気に献身的に看病をしていた祖父だったが、いつしか脳の血管が切れてしまい、かつての面影も無い人になってしまったのだ。嘗ては小学校の校長も勤めた祖父。厳格だったが、とても優しい人だった。私は彼から多くのことを学んだものだ。



しかし今となっては、痴呆も進み、一部の体の自由が利かず、ベットと居間を行ったりきたりしているような生活になってしまった。毎日のように顔を合わせている家族でさえも、彼は時たま認識できない時がある。ましてや私のことは思い出したり、忘れたり・・・なんだか複雑だった。もう、まったく別の人になってしまったようで。あの日の目の輝きは、今は無い。





そんなショッキングなこともあったわけだが、嬉しい事もあった。それは久しぶりに親族が一同に会したということだろう。私よりも年下のいとこたちは、それぞれ高校生から大学生まで様々だが、もうお酒の飲める年になった、1人の人間として膝を突き合わせて話ができるようになった。小さい頃は変な恥ずかしさがあったり、やはり普段住んでいる所が遠くてお互いに合うこともなかったりで、あまり仲が良くなかった。特段悪かったわけではないが、特に良くもなかった。



それがやはり年をとると、自然にお互いに色んな話ができるようになるわけで、良い関係構築ができるようになる。不思議なものだ。他人のようで他人ではない。この血の繋がりとは何ぞや。